第16話 博物館でのデートー恋人同士の時間ー
リサの誕生日&湖畔デートから、二人が正式な恋人関係となり一週間。
土曜の朝の空気は少しだけ甘い。
今日は“研究を忘れる”と決めた――二人だけの、実験のない日。
エリックとリサは、デンバー自然科学博物館を訪れていた。
研究者カップルらしいデート先だが、今日ばかりは論文の話も抜き。
ただ手を繋ぎ、同じ空気を吸い、同じ景色を見たかった。
「久しぶりに研究を忘れて、のんびりしようね」
リサが指を絡めて言う。
「うん。でも、つい研究者の目で見ちゃうかも」
「もう……」
笑いながら、彼女は肘で軽くつついた。
⸻
最初に訪れたのは恐竜展示室だった。
巨大なティラノサウルスの骨格標本が、天井まで届きそうにそびえる。
エリックは見上げながら呟いた。
「この腸骨、応力のかかり方が綺麗だね」
「ほんと。海綿骨のパターン、今見ても合理的」
リサが笑う。「結局、研究者の目で見てるじゃない」
「ごめんごめん。でも、生命の設計って本当にすごいと思わない?」
「……そうね。私たちも、その連続の中にいるのかも」
二人の声は、展示室の静けさに溶けていった。
⸻
人体展示室に入ると、二人の目が輝いた。
脳の断面模型、神経系のネットワーク図、細胞の拡大模型。
リサが指を差す。
「あ、これ私たちの研究分野ね」
「このグリア細胞の図、すごく分かりやすい」
エリックが見入っていると、後ろからリサがそっと抱きついてきた。
「リサ……係員、こっち見てる」
「“静かに”のサインよ。私たち、静かでしょ?」
その囁きに、彼の耳が熱くなる。
人の目がある空間で触れ合う、そのささやかな緊張がかえって愛しい。
⸻
一通り見終えたあと、二人は館内のカフェに入った。
窓際の席に座り、コーヒーとケーキを頼む。
「楽しいね」
「うん。リサと一緒だと、何でも楽しい」
「私たち、相性いいよね」
「統計を取ったら、有意差が出るレベルで」
リサが吹き出して、フォークで軽く小突いた。
笑い声が静かなカフェに溶けていく。
テーブルの上で、二人の手が自然に重なった。
親指で相手の手の甲を撫でるだけで、言葉以上の想いが伝わる。
「ずっと一緒にいられたらいいのに」
リサが小さく呟く。
「いられるよ。僕が、そばにいる」
その言葉に、リサの目がふっと潤んだ。
⸻
午後はプラネタリウムへ。
「宇宙の神秘」という上映が始まり、天井いっぱいに星が広がった。
投映機の低い駆動音、ナレーション、冷房の風。
リサの髪の香りが、流星の光と一緒に流れていく気がした。
「隣同士で良かった」
「当然だよ」
彼は腕を回しながら、この暗さが永遠ならいいと思った。
「こうしてると、二人だけの世界みたいね」
「うん」
リサが小さく囁き、エリックの胸に頭を預ける。
「エリック」
「ん?」
「好き」
その言葉は、星のざわめきに吸い込まれていった。
「僕も。すごく好き」
⸻
上映を終えると、鉱物展示室に足を運んだ。
ライトアップされた宝石が、ガラス越しにきらめく。
「綺麗……」
リサの瞳にエメラルドの光が映る。
「五月の誕生石だよね。リサの月」
「覚えてたの?」
「もちろん」
「この前のペンダント、本当に嬉しかった」
彼女が首元に触れる仕草に、エリックは静かに微笑んだ。
⸻
夕方、博物館を出ると空はまだ明るい。
外の庭園には小さなベンチと、風に揺れる白い花。
「ちょっと座っていく?」
「うん」
リサが彼の肩に頭を預けた。
「疲れた?」
「ううん。ただ、こうしていたいだけ」
エリックがリサの髪を撫でる。
指先に伝わる感触が、彼女の温もりそのものだった。
しばらくして、リサが顔を上げる。
二人の顔が近い。
視線が合い、呼吸が重なる。
自然に唇が触れた。
湖畔の時よりも長く、静かでやさしいキス。
ベンチの向こうで小さな咳払いが聞こえ、二人は同時に肩をすくめた。
「……気にしない」
リサが笑う。
「うん」
エリックも笑い返す。照れと幸福が半分ずつ混じっていた。
⸻
駐車場へ向かう道で、リサが言う。
「今日みたいなデート、また行きたいな」
「どこでも一緒に行くよ」
「約束ね」
「約束」
車に乗り込む前、もう一度抱きしめ合った。
「大好き、エリック」
「僕も大好き、リサ」
研究者であり、恋人でもある。
二人の時間は、知と愛がゆっくり混ざり合う、静かな実験のようだった。
夕暮れに伸びた影が重なり、その重なりだけが、今日という日の確かな記録になった。
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