『ぜんぶ、手をつないでいたかった』

鈑金屋

ひとつ

「ねえ、なんでそんなに黙ってるの?」


 歩道橋の上で風に髪を揺らしながら、黒姫くろひめが言った。


 夕焼けに染まる街は、今日も人が多い。白乃しろのはうまく言葉が出せず、袖のレースを指でくしゃっと握る。


「……ごめん」


 言いたいことはあった。けれど、どう伝えればいいのか分からない。


“嫌われたくない”という気持ちが先に立つ。


 自分は、いつもそうだ。


 ただそれが、心底嫌だった。


「ごめんばっかり」


 黒姫は歩を止めた。振り向いた目は、少しだけ疲れているようにも見えた。


「謝られるとさ、こっちが悪者になる気がする」


「ち、ちが……」


「じゃあ何が違うの?」


 言葉に詰まる。


 喉の奥に詰まった声が、出せない。


 目の前にいる女の子に、好かれたいと思ってる自分が、気持ち悪く思える。


 白乃は、涙が出そうになった。


 でもそのとき。


「ごめん」


 今度は、黒姫が言った。


「……私こそ、こういう言い方しかできないの、ごめん」


「く、ろひめ、ちゃん……」


「私ね、人に期待されるのが嫌いなの。家でもずっと、“良い子”やらされてきたから」


 黒姫は、肩をすくめて笑った。


 けれど、その笑顔はとても寂しそうだった。


「だから、自分のことも他人のことも、信じられない」


「……」


「でも白乃は、嘘つかない。黙ってても、すごく正直」


 はっとして、白乃は目を見開いた。


 まるで心の奥を言い当てられたような気がした。

 

「私は、嫌いだよ。自分のこと、うまくできないし……かわいくもなれないし、声も出ないし」


「うん。私も、自分のこと、嫌い」


 目が合った。


 そこには、傷を抱えた少女同士の、静かな共鳴があった。


 白乃の手が、震えながらも黒姫の指を探す。


 黒姫はゆっくりと、それを握り返した。


 柔らかくて、でも確かな温度がそこにあった。


「白乃」


「……うん」


「キス、していい?」


 その言葉は、あまりに優しくて。


 でも、それはまるで「逃げてもいい」と言ってくれているような優しさだった。


 白乃は首を横に振った。


「わたしから……したい」


 頷いた黒姫の前髪が揺れる。


 白乃は背伸びをして、そっと唇を寄せた。


 触れるだけの、かすかなキス。


 でも、確かに触れた。


 世界で、たった1人のひとと。


 目を開けたとき、黒姫の目が潤んでいるように見えた。


 白乃の胸に、強い鼓動が走る。


「……ありがと」


 その一言で、白乃の涙がこぼれた。


 自分がずっと嫌いだった。


 けれど、この手を取ってくれた子にだけは、嫌いになられたくなかった。


 そんな想いが、ちゃんと届いた気がした。


 2人の手は離れなかった。


 暗くなりかけた街を、影を並べて歩いていく。


 白い靴と、黒い靴が、並んで響く。


 ――明日も、この手をつなげたらいいのに。


 少女の心の片隅で、そっと願いが灯った。


(了)

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