第4話 恋と鍵

 部活が終わり、下校時間になった。

 わたしは夕焼け色に染まる校舎を愛華と並んで歩いていた。

 廊下に並ぶ窓の外では片付けをする運動部員の様子が見える。

 なんとなくそれをちらりと視界の端に映して、わたしは隣の愛華へと視線を戻す。

 昇降口に向かって歩きながら、わたしたちは他愛もない会話を楽しんでいた。


「それにしてもやっぱり憂鬱よね」


 愛華が言った。


「憂鬱?」

「だって明日、一時限目から体育でしょ? なんで朝から運動しなきゃいけないのかしらね。体力がすっからかんになったらどうしてくれるのよ」

「えー。わたしは別に平気だけどな、朝から体育でも」

「……そういえば涼子は体力バカだったわね」

「やめてよ。それじゃあわたし、体力だけしか取り柄がないみたいじゃん」

「そんなことは言ってないでしょ」

「じゃあわたしのいいところ言って」

「どうしてそんなこと」

「いいから言ってよ」


 愛華は呆れたようにため息をついた。

 そうしながらも無視されることはなかった。


「……身長が高くてスタイルがいいところ、とか?」

「……別のがいい」

「なんでちょっと不機嫌なのよ。褒めてるのに」

「いいから他の!」

「……わかったわよ」


 愛華は考えるように顎に手を触れる。

 まるで考えないと出てこないと言われているようで……。

 わたしは人知れず少しだけ悲しくなった。

 ……自分のことながら面倒くさい女だなとも思った。


「そうね……。一緒にいると居心地がいい、とか?」

「それホント?」

「……別に、嘘じゃない」


 愛華は照れたように顔を背けてしまった。

 わたしはニヤニヤを止められなかった。


「えへへ」


 ていうか声に出していた。嬉しさが漏れ漏れだった。


「なにニヤニヤしてるの」

「だって嬉しいんだもん」


 ……自分のことながら単純だな。

 でもだってしょうがないじゃん。

 他でもない愛華から『一緒にいると居心地がいい』なんて言われたんだよ?

 そんなの、嬉しいに決まっているじゃん。


 そうこうしているうちに下駄箱にたどり着く。

 靴を履き替えて昇降口をあとにして、わたしと愛華は校門へ向かって歩き始めた。

 視界の先に校門が見えてきた時、わたしは寂しいなって思っちゃう。


 だってそれは愛華との別れが近づいているっていうことで……。

 やっぱり……、嫌だな。

 それでもどうしたって、その時は一歩ずつ近づいてきてしまう。


 どうすることもできないまま、わたしたちは校門にたどり着いてしまった。

 校門前でわたしたちは立ち止まる。

 

 わたしは校門を背にして左の道に行けば家へ帰れる。

 でも愛華は反対で、駅のある方向である右の道に行く。

 ……ここで別れないといけない。

 愛華の住む街はここじゃないから。


 愛華が住むのは隣街で、電車に乗っていかなければならない。

 帰り道も住んでいる街も違う。

 わたしにはそれが大きな隔たりに思えてならない。


 なんでわたしと愛華は別々の街で生まれ育ったんだろう。

 同じ街に住んでいたら、もう少し一緒にいられたかもしれないのに。

 愛華と校門前で別れることなんて、なかったかもしれないのに。


 そう思うと心の奥が注射針で刺されたようにチクリと傷んだ。

 だから――。


「……ねえ、愛華」


 そんなふうに愛華を呼び止めていた。


「なに、涼子」


 でも言えるわけがなかった。

 日常的な、明日もやってくる行為に対して離れるのが寂しいだなんて……。

 そんな恋人に向けるような感情は、わたしたちの関係にはふさわしくない。


「……ううん、なんでもない」

「……変なの」

「ごめん、ごめん。……また明日ね」

「うん、また明日」


 わたしが手を振ると、愛華は軽く振り返してくれる。

 そうして愛華は背中を向けて歩き出す。

 ……わたしから遠ざかっていく。


 その小さな背中に触れようとするように手を伸ばしかけて――。

 わたしはそっと手を引っ込めた。

 その手で自分のスカートをギュッと握りしめる。


 ……わたしは決めたんだ。

 誰かに恋をしても、その気持ちは伝えない。

 だからこれでいいんだ。


 そう思っているのに、心の痛みは消えてくれなかった。

 わたしはその場から逃げるように、自宅へと駆け出していた。


 愛華に想いを伝えることはできない。

 でもそんなわたしにもできることがある。

 きっとそれは愛華に知られれば嫌われてしまう行為。


 わたしだってそれが気持ちのいいものではないとわかっている。

 人によっては気持ちの悪い行為だと思う。

 でもその行為でしか、わたしの気持ちは発散できない。


 家に帰り着いたわたしはただいまの挨拶もそこそこに、自分の部屋へと駆け込んだ。

 背負っていたリュックをベッドへと放って、小学生から使っている勉強机へと向かう。

 勉強机に備え付けられた一番上の鍵付きの引き出し。

 その鍵を開けて引き出しを開ける。


 そこに隠し入れているのは数冊のノート。

 タイトルの書かれていないそれは誰にも見せられないわたしだけの秘密。

 わたしは一番上のノートを机の上で開く。


 そこには漫画を描いている。

 鉛筆だけで描いた漫画。

 わたしが描いた、いや描き続けているもの。

 登場人物はわたし自身と、そして愛華。


 でも描いているのは現実の出来事じゃない。

 わたしは椅子に座って鉛筆を取る。

 そして思うままに漫画の続きを描き始めた。





 夕日を背景に学校をあとにする二人の女の子、

 わたしと愛華の後ろ姿。

 漫画の中の二人は手を繋いで、一緒に同じ帰り道を歩いていく。

 校門前で別れることなんてしない。

 他愛もない会話をしながら楽しく歩く。

 やがて隣同士に建つ二人の家の前に着いた。

 そこで顔を向き合わせた二人はゆっくりと顔を近づけていく。

 漫画の中のわたしは愛華の頬に手を触れて、小さな愛華へと屈んだりなんてして。

 愛華は踵を浮かして背を伸ばして。

 そうして二人は静かにキスをする。

 やがて顔を離し、わたしは言う。

『ずっと一緒にいようね』と。

 愛華は照れた表情で、『……うん』なんて返すんだ。





 これは現実にはなり得ない、妄想の世界の物語。

 わたしにとっての理想の世界だ。


 愛華とこんなふうな日々を送りたい。

 送ることができたらどんなに幸せなんだろう。

 でも願ったところで叶わない。


 だからせめてという思いからわたしはこの漫画を描き始めた。

 物語の中でだけは愛華と恋人になって、幸せな日々を送りたいという願望の塊。

 現実にはできない欲望を発散させるための漫画なんだ。


 そうすることで、わたしは自分自身を保つことができていた。

 愛華に見せることなんて絶対にできない。


 こんな醜い欲望は知られちゃダメ。

 こんなものは引き出しにしまって鍵をかけておくんだ。

 これがわたしにできる精一杯の、現実への抵抗だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る