煙を吐くのは、銃か煙草か―― 煙草とリボルバーと氷狼の少女――

たろー

紫煙の狩人と氷狼族の少女

第1話 毒霧の森



森の朝もやが立ち込め、湿った土と腐葉土の匂いが鼻腔をくすぐる。

踏み締める度に蒸し返す森の薫り。

現代では味わえない、深い樹海の空気。

澄んだそれとは違う、重みのあるそれはマコトの全身にまとわりつくようだ。


手慣れた様子でマコトは一本の煙草を取り出し咥えた。

ジッポライターの蓋が開く、チンっという金属音。

火種を飛ばし炎が灯ると微かに香るオイルの匂い。

橙の炎に先端を潜らせ同時に吸い込む時になる、微かな空気の焦げる音。

――喫煙。

喉を焼きながら芳しい燻製臭が通り、肺にすとんと溜まる。

刹那、呼吸を止める、吐く。

口から出た紫煙の筋が、青い空に重なって薄く消えていく。



マコトは依頼書を握りしめ、ギルド受付の窓口で簡単な説明を受ける。

「毒蜥蜴の駆除、森の開拓支援……お前に限ってそれはないと思うが、毒霧には注意しろ」

馴染みの顔は微塵も心配していない。

「了解」と短く答え、マコトは歩き出す。


異世界に転生して、もう13年。

18歳の頃、知らない土地で初めて魔物と向き合い、死にかけたあの日々が、脳裏に現れては消える。

あの頃は、恐怖しかなかった。

今も恐怖は消えない――でも、少しだけ距離を取れる。

怖さがあっても、受け止められる。そういう実感だけが、手のひらの中に残っていた。


手に持った煙草を吸い、吐く。

肺に広がる紫煙と共に、冷静さが蘇る。

その奥に、ほんの少しの退屈も混ざっていた。

長く生き延びた者だけに許された、戦い後の余韻。


──あの頃は、こんな気持ちになることすら知らなかった。



森の奥に進むと、視界は毒霧に包まれ、湿った葉の匂いが鼻を刺す。

魔素を含む毒素が漂う。

煙草の紫煙は、魔素を散らす効果を持つ。

マコトはそれを毒霧の森を進む。


視線の奥で、鋭い輝きが揺れた。

毒蜥蜴の登場だ。

「――さて、始めるか」

ホルスターに止めたリボルバーを確認して、軽く煙を吐く。

こいつの重厚感が、俺の異世界での存在を確認させる。


集中――素早く短く、マコトは最小限の動きでリボルバーを抜く。

スローモーションの様な連続された動きは洗練すらも感じさせた。

トリガーを引き絞るときのカチリという感触。

撃鉄が銃弾を弾き、破裂音。

高速で弾丸を放ち、数匹を沈める。


鈍い黒紫の魔素弾が着弾する音。

木々を薙ぐ葉擦れの音。

当たった弾丸が蜥蜴の胴体を引き裂く、気味の悪い音。


しかし枝や岩に阻まれ、接近を許す。


敵は統率されず、予測の範囲を超えた動きを見せる。

手斧を抜き、間合いに踏み込む。

蜥蜴の尾が鋭く突進し、草木を薙ぎ倒す。


交わる斧と尾。

激突の瞬間、位置が入れ替わるだけ。

こいつの尾は僅かに掠るだけでも全身が麻痺する。

互いの視線が合う。次の動きへの合図だ。


──昔は、こうして瞬時に距離を測る余裕すらなかった。

恐怖に飲まれて、手も足も震えていた。


蜥蜴が高く跳び上がり、再突進。

静かに照準を合わすマコト。

その眼光は鋭く、咥えた煙草を一口吸う。

続く轟音。

時間が引き延ばされる感覚。

体液が飛び散る音。

――吸った煙を吐き出し、一息。

今なら、経験という武器がある。

迷わず判断し、瞬時に動ける。

それが、長い年月の積み重ね。



森を抜け、日の差す開けた場所に立つ。

赤橙の空に一番星が瞬き、静かな余韻が広がる。


マコトは煙草に火をつけ、一口。

胸奥に溜まる流体状の気体が、ゆっくりと彼を満たす。

先ほどの緊張と混乱は消え、残ったのは森の静けさと煙草の香りだけ。


──あの頃の自分に、今の自分を見せてやれたなら、

──きっと笑うだろうな、とだけ思う。


「毒より、この一服が美味い」

独り言のように呟くマコト。

13年の異世界生活、波瀾万丈な日々、そして小さな達成感の積み重ね――

灰を落とすと、紫煙が風に溶けていった。

森の静けさと、夜の気配だけが残る。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る