第15話 恋と花火

一段落したところで、お待ちかねの食べ物タイムになった。

 とりあえずいくつか買ってどこかで座って食べようということになった。

 二人で手を繋いで、いろんな屋台を回った。


 そして今、わたしたちは屋台通りから少し離れた場所にあるベンチに座っている。

 わたしは食べ物のプラケースがいくつも入ったビニール袋ベンチの上に置く。


「……改めて見るとやっぱり多いわね、涼子が買った食べ物。……食べ切れるの?」


 わたしが買ったのは。焼きそば、フランクフルト、肉巻き棒おにぎり。

 お好み焼きに焼きトウモロコシ。たこ焼きにイカ焼き。

 計七種類。それくらいだった。


「もちろんっ。そういう愛華は焼きそばだけでいいの?」

「足りるわよ。さっきリンゴ飴も食べたし」


 愛華は膝の上に載せた焼きそばのプラケースを開けながら言った。

 ……わたしにとってはリンゴ飴なんて別腹なんだけどな。

 やっぱり愛華には多いんだね。


 屋台通りから漏れ出る明かりを尻目に、わたしはお好み焼きのプラケースを開く。

 お祭りの屋台といえばこの薄いプラケースっていうイメージがあるんだよね。

 蓋を留めている輪ゴムを外す時の音は、こんな時だからか風情がある気がする。


 割り箸でなんとか一口分切って食べる。

 柔らかめの生地に広がるソースの味。

 家や店舗で食べるものとはなにかが違うと思う。


 それが雰囲気のせいなのかなんなのか、わたしにはよくわからない。

 ただ言えることはすごく美味しいってこと。


「……アンタって本当に幸せそうに食べるわよね」

「え、顔に出ててる?」

「自覚ないんだ」

「うん、幸せなのはそうなんだけどね」

「そう。……でも涼子がそうやって幸せそうに食べてるのを見てるの、実はなんか好き」

「え……」


 愛華が素直に好きだなんて言葉を使うなんて……。

 愛華に好きと言われるのは、それが恋愛的な意味じゃなくても嬉しい。

 でもそれ以上に気恥ずかしさのような、そんな気持ちが湧き上がってくる。


 心臓がドクドクといつも異常に脈だっている。

 大きく早く、高鳴っている。

 ……不意打ちすぎるよ。


 わかってる、これはそういう意味じゃない。

 わかっているし、心の中でも言い聞かせているのに。

 それでも早鐘が収まらない。


 ずっと緊張が続いているような。

 秘事を覗かれて焦っているときのような。

 愛華はそんなわたしの心なんて知らずに、焼きそばを口に運んでいる。


 愛華にとっては恥ずかしいことじゃないのかな。

 好意的なことを言うとき、いつもは恥ずかしそうにしているのに。

 それとは違うのかな。


 ……愛華の考えていることがわからない。


 わたしは落ち着こうと視線を逸らす。

 考えずに向けた先には屋台通りだった。

 祭り囃子が少し離れた屋台通りから明かりとともに漏れ出ている。


 楽しげに上がる笑い声。

 そんな騒がしさには浮かれ気分が混じっているみたいだった。

 お祭りは人を浮かれ気分にさせてくれると思う。


 ……だからなのかな。

 愛華が好きだなんて漏らしたのは、もしかしたらそんな浮かれた雰囲気だからなのかも。

 あの愛華ですらも浮かれているのかもしれない。


 だとしたらお祭りにはそれくらいの魔力があるのかな。

 ……わたしもこの浮かれ気分の中でなら素直に言葉を伝えられるような気がする。


「……あ、あのさ、愛華」

「……ん?」

「えっと、そのね……」



 瞬間、頭に小学生の頃の光景が浮かんだ。

 体育館裏の景色が映って……。



 

『うん、変だよ』

『女の子が女の子を好きになるのはおかしいよ』

 



 そして小さな頃に怖かったあの崖みたいなあの石階段が頭に過ぎった。



 ……。

 …………言えるわけないじゃん。


 頭に直接ひんやりとしたなにかを押し付けられたみたいだった。

 高鳴っていた心臓は落ち着いて、浮かれ気分が放つ熱が冷めていく。


 そうだ、決めたじゃないか。

 この想いは伝えないって、そう決めたんだ。

 熱の変わりに痛さを伴うほどの冷たさが胸につき刺さる。


 もう傷つきたくなんかない。

 あの時の痛みはもう二度味わいたくない。

 そう思っていたはずなのに。


 お祭りの雰囲気にあてられて想いを伝えようとするだなんて。

 わかっていたはずだった。

 伝えようとするだけできっと痛みはやってくるって。

 それなのになんでそんな大事なことを忘れてしまっていたんだろう。


「……やっぱり、なんでもない」

「そう? 急に元気なさそうだけど」


 愛華が心配そうに聞いてくる。

 ……愛華はやっぱり優しいんだ。

 口では無愛想を振りまいているくせに、相手を気遣っている感じがある。


 あのとき――、去年の体育館で愛華が鼻血を出したとき。

 愛華は付き添いをしようとしたわたしに突き放すような言葉を言った。

 でもわたしを責めるような言葉は言わなかった。

 気にしてないって。


 付き添いを拒否したのもわたしに、誰にも迷惑をかけないようにだったんだ。

 愛華の描く漫画が優しい物語なのはその気遣いが滲み出ているからなんだと思う。

 仲良くなってからは気遣ってくれているってわかる言葉が少しだけ出るようになった。


 愛華と仲の良いわたしだけがそれを知っている、と思うのは自惚れかな。

 わたしは愛華のそういう、優しくて相手を気遣ってくれるところも好き。

 ……わたしは愛華が好きなんだ。

 

 そう思うと胸に突き刺さる冷たさが鋭さを増した。

 でも今はこの痛みに耐えるしかない。


「大丈夫だよ。元気だからっ」


 あれだけあった食欲はもうすっかりなくなっていた。

 でも愛華に心配させるのは嫌だった。

 だから無理やり口に詰め込んでいく。

 愛華に元気だって思ってもらえるように、幸せな表情を意識しながら。


「……それだけ食欲があるのなら大丈夫そうね」


 愛華が呆れたように笑った。

 わたしは人知れずほっとした。

 よかった、なんとか誤魔化せた。

 


   ○



 食事の時間が終わって、そろそろ花火が上がる頃。

 わたしと愛華は少しでも花火が見やすいように、少しだけ高い場所へと移動していた。

 みんな同じように考えたんだろう。

 その場所は思ったよりも人が多かった。


 わたしの心の中にはまだ冷たい棘が残っていた。

 でも顔では笑って愛華と過ごしていた。


 こういうとき自分が取り繕うことが上手くてよかったと思う。

 愛華にバレなくて済む。

 やがて手を繋いだわたしと愛華の頭上に花火が上がった。


 言えない言葉。

 もうすぐ終わる恋人ごっこ。

 そうやって花火を見ていると、その二つの切なさが込み上げてくる。


 どうしようもない寂しさが心を静かに乱していく。

 隣で花火を見上げる愛華を見ているとなにかを欲しがっている自分に気がついた。

 それは心の棘を溶かしてくれるもので、この寂しさを埋めてくれるもの。


 それは一体なんなんだろう。

 わたしは愛華に何を求めているのかな。


 ……あ、そうか。

 わたしはきっと愛華と――。

 


 ――キスがしたい。


 

 明確な理由なんてなかった。

 論理的に説明しろって言われてもできない。

 でも聞いたことがある。


 寂しいとき。

 辛いことがあったとき。

 自分の大切な誰かとキスをしたくなるって。


 これはそういうことなんだろうか。

 でもそんなことできない、よね……。


 愛華の小さな手をギュッと握る。

 何事かと愛華が私の方へと視線を向けてくる。

 目が合って……。


 わたしを見上げる愛華の瞳に花火の光が映った。

 ドクンっと、心臓が大きく脈打った。

 なんでか花火の音が遠ざかっていく。


 周りの人たちが視界の端から消えていく。

 愛華だけしか見えなくなる。

 そのときふっとなにかがわたしの中で切れたような気がした。


 ……。

 …………わたしは愛華へと顔を近づけていく。


 最初戸惑っていた様子だった愛華の顔。

 それがなんでかまんざらでもない顔になったように見えた気がした。

 わたしの幻覚かもしれない。

 それでもいい。


 たとえ幻覚だったのだとしてももうどうでもよかった。

 ただわたしは愛華とキスがしたかった。


 愛華の唇が近い。

 もうすぐ届く。

 ――そして。


 わたしの肩を誰かが叩いた。

 顔だけで振り向くと、そこにいたのは双葉ちゃんだった。


「……双葉、ちゃん?」


 その姿を認めた瞬間、わたしは我に返った。


「涼子先輩っ、こんばんはっ」


 双葉ちゃんが花火に負けないように大声で言ってくれた。


「あ……うん」


 わたしは双葉ちゃんの耳元に口を近づけて。


「こんばんは」


 そして無理に笑ってみる。

 幸いなことにその『無理に』が双葉ちゃんに伝わっていないみたいで安心した。

 わたしの横から愛華の方を覗いた。


「愛川先輩もっ、こんばんはっ」


 愛華は小さく頷いて返すと、さっと花火へと視線を向けてしまった。

 わたしと愛華はどちらともなくパッと繋いだ手を放した。


 ……わたし、なにをしようとしていたんだろう。

 あんなことをしようとするだなんてどうかしている。


 ただ自分の辛さや寂しさを埋めるためだけに愛華の唇を奪おうとする。

 そんなの自分勝手すぎる。

 ……わたしはやっぱり最低な女だ。


 手の中に愛華の体温が残っている気がする。

 人知れず手を開いたり握ったりを繰り返す。

 残り香みたいにまだ微かに感じる愛華の手の感触。


 それがどうか消えないようにと祈るみたいに……。

 でも残り続けるわけもなくて、音もなく静かに消えていった。

 花火の音がやけに乾いて聞こえた。

 

 

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