第三章

第14話 恋と夏の夜

 わたしの家の近所にはとある公園がある。

 小学生の頃はよく遊びに行っていた公園でわたしにとっては馴染み深い。

 その公園は三段にわかれていて、それぞれ雰囲気が違っている。


 一段目がグラウンド。

 二段目が一番狭い場所で砂場があった。

 そして三段目は森のような場所で休憩スペースと散歩コースがある。


 その三段目は空が緑の葉に覆われていて木漏れ日だけが隙間から差し込んでいる。

 すぐそこは道路なのになぜかすごく静かで、少し涼しくて木々と土の匂いがする。

 夏の日には居心地のいい場所だった。


 でも小さい頃はその場所があんまり好きじゃなかった。

 昼間でも薄暗くて、いつも人気がほとんどない。

 それになにより小さなわたしにとって怖いものがあったから。


 三段目には公園の出口が三つある。

 一つは公園の出口。

 一つは二段目に続く出口。


 そしてもう一つは一段目へ直接行くための出口。

 三つ目の出口は三段目の場所から見ると先に続くはずの道が途切れて見える。

 そこからはただ青い空が覗ける。


 そこに道はない。

 でも代わりに急な石階段がある。

 壁に段差が掘られたように見えるほど、その石階段は急だった。


 公園の二段目を飛び越えて一段目への直通階段。

 小さな頃、わたしはその階段が怖かった。

 だって急すぎて崖に見えていたから。


 この先には道がなくて、進んでいったら落ちるんじゃないかって……。

 幼いわたしはそれが怖かった。

 今はそんなことないとわかっている。

 だけど、子供の頃は怖さだけが先行していたんだ。



   ◯



 期末テストやらなんやらが終わり、夏休みまであと少しになった。

 恋人ごっごは一学期いっぱいまでって決めていた。

 だからもう少しでわたしと愛華の関係はもとに戻ってしまう。


「……嫌だな」


 夕暮れが近づく空を眺めながら、わたしは人知れず呟いた。

 わたしは今電車に乗っていて、ドア近くの座席横の衝立にもたれかかっている。

 今日は花火大会がある。


 そこでわたしと愛華は恋人ごっごの最後に浴衣デートをすることになっていた。

 愛華とは電車内で合流することになっていて、だからわたしはまだ一人だ。

 浴衣デートということでわたしは浴衣を着ている。


 水色に色とりどりの水風船が描かれているもの。

 かわいい模様で気に入っているやつだ。

 

 電車内には他にも浴衣姿の人たちがいる。

 みんなこれからを思ってか楽しげだった。


 愛華が乗り込んでくる駅までは後もう少し。

 もうすぐ愛華に会える。

 浴衣デートだってできる。


 これから楽しいことが待っているのに、わたしは少しだけ憂鬱な気分だった。

 もっと愛華とごっごでもいいから恋人でいられたらいいのにって思う。

 でもそういうわけにはいかない。


 もちろん愛華と遊びに行くことはできるかもしれない。

 でもそれは元の関係として。

 スキンシップをしたり、デートだって喜んだり。

 そういうことはできない。


 だって愛華はそういうものを求めていないから。

 あくまで期間限定の取材という名目があるからしかたなくわたしの提案を受入れただけ。

 苦手なスキンシップだって我慢して付き合ってくれているんだ。


 期間が終わればもうできないこと。

 やれなくなってしまうことなんだ。

 だからもうすぐ期間が終わるって思うと、なんだか心の中が憂鬱で埋まってしまう。


 ……ホント、終わってほしくないな。

 電車内にアナウンスが流れる。

 愛華の待つ駅に到着するみたい。


 そうこうするうちに電車はホームへと侵入して、やがてゆっくりと停車する。

 窓の向こうに愛華の姿が見えた。

 ここまで続いた憂鬱が静かに晴れていく。


「……すごいな、愛華は」


 どんなに嫌な気分でいても、愛華の顔を見ただけで元気になれる。

 わたしが単純なだけかもしれないけど、それでも愛華の存在だってすごいんだ。


 ドアが開いて愛華が乗り込んできた。

 愛華は黒色に白百合の模様が描かれた浴衣を着ていた。

 髪はサイドアップにしていて、落ち着いた花のかんざしでまとめている。


 全体的に上品って印象で、すごく愛華らしくていいと思う。

 端的に言うとすごく……。


「……かわいい」

「出会い頭に急になに」

「あ、ごめん。……すごく似合ってるからつい」

「……ありがとう。涼子も似合ってる」

「えへへ、照れちゃうな。ありがとっ」


 会場まではまだかかる。

 それまでの間、わたしたちは他愛もない会話をして過ごした。

 愛華との会話はやっぱり楽しくて、もうすぐやってくる終わりを忘れられた。



   ○



 会場に着いたわたしと愛華は、まず屋台をまわることにした。

 今回のお祭りは中高生が多く来るもので、大人はそこまではいないみたい。

 だから周りはみんなわたしたちくらいの子たちばかりだった。


 普段車道の通りは通行止めになっていて、屋台がずらりと並んでいる。

 お祭りの屋台って感じのいい匂いがあたりに漂っている。

 だからわたしはすごくいい気分だった。


 美味しいものに囲まれているみたいですごくいい!

 わたしと愛華は手を繋いで、屋台通りを歩いていく。


「あ、たこ焼き買お! 焼きそばもフランクフルトも! 肉巻きおにぎりもあるっ。あ、お好み焼きも絶対いる!」

「……そんなに食べるの?」

「せっかくのお祭りなんだから食べられるだけ食べないと」

「アンタの中でお祭りって食べ物しかないの?」

「そんなことないよ。他のもちょっとはあるよ」

「ちょっとなのね……。先に他の見て回りましょ」


 とりあえず食べ歩き用にリンゴ飴だけを一本ずつ買って屋台通りを進んでいく。

 わたしたちがまず寄ったのは水風船釣りの屋台だった。

 水風船が浮かぶプールの傍にしゃがみこんで、二人並んで紐を垂らす。


 わたしは水色の水風船を狙って紐の先にあるフックを輪に引っ掛けようとする。

 でも上手くいかず、それが何度も続く。

 だから一回紐を引き上げて仕切り直す。

 そしてもう一度チャレンジしようとしたとき……。


「あっ」


 紐が手から滑り落ちて水の中に落ちてしまった。


「なにやってるの」


 愛華がふっと笑う。


「もう一回やる!」


 もう一度お金を払って紐をもらう。

 今度はフックを輪っかに引っ掛けることに成功する。

 ……あとは釣り上げるだけ。


 よしっ、今度こそ釣り上げるぞっ。

 わたしは勢いよく紐を引き上げる。

 そして――。


「あっ」


 紐が切れてしまった。


「……ドンマイ」

「……わたし世界一水風船釣り下手かもしれない」

「いくらなんでもショック受け過ぎじゃない? 運が悪かっただけでしょ」

「だってわたし昔からこんな感じなんだもん。人生で二回くらいしか成功してないと思う」

「……それ本当?」

「うん、体感」

「体感」


 愛華は軽く息を吐き出すと、浴衣の袖を上げて紐を垂れ下げる。

 そしてちらっとわたしを横目で見てきた。


「しかたないからあたしが涼子の分も取ってあげる」

「ホント?」

「まあ、そんなに難しいやつじゃないし」

「……もしかしてわたしのことバカにしてる?」

「不器用かなって思ってるだけ」

「……それはそうだから否定できない」


 愛華はわたしの狙っていた水色の水風船にめがけて紐をおろす。

 そしてひょいっと水風船を釣り上げた。

 それはもうわたしの手間取りが嘘のように。

 

 ついでとばかりに別の水風船も一つ釣り上げっる。

 ……そんな簡単に。

 え? わたしホントに世界水風船釣り大会最下位女?


「はい、あげる」


 愛華が釣り上げた水色の水風船をわたしに渡してくれた。


「ありがとっ」


 でもわたしのために愛華が水風船を取ってくれたことはすごく嬉しい。

 わたしのため、っていうのがホントに。


「なんでそんなに嬉しそうなの? 水風船大好きなの? ……あ、だから浴衣の模様水風船なのか」

「違うよ。これはかわいいから着てるんだよ」

「……そうね、かわいいとは思うけど」

「なんか含みあったりする?」

「まさか、ないわよ。……好きじゃないならなんで嬉しいの?」

「愛華が取ってくれたからだよ」

「? ありがとう……?」


 どうも愛華にはわからないみたい。

 でもそれでもいい。

 これはきっと些細なことなんだろう。


 でもわたしにとっては違う。

 どんなに些細なことでも相手が愛華ならなんでも嬉しい。

 だから嬉しいこととして心の宝箱にしまっておくんだ。

 それだけで充分だから。


 その後もわたしたちはいろんなゲームを見て回った。

 たとえば射的。

 ここでもわたしは不器用を発揮してしまった。

 明後日の方向に撃ったり、構える前に誤射して自分を撃ったり……。


 愛華なんて「そんなことある?」ってちょっと呆れていた。

 逆に愛華はそつなかった。

 流石に全弾命中はなかったけど、景品のお菓子をいくつか手に入れていた。


 いくつかゲーム屋台に行ったけど、わたしは不器用で愛華は器用って感じだった。

 愛華ってすごいな。

 器用だからなのかなんでもそつなくこなしてしまう。


 わたしなんて運動はできるのに、それ以外の細かいことが不器用なんだよね。

 バレーでサーブを打てても水風船釣りはできない。

 それがわたしなんだ。

 


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