第8話 出口 昇太 (でぐち ショウタ)③


 車には五人全員が乗っていた。カズが無言でハンドルを握り、オレは助手席に座っていた。後部座席では、ミサが膝の上に人形を抱え、まるでそれが生き物であるかのように優しく撫でていた。ユウは窓の外をぼんやりと眺めていたが、その目は何かを見ているようで、何も見ていないようでもあった。そして、真ん中にはキョウがいた。彼は背筋を伸ばし、まるで何かを待っているような、あるいは何かを思い出そうとしているような顔をしていた。


 車内では、誰も口を開かなかった。エンジン音とタイヤの摩擦音だけが、沈黙の中に微かに響いていた。オレは何度か話しかけた。「人形、やばくないか?」「手形、あれ、全部本物だったんじゃないか?」声は出ていたはずなのに、まるで空気に吸い込まれていくようだった。誰も返事をしなかった。いや、返事をしなかったというより、返事をするという概念すら存在していないような空気だった。


 返事がないから、オレは顔の話ができなかった。いや、仮に返事があったとしても、オレはその話をしなかったかもしれない。なんというか、あの瞬間、オレの声が誰にも届いていないような感覚があった。いや、もっと正確に言えば、オレだけが違う場所にいたのかもしれない。車の中にいるのに、どこか遠くにいるような、そんな奇妙な感覚だった。


 帰宅してすぐ、オレは何かがおかしいと感じて、慌てて連絡を取ろうとした。まずカズに電話をかけたが、何度かけても繋がらなかった。ミサにはメッセージを送ったが、既読すらつかなかった。ユウは……そもそも連絡先を交換していなかったことに気づいた。キョウは……スマホの連絡帳に名前すら登録されていなかった。あれほど一緒にいたはずなのに、記憶がドロドロに溶けて、輪郭を失っていた。その事実に気づいた瞬間、背筋が凍りついた。まるで、自分の記憶が誰かに書き換えられているような、そんな恐怖だった。


 それ以来、オレは夢を見るようになった。あの村の夢。手形が壁一面に増えていく夢。人形がゆっくりと首を動かす夢。そして、あの白い顔が、何も言わずにこちらを見つめている夢。夢の中で「ショウタ」と呼ぶ声が聞こえた。声はキョウのものだった。しかし、ユウの顔がキョウであり、キョウの声がミサであり、白い顔がカズの車を運転していた。すべてが混ざり合い、境界が溶けていく。記憶が、少しずつ、確実に書き換えられていくようだった。


 ある夜、夢の中であの人形を見た。暗闇の中で、遠くから子供の笑い声が聞こえてきた。人形の目だけが動いて、オレをじっと見つめた。その目はユウのものだった。しかし、口元はミサの笑い方で、声はキョウのものだった。誰かが、誰かの中に入り込んでいる。誰かが、誰かを模倣している。そして、オレだけがそれに気づいている。


 オレは、あの夜、肝試きもだめしの夜、何を見たのだろう。誰と一緒にいたのだろう。そして、誰が我々の中に紛れ込んでいたのだろう。あの夜の記憶は、まるで霧の中にあるように曖昧で、触れようとすると逃げていく。


 今でも、答えはわからない。ただ、確かに何かがおかしくなった。そして、それに気づいていたのは、オレだけだった。それだけは、確かだ。オレの中に残っている違和感だけが、唯一の証拠だった。

(続く)

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