一人、また一人⑥
──十五時二十三分。
春奈は「のむらみや」との待ち合わせ場所へ向かうため、最寄りの駅に来ていた。あと十分もすれば電車がやってくるだろう。
待ち合わせ時間は十七時だが、気がはやってこんな早い時間に駅へ来たわけではない。隣町までは電車で一時間ほどかかる上に、ここは小さな村。電車の本数も限られていて、十六時台の電車はたった二本のみ。そのどちらも到着時刻が十七時を過ぎてしまう。せっかく会ってくれることになったのだ、遅れるわけにはいかないと今に至る。
ホームにある小さな椅子に腰掛け、スマートフォンの画面を眺めた。母親とのメッセージのやり取りが表示されている。
『気をつけてね。遅くなっては駄目よ』
これは、今から隣町の図書館で友人と勉強をしに行くと送ったメッセージに対しての返信だ。
結局、学校を休んだことは伝えなかった。具合が悪いと言えば、出かけることを許してもらえないと思ったからだ。嘘を重ねてしまった罪悪感はあるが、ようやく手がかりが掴めるところまで来た。この嘘は必要なものだったのだと、自分に言い聞かせる。
メッセージアプリを閉じると、次はブラウザを立ち上げた。「のむらみや」からの返信が表示され、そっと指で文字をなぞる。
指定されたのは「今日の十七時」だ。正直なところ、会ってくれる意思を見せてくれたのは嬉しかったが、条件としてはかなりシビアだ。もしも、春奈が「のむらみや」の返信に気付いていなければ。今日を逃していれば。この先、会うことはできていなかったかもしれないのだから。
春奈の「会いたい」という言葉に込められた気持ちの度合いを測って、このような返信になったのか。それは本人に直接聞いてみなければわからないが、一日に何度も確認するようにしていてよかったと胸を撫で下ろした。
カンカン、と踏切の音が鳴り始める。時刻を見れば、十五時三十二分。春奈は椅子から立ち上がり、白い線の内側まで歩く。
速度を落とした電車がホームに入ってきた。勢いのある風が春奈の黒い髪を揺らす。
この電車に乗れば、一時間ほどで隣町に着く。約束どおりに「のむらみや」が来てくれるのであれば、三十分程度待てば会うことができるだろう。
「……お姉ちゃん」
春奈は、コメントで高橋冬華の妹であると明かしている。それについて「のむらみや」は言及することなく、ただ待ち合わせ時間と場所を返信してきた。
おそらく、ブログに出てきた冬華は姉の冬華で間違いない。
電車の扉が開く。春奈は意を決して中へ乗り込んだ。
* * *
一時間ほどあった乗車時間は、あっという間だった。
緊張から指先が冷えていく。あたためるようにして両手を胸元で握り締めながら電車を降りると、出口はどこかと辺りを見渡した。
「あれかな……」
出口は一つだけのようだ。わかりやすくてありがたいと、春奈は出口に向かって歩いていく。階段を下り、切符を通して改札を抜けた。
こうして隣町に来るのは春休み以来。いつも大型ショッピングモールにしか行かないため、今回待ち合わせ場所になっている喫茶店はあることすら知らなかった。
駅付近にある喫茶店は、マップで確認したところ一店のみ。駅を出て左を曲がると、すぐに喫茶店の看板を見つけた。そこから少し離れたところで、ネイビーのスーツを着て白色のマスクをつけた男性が立っている。左手には黒色のビジネスバッグを持っていて、春奈と同じく誰かと待ち合わせているのかもしれない。他に誰かいないかと見渡すも、立っているのは彼だけだ。
時刻は十六時三十分を過ぎたところ。十七時までまだ時間がある。さすがにまだ来ていないかと、男性から離れた位置で「のむらみや」の到着を待つことにした。
中に入って席を取っておいたほうがいいかとも思ったが、お互い顔がわからない。ここで待っていれば、気付いてくれるだろう。
「……あの、冬華の妹さん?」
振り向くと、スーツの男性がマスクを右手でずらしてこちらを見ていた。冬華の妹かと声をかけてきたが、まさか。
「あ、俺……のむらみや、です」
ブログのアイコンでは女性の後ろ姿だったため、そうなのだとばかり思っていた。驚きから言葉を失っていると、男性──「のむらみや」は気まずそうに顔を俯けた。
「ごめん、アイコンは冬華の後ろ姿にしてて。驚かせちゃったよね」
「え、えっと、驚いたのはそう、なんですけど……あのアイコンの女性は、お姉ちゃんだったんですね」
「うん。待ち合わせ時間もごめんね、よくよく考えたら十七時前に着く電車ないじゃんって思って。早く来てよかったよ」
村のことを熟知しているようだ。とりあえず中に入ろうと促され、「のむらみや」の後ろについて喫茶店の中へと入った。
中はレトロな雰囲気で、クラシックの音楽が流れている。若い女性の店員に空いている席へ案内してもらい、二人は向かい合って座った。お冷とおしぼりがそれぞれ机の上に置かれると、店員からメニューが手渡された。
「好きな飲み物を頼んで。ここは俺が出すから」
「あ、ありがとうございます。じゃあ……カフェオレのアイスをお願いします」
「それと、アイスコーヒーのブラックを一つ」
かしこまりました、と店員は一礼するとメニューを持って去っていった。
「すみません。こちらから会いたいとお願いしたのに、飲み物をご馳走になってしまって」
「高三の子と割り勘だなんて、そんなださいことはしないよ。ケーキとかも後で頼んでくれていいから」
そう言って「のむらみや」は軽快に笑うも、不思議でしかなかった。
出会ってまだ間もなく、お互いの素性も「高橋冬華の妹と名乗る者」「ブログの管理人のむらみや」ということしかわかっていない。
何故、春奈が高校三年生だとわかったのか。置かれていたおしぼりで手を拭きながら、思ったことをそのまま口にする。
「……どうして、わかったんですか。わたしが、高三だって」
「冬華から妹さんのことはよく聞いていたから」
「えっ、お姉ちゃんから?」
「まずは自己紹介しようか。俺の名前は中原翔太。君は、冬華の妹の春奈ちゃん、だよね」
名前まで知っているのかと驚きながら頷くと同時に、頼んでいたカフェオレのアイスとアイスコーヒーのブラックが来た。礼を言いながらカフェオレを受け取り、目の前に置く。牛乳とコーヒーのグラデーションが綺麗だ。
ブログの管理人「のむらみや」──もとい、中原はマスクを取るとアイスコーヒーを口にし、重たい息を吐いた。
「あの村ってさ、小さいし、みんな幼馴染みたいなものだろ。俺と冬華もそうなんだけど、家が近所ってこともあってよく一緒にいたんだ」
「中原さんは、お姉ちゃんと仲が良かったんですね」
「そうだね。……だから、冬華から日記だって預かった」
そう言って中原は持っていたビジネスバッグから一冊のノートを取り出した。ピンク色をしたどこにでも売っている普通のノートだ。これが冬華の日記なのだろうか。
「……のむらみやってね、アナグラムなんだ」
「アナグラムって、文字を入れ替えて別の言葉を作る遊びですよね?」
「そう。のむらみやは、村の闇を入れ替えて作った名前だよ」
「村の、闇?」
どういうことだろうか。その真意を測りかねていると、中原はノートを春奈の前に動かした。
「ブログを全部読んで、春奈ちゃんは俺に会いたいってコメントをくれたんだよね?」
「はい。あの内容が真実なのか、確かめたくて」
「本当だよ。この日記を読んでみるといい。ブログに載せてあるものは表現をマイルドにしてあるから、日記の方はかなり衝撃というか、刺激が強いと思うけど」
「……っ、じゃあ、やっぱり……お姉ちゃんを追い詰めたのは、河嶋先生なんですね」
中原は口を噤んでいたが、否定しないということはそうなのだろう。ブログでは名前が伏せられて「K嶋」となっていたが、すぐに河嶋のことだとわかった。
冬華が「K嶋」からされていた数々の行いが、すべて思い当たるものだったからだ。
何かと呼ばれ、触れられ、距離が近い。冬華はそれに加え、肩を抱かれたり腰に腕を回されたりと、周囲に誤解されてしまいそうなものもあったようだ。
実際、女子からの嫉妬はひどいもので、嫌がらせを受けていたとブログには書かれていた。これも春奈と同じだ。
しかし、これらは表現をマイルドにしてあるものだと中原は言う。日記にはその日あったことの詳細や、冬華の心の内がそのまま書かれているのだろう。
春奈は震える手でノートを取り、表紙を開いた。
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