第7話 出口 昇太 (でぐち ショウタ)②

 村の中を進むにつれ、赤い子供の手形が目につくようになった。壁、窓、地面、木の幹に、一つ、また一つと増えていく。誰かが「気持ち悪い」とつぶやいたが、その声の主が誰だったか思い出せない。声は確かに聞こえたのに、顔が浮かばない。

 途中、古びた井戸があった。のぞき込んでも底は見えず、水音も反響もない。ただ暗闇がぽっかりと口を開けていた。ミサが「落ちたら戻ってこれなさそうだね」と笑ったが、その声がどこか遠く、まるで誰かがミサの声を真似しているように感じられた。

 公民館に着いたとき、オレは妙な感覚に襲われた。誰かがオレ達を見ている。いや、誰かがオレ達の中にいる。そんな感覚だった。背筋がぞわりとし、思わず振り返ったが、誰もいなかった。ただ、キョウの顔がどこか違って見えた。目の奥が、まるで別人のように冷たかった。

 館内には、人形が置かれていた。奇妙な造形。白い顔、大きな瞳。ほこりをかぶっていたが、どこか新しいような、不思議な存在感があった。ミサがそれを手に取り、「かわいい……持って帰ろうかな」と言った。誰も止めなかった。オレも止めなかった。今思えば、あの瞬間が分岐点ぶんきてんだったのかもしれない。


 公民館を出て車に戻る帰り道、オレは一人で歩いていたような気がする。実際には他の四人と一緒だったが、少し距離を置いて後ろを歩いていた。舗装ほそうの荒れた道を進みながら、前を行く彼らの背中をぼんやりと眺めていた。月が出ていたが弱く、影もできない。

 オレは声をかけた。小さく、はっきりと聞こえるように。「おい」だったか「待てよ」だったか、思い出せない。

 しかし誰も振り返らなかった。返事もなかった。そのとき、オレだけが立ち止まっていたことに気づいた。オレだけが、後ろを振り返っていた。だから、オレしか見ていない。そう言い切ることができる。だから、見間違いだったとも言える。そういうことにしておくことも可能だ。

 公民館の側面そくめんには、大きな穴が開いていた。壁の一部が崩れ、内部の暗がりが外に向かって口を開けていた。人の背丈の倍くらいの丸い穴だった。

そこに白い顔があった。

 巨大な顔だった。穴のふちにぴったりと収まるように、隙間すきまなくはまっていた。動きはなく、表情もなかった。瞳だけが異様に大きく、こちらを見ていた。

 その顔は、ミサが抱えていた人形に似ていた。両腕で大事そうに抱えていた、あの人形。薄い皮膚で病的に白く、瞳だけが大きくて。その顔が、穴の中にあった。目は小刻こきざみみに動いており、強い意志を感じた。何かを探しているようにきょろきょろとせわしなく動いていた。

 あわてて先を歩く仲間に声をかけた。だが、オレの声は無視された。四人とも何よりも早く車に戻りたいのか、速足で歩いていたから。オレはさっさと歩く他の四人にイライラしながら、再び振り返った。

 もう、顔はなかった。ぽっかりと大きな穴があるっきりだった。

 だから、他の四人は、何も見ていない。だから、オレしか見ていない。だから、見間違いだったかもしれない。そういうことにしておくしかなかった。

(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る