教室の隅のあの子②
始業式の時間となり、春奈は紬と体育館へとやってきた。出席番号順に並ぶも、落ち着きなく辺りを見渡す。
教室を出るとき、あの女子生徒もついてきたのだ。
どこにいるのかと探していると、彼女は教室と同じく体育館の隅の方で立っていた。やはりと言っていいのかはわからないが、誰もその存在に気付いていない。女子生徒はといえば、特に何の表情も浮かべてはいなかったが、春奈が見ていることに気がつくと目を細めて微笑んできた。慌てて目を逸らし、前を向く。
これまで霊的なものを見たことも、感じたこともなかった。されど、この不可思議な存在に名をつけるのなら。
──幽霊、というのが相応しいのではないか。
自分で考えて、ぞっと背筋が寒くなる。それにだ、仮に女子生徒が幽霊なのだとしても、春奈にだけ見えている理由がわからない。
ただ、害はないのだろうとは思う。目が合えば優しく微笑むだけで、悪意のようなものは今のところ感じられない。とは言え、他のクラスメイトには見えていない存在が見えているという事実は耐え難いものだが。
はてさてどうしたものかと溜息を吐いたとき、マイクを持った教頭が舞台の上に立った。
「始業式を始めます。全員、静かにしなさい」
場は静まり返り、教頭の進行で始業式が始まった。
入学して間もない一年生には激励を。先輩となった二年生には期待を。
そして、進路を決めなければならない三年生には、価値観を大切にして焦らず、だが時間は有限であることを話していた。
次に、校長が舞台の上にある演台へ立った。何かを話しているが、先程の教頭の話が頭から離れず、耳に入ってこない。
春奈は進学をする予定にはしているが、決まっているのはそれだけだ。いや、卒業後は村には帰らず、どんな仕事に就きたいかは大学へ行きながら考えるということも決めたか。どの学部にするか、どこの大学で学ぶか。肝心のものがまだ決まっていない。進路を決めているようで、実のところは先行きが不透明だ。
教頭は、焦らなくてもいいと言っていた。けれど、時間は有限であるとも。
大切にしたい価値観は何か。まずは自分自身と向き合うことが必要なのかもしれない。そうなると、春奈に残された時間というのは少ないように思えた。
「次、三年生の担任の先生を紹介する。では、河嶋先生。どうぞ舞台の上へ」
いつの間にか校長の話は終わり、担任の紹介へと移っていたようだ。一人の男性が舞台へ上がり、軽く頭を下げた。
「三年生の皆さんの担任を任されました、河嶋隼人です」
この男性が、紬が言っていた村長の息子だ。
テレビ等でよく見かける無造作の髪型に、銀縁の眼鏡。鼻筋が通っていて、髭はここからでは生えているのかわからないほど薄い。垂れ目気味の目は、挨拶をしながら三年生を一人ひとり確かめている。全体的に顔立ちがはっきりとしていて、正直に言えば村長に似ている要素がない。教えてもらっていなければ、親子だとは思わなかっただろう。
身長もかなり高く、何かスポーツでもしていたようだ。服の上からでも体格がしっかりしていることがわかる。笑顔も爽やかで、静かにと注意されてしまうほど女子生徒達からは落ち着きが消えてしまった。
「高校生活最後であり、進路を決めて頑張っていくという大事な一年間になります。皆さんが楽しく過ごせるよう、力になれるよう、僕も頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします」
挨拶を終えると、河嶋は春奈達三年生が並ぶ列へとやってきた。二年生までの担任は親の年齢に近い小柄な男性だったため、物珍しさも手伝ってつい見てしまう。ここまで身長が高い男性も村では珍しい。河嶋が来たことで、教師達の平均年齢も下がりそうだ。
それにしても、担任が変わることになった理由は何なのか。河嶋が村に戻ってきたことと何か関係しているのだろうか。
何にせよ、三年生とは大変で大切な時期だ。前を走って三年生を引っ張るだけではなく、時には並走もしてもらえると助かる。そんなことを考えていると、河嶋と視線が交じった。
ずっと見ていたと思われたのかもしれない。にこりと微笑まれてしまい、春奈は視線を逸らして小さく頭を下げた。
「これで始業式を終わります。各自、教室へ戻るように」
生徒達が体育館から外へと出ていく。その流れに乗るように春奈も歩き始めると、紬がやってきた。
「村長の息子って聞いてたけどさ、思ってたのと全然違うんだけど! めちゃくちゃ爽やかイケメンじゃん!」
「あはは……みんなはしゃいでたね」
後ろを見れば、河嶋は早速女子達に囲まれていた。学校はもちろんのこと、村にはあまりいないタイプの男性。今し方の反応を見ていれば、こうなることは容易に想像がついた。
河嶋はと言えば、どこか困ったような笑みを浮かべながら相手をしている。矢継ぎ早に話しかけられていて、確かにあれは大変そうだ。
と、思っていると、またしても河嶋の目がこちらへ向けられ、視線が合う。嫌な予感がすると後ろへ一歩下がったとき、右手が挙げられた。
「高橋! そこで待っててくれないか! みんなすまない、また後で」
「わ、わたし?」
女子達の残念そうな声と共に、じろりと春奈へ視線が向けられた。紬も目を見開いてこちらを見ているが、春奈もこの状況についていけていない。そのような目で見られても困る。
女子達に申し訳なさそうにして、河嶋がこちらへ向かってくる。おそらく、春奈を呼び止めたのはあの場から離れるための方便。用などないはず。偶然目が合い、ちょうどいいと選ばれたのかもしれない。
それよりも、河嶋はもう生徒の名前を覚えているのか。やる気に満ち溢れているのはとても素晴らしいことだが、こんな形で知りたくはなかった。あれでは、春奈が河嶋に用があって来るのを待っていると勘違いされてしまう。現に、河嶋の傍にいた女子達は「邪魔をされた」と言いたげに春奈を睨みつけている。
始業式早々最悪だと小さく息を吐き出す。これまで目立たずに平々凡々と過ごし、諍いとは無縁の学園生活を送っていたというのに。
残り一年間の高校生活、針の筵で過ごしたくはない。どうにかここから挽回できるだろうか。そんなことを考えていると、ようやく河嶋がやってきた。眉を八の字にし、両手を合わせる。
「悪い、待たせた。よし、行こうか。……申し訳ないんだが、彼女達から見えないところまで付き合ってくれないか」
「……は、はい」
河嶋の右手が伸びてきたとき、紬が声を上げた。
「あ、あたしも一緒に行っていいですか!? あたし、春奈の友達で!」
右手は春奈の左肩に触れる寸前で拳を握り、そっと戻される。紬の言葉に河嶋は口角を上げると、小さく頷いた。
「ああ、そうなんだ。じゃあ、
体育館を出るために三人は歩き出した。背中に痛いくらいの視線を感じるが、紬は気にしていない様子でここぞとばかりに河嶋へ話しかけている。春奈は会話をする気にもならず、二人から顔を背けるが──その視線の先に、あの女子生徒がいた。浮かべている表情に、思わず足が止まる。
顔からは血の気が引き、青白い。瞬き一つせずに春奈を見る目はひどく冷たく、心臓を握り締められているようなそんな感覚に陥る。
これは、敵意だ。
春奈は今、女子生徒から敵意を向けられている。河嶋を囲んでいた女子達の敵意など可愛らしいものだと思えるほど。
何か、彼女の癇に障るようなことをしてしまったのだろうか。焦りを堪えて必死に思考を巡らせるも、自分では何も思い当たることがない。
何かが首筋を伝っていく。目を逸らしたいのに、逸らすことができない。この場から逃げ出したいのに、足が動かない。
息が、できない。
「春奈?」
「高橋、どうした?」
紬と河嶋の声に、意識が引き戻される。その瞬間、空気が入り込んできた。ようやく息ができるようになったようだ。肩で息をし、酸素を貪るように取り込む。
呼吸を整えつつ振り向くと、二人は目を丸くして春奈を見ていた。
「ちょっと、春奈!? すごい汗だよ!?」
首筋に触れてみると、じとりと汗をかいていた。今日は肌寒いくらいだというのに。
「な……なんでも、ない」
口の中が乾いていて、声が掠れる。
何が起きたか話したいところだが、どうせ信じてもらえない。
あの女子生徒は、春奈にしか見えないのだから。
「顔色も悪いぞ。大丈夫か?」
近づいてきた河嶋が春奈の両肩に触れる。その瞬間、女子生徒の冷たい目が脳裏をよぎった。まだこちらを見ているのかもしれないと気になったが、あの目が怖くて彼女に視線を向けることができない。
「だ、大丈夫、です。早く、行きましょう」
「それならいいが……」
河嶋の手が背に触れたため、春奈は歩き出す。紬に寄り添ってもらいながら、振り向くことなく体育館を出た。
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