亡 の男
ある
彼はすくすくと成長して 学校に通い白杖をつき,人と比べると不便であるかもしれないが大きな苦労なく生活ができるようになった.
それからしばらく経ち,奇妙なほど閑散とした休日の朝,散歩の途中にいきなり話しかけられた.
「 は要りませんかァお兄さァん.」
その不気味で中性的な声にどきりと驚いたと同時に,彼は安心していた.
今日は普段と比べて人通りがなかったこともあって,人を感じられるのはその不気味な声だけだったのである.
「いまいち聞こえなかった.もう一度言ってくれないかね.」
不気味な声の主はちょっと苛立った様子で,しかし再び言った.
「だから は要りませんかァと言っとるのですよォ」
彼は慌てた.こんなに静かな通りでも,肝心の言葉が聞こえないのだ.そこだけがちょうど水が耳に入った時のように聞こえない.
「聞こえてない様子だからもう一回言うけどォ 、 ェ、要りませんかって言ってんのよォ」
これ以上繰り返させるのは失礼になると,彼はそう思った.
「分かった分かった.一体幾らだい?ちょうど散歩中だが,幸い手持ちはある.」
「いんやァお兄さん,ただでいいぜェ.儂が長年使っちまったからなァ」
耳元で蛞蝓が這っているような音がする.じゅぬじゅぬと不気味な音がして,声の主がすたすたと正面に立った.
「返すわァ.二十年だったか.ありがとなァ」
艮底に痛みが走る.手のようなものが顔に触れている.
そして彼は教養のなさを恥じた.指が六本ある人間を初めて知ったからである.
「よォし,これで良い加減よォ.呼び止めて悪かったァ.」
彼は光を感じた.視界を埋め尽くす眩しさに,慌てて固く目を瞑る.
彼の目が働き始めたのだ.
目を細めて開けて,声の主を探すけれど,周囲に人など一人もいなかった.
そして重大なことが起こっていると察した.この朝に人が一人もいないことなどあり得ないのだ.
近くに見えた公園に人が倒れている.見るからに力のない様子である.
歩き始めようとした時,衣服が擦れる音がした.
はっと足元を見ると,目が抉られて血涙を流すスーツ姿の男が…….
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