ヒト非ざるモノ
貴津
僕の恋人。
あと少し、あと少しで貴女に手が届くところだったのに。
女の上げた悲鳴があたりに響き渡る。
人の駆け寄る足音、なんだなんだとざわめく声。
僕はぼんやりと目の前の女を見ている。
(失敗しちゃったのか?)
大好きな彼女を僕のものにしたかった。
ずっとずっと大好きな彼女を僕だけのものにしたかったのに。
僕は失敗して、警察に捕まってしまった。
警察と言うのはとても厄介だ。
僕が何も話してないのに、僕の過去を暴き立てて、僕の恋人たちを探り出してきた。
「覚えてません」
「わかりません」
「そんな気もしますが……やっぱり覚えてません」
僕はそう繰り返すしかない。
実際に彼女たちは僕のものになっている。
僕以外に笑いかけることも話しかけることもないし、僕の知らないところで誰かと過ごすこともない。
僕はやっと安心して沢山の恋人たちを僕だけのものにしたのに。
それ以外の事なんて覚えてなんかない。
僕の行いは罪であるとされ、僕は法律によって裁かれた。
「主文、被告人を死刑に処す」
陪審員たちの避難の視線を受けながら、僕は最後に悲鳴を上げた彼女のことを思い出す。
僕がいない世界で、彼女は何をしてるかな?
寂しがってないかな、退屈していないかな、誰かと話しているのかな、誰かに微笑みかけているのかな?
もう彼女に触れることができないのが残念だ。
大好きな、大好きな彼女。
そうだ。彼女に手紙を書こう。刑務所にいても手紙を書くことくらいできたはず。
少しでも彼女に僕の気持ちを伝えよう。
悲しまないで、寂しがらないで、微笑まないで、何処にもいかないで。
僕だけのものでいてほしいから、手紙をたくさん書こう。
それから僕はたくさんの手紙を書いた。
決められた枚数の便箋には書ききれなくて、書いた文字の上にさらに文字を重ねて書いて、便箋が真っ黒になるまで書き重ねた。
刑務所の検印である桜の印章を押されて、彼女の所に手紙が送られる。
僕の気持ちが真っ黒に塗りつぶされた便箋に込められて大好きな彼女の元へ届けられる。
不思議なことにこうして気持ちを書き連ねていると、彼女への思いも募って行く。
会いたい会いたい会いたい。大好きな彼女に会いたい。
でも僕は刑務所の中に閉じ込められて、いつか来る死刑を待つしかできない。
ここから出て、彼女の姿を見たい。ここから出て、彼女を僕のものにしたい。
どうしたら――。
(そうか、僕は……)
「――、出なさい」
看守が僕の顔を見て顔をしかめる。
僕は満面の笑顔で、独房のドアをくぐった。
今日は待ちに待った特別な日。
僕はやっとこの独房から解放されて自由になる。
僕は本当に不自由だった。
今日、僕はすべての枷から解き放たれる。
僕は独房から出よう、刑務所から出よう。この不自由な肉体を捨てて、自由になって、貴方の元へすぐにでも行こう――。
連続婦女殺害事件の犯人――死刑囚の死刑が本日執行されました。
法務省からの発表として無機質に終わった報告だが、彼が喜び勇んで刑場に立ったことはその場にいた人間しか知らない。
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