第15話 カニ肉の確保

「今日は実家で仕事があるから、夕方まで留守番をお願いね」

「一緒に行かなくていいのか? 一応、僕は付き人だろ」

「今回はいいわ。代わりにこの館をしっかり守っていて」

「分かった。任せておけ」

「よろしくね」


 そう言い残して空を飛んで行くウェンディを見送りながら、今日はどんな奴が攻撃してくるのかと思いを巡らす。

 何が現れてもシールドの中にいれば安全なのだが、放っておくといつまでも居座ってウェンディの大切な畑を荒らし回るから、討伐せざるを得ないのがうっとうしい。


 幸い今日は天気が良くて空気が澄んでいるから、庭で日向ぼっこでもしながらのんびり見張るとしよう。

 屋敷の庭は湖まで続いていて、椅子にもたれていても、直径二キロ半、周囲八キロ弱の明るい湖面が良く見える。これがファイアーボムのクレーターだとはとても信じられない。


 ウェンディが魔法で湖畔に生みだした草原は、今や林にまで成長していて、館の周りにも豊かに広がっていた。そこには多くの小鳥が住みついているらしく、時々可愛いらしいさえずりが聞こえてくる。

 小鳥の声に耳を傾け、青空に浮かぶ雲をのんびりと眺める。まさに至福のひとときだ。


 もちろん、のんびり過ごしてはいても、周囲には抜かりなく気を配っている。いつ魔獣が襲ってくるか分からないからだ。

 ところが今日は、半日が過ぎても何も怪しいものは現れない。このまま平和に暮れていくのかなと思っていると、夕方近くになってお決まりの異変が起こった。

 湖から巨大なカニが三匹はい上がってきたのだ。


 そいつらは象ほどの大きさがあって、大きなハサミを一つ持っている。

 そのハサミは解体重機のようにでかいから、人ひとりを挟んで簡単にちょん切ることが出来そうだ。

「こいつは危険だぞ。うっかり挟まれないようにしないとな」

 しかし、間違いなく危険な魔獣ではあるのだが、このカニの姿を見ているとどこか懐かしさを覚えてしまうのはなぜだろう。


「そうか、あの大きなハサミがなければ、あれはどう見てもズワイガニだよ。魔獣ではあっても、肉は美味いのかもしれないな」

 こちらに転生してから、カニ肉は一度も口にしたことがない。いや、前世でもカニはお高くて、平サラリーマンにはなかなか手が出せない代物だった。

 あのカニがどんな味なのか実に興味深い。

 是非とも食べてみなくてはと、張り切って立ち上がるとシールドの外に出た。


 バカでかいカニ達はカニ歩きで館に接近してくると、正面をこちらに向けて三匹が横に並んだ。

 その姿は、まるで射的の的か何かのように見える。

 だから簡単に倒せそうな錯覚に陥ったのだが、それは大きな間違いだった。

 三匹のカニは驚くほどの速さで、右に左にと俊敏に動き回わり始めたのだ。


「なんだこれ⁉ 目で追いきれないぞ」

一匹だけならともかく、三匹がそれぞれの方向へハイスピードで動き回ると、全てを目で追いかけるのは至難の業となる。巨大なカニのくせに、どうしてこんなに身が軽いのか。


 焦っていると、今度は三匹が思い思いの方向から立て続けに突進してきてフェイントをかけるようになった。

 奴らのフェイントは巧妙で、アイスランスで迎え撃とうと手をかざすと、あっという間に後ろに引いて、間髪入れずに横から新手が現れる。そちらに狙いをつけていると、また別方向から突撃してくる。こうもちょこまかと動かれると、うっかり後ろを取られかねない。


「だめだ、完全に振り回されてるぞ。距離をとって一匹ずつ撃破するしかないな」

仕方なく、飛行魔法で館から離れた場所まで飛んでカニを待った。

 これなら、接近してくるまでに時間がかかるから、しっかり狙いを定めて攻撃できるはずだ。

 三匹は素晴らしい速度でジグザグに動きながら追いかけてきたが、距離があるから思惑通り狙いをつけやすい。


「まずは一匹目!」

 最初に突進してきた奴に向かってぶっといアイスランスを撃ち込んだ。

 ところが、そいつはアイスランスが胴体に命中しかけると、瞬時に地面に伏せてやり過ごしてしまった。

「こんなのありか⁉ 反射神経、良過ぎだろ!」

 ぼやいていると、いつの間にか一匹が後ろに回り込んでいて、大ハサミで襲ってきた。


「やばい、こいつら強敵だな」

 即座に身を翻して伸びてきたハサミをかわし、すかさずカニの腹にアイスランスを撃ち込んだ。ところが、こいつも瞬時に地面に伏せて、強靭な甲羅でアイスランスを弾いてしまった。

「何て反射神経だ! おまけに甲羅は恐ろしく強靭だぞ」

 驚いていると、他の二匹が後ろからハサミを突き出した。

「おっと!」

 慌てて飛びのいて距離を取る。


「こいつらには、ファイアーボムでないと勝てる気がしないな」

 畑を焼くのは絶対にNGだから、地竜の時のように宙に浮かして下から攻撃するしかない。

 三匹の巨大ガニを牽制しながら動き回り、一番近い奴に向かって手をかざし、「マルチロックランス」と叫んだ。

 すると地面から無数のロックランスが突き出して、巨大ガニを宙に持ち上げた。


 すかさずロックランスの下に滑り込んで、上にいる巨大ガニに向かって手をかざし、「スモールファイアーボム!」と叫んだ。

 するとスーパーボール大の火球が狙い通り巨大ガニの腹に命中し、灼熱する業火がカニの全身を包んで凄まじい火力で焼き上げていく。数秒もしないうちに、カニはわずかな甲羅を残しただけで見事に燃え尽きてしまった。


「しまった! せっかくのカニ肉が……」

 あの火力ではカニ肉が残らないのか。失敗したな。だけど、まだ二匹残っている。 

 今度は出力を抑えて何とか肉を残すぞ!

 決意を固めていると、正面から一匹のカニが横歩きの猛スピードで迫ってきた。

「ヤバイ‼」

 反射的に分厚いロックウォールをそいつの進路に出現させて後ろに下がる。直後、カニがロックウォールに激突した轟音が響いてきた。それっきり動く気配がないから、ダメージを受けているに違いない。


「よし、マルチ・ロックランスを撃つチャンスだ!」

 ロックウォールを消滅させると同時に、マルチ・ロックランスを起動するために手をかざす。 

 ところが、いつの間にかもう一匹のカニが僕の後ろに回り込んでいた。

 大きなハサミが視界の端をよぎったのでヤバイと思った途端、無様に胸部を挟まれていた。


「くそ! 油断した‼」

 正面から突っ込んできたカニはオトリだったようだ。

 カニごときに翻弄されるとは情けない。

 何とか抜け出そうと、身体強化をしてハサミを押してみるがビクともしない。それどころか、胸の締め付けがどんどん強くなって息が出来なくなってきた。こいつのハサミは異常に強力だぞ。


「何とかしなくては‼」と下半身を大きく振って抜け出そうとしていると、もう一匹がやって来て僕の腰を挟み込んだ。これはキツイ。このままでは身体をぶつ切りにされそうだ。

(こんな事なら、畑を焼いてでも強力なファイアーボムで仕留めておくべきだった)


 後悔しているうちに完全に呼吸が出来なくなって、意識が遠のいてくる。

 あばら骨がバキバキと折れて胸がつぶれてきた。悔しいけど、これでこの世界ともお別れのようだ。

(せめてウェンディに、好きだって告白しておけばよかった……)

 死ぬ間際に唐突にそんな考えが浮かんだ。どうやら僕はウェンディを本気で好きになっていたようだ。今さら気づいても遅い。

 

 女神様は、もう一度どこかに転生させてくれるだろうか? 

 (まあ、無理か……)


 人生を諦めた瞬間、僕を締めつけている二本の大きなハサミが、ウインドカッターで根元から切断された。


(ウェンディだ‼)


 二匹のカニは、胴体もあっという間に真っ二つになって、美しい切断面を見せながらドスンと音を立てて地面に転がった。


 ウェンディはハサミに挟まれた僕を、強引に引っ張り出して抱えると、「ハイヒール」と叫んだ。

 おかげでつぶれた胸が復活した。大きく息を吸い込むと、新鮮な空気が大量に流れ込んできて、肺胞があらん限りの力で酸素を吸収している。


「空気が美味い‼」

 その声でほっとしたのか、彼女は僕の頭を優しく抱きしめた。

「良かった。死んでしまうんじゃないかって心配したのよ。――でもアラン、どうしてファイアーボムで撃退しなかったの?」

 ウェンディが不思議そうな声を出す。


「せっかくウェンディが作ってくれた畑だから、焼くのは申し訳なくて……」

「バカね、そんなのどうでもいいのに。あなた以上に大切な人はいないのだから、無茶はしないで」

 えっ、大切な人って、どう言う意味? まさか僕を好きってこと?

「これからは余計なことを考えずに、ちゃんとファイアーボムを使うのよ」

 僕の頬に幾つもの涙がこぼれ落ちてきた。ウェンディは、こんなにも心配してくれていたのだ。

(なんか愛しいな)


「ウェンディ、僕は……」

「何?」

 はずみで告白しようとして、言葉がノドにつかえた。

 こんなカッコ悪い状態で、告白なんてできるかよ。

 ――いや、違う。それは言い訳だ。

 本当は勇気がなくて、言葉が出なかっただけのことだ。

 情けない男だ。


 僕はウェンディの腕を逃れて、ゆっくりと立ち上がった。

「助けてくれてありがとう」

「どういたしまして」

 彼女は涙をふいて優しく微笑んでくれた。


 そして嬉しそうに、カニをアイテムボックスにしまい込んだ。

 その日の夕食は、カニだった。

 繊維が無茶苦茶ぶっといのに、しっかりズワイガニの味がして美味い。

 美味いからひたすらやけ食いをした。

 ウェンディも気に入ったようで、「カニさん、またやって来ないかしら」と言って笑っている。

 まあ、アイテムボックスには大量のストックができたから、当分はカニ肉に不自由はしないけどね。

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