第5話 殺人鬼

 今が朝なのか夜なのかすらわからない。


 目覚めたリオンは、悪夢であってほしいと願った現実に帰ってきた。


 相変わらず自分は拘束されたままで、身体のあちこちがずきずきと痛む。


 それでも現金なもので、空腹を訴える身体に溜め息をつきつつ、よろよろと立ち上がって数歩歩き、段ボールから水とクッキーを取り出して食事とした。


 きっと今頃、帰らない自分を心配して家族が探してくれているはずだ。


 助けはすぐにくる。


 リオンはそう思うことで、恐怖にあらがうことしかできなかった。


 永遠にも感じる時間を過ごすうち、脱出の糸口を探すべきだと思い立ち、リオンは立ち上がった。


 鎖の長さから、移動が可能な範囲はたった数歩分しかない。


 収穫は望み薄だろうと思ったが、ピアノの上に光るものを見つけて、リオンは息を呑んだ。


 小さな鍵があった。


 手を伸ばすと、指先に鍵が触れ、掴み取ることができた。


 急いで足枷の鍵穴に挿し込むと、かちりと音がして、鍵が外れた。


 リオンは力を振り絞って階段を駆け上がり、重いドアを身体ごとぶつかって開けた。


 一階へ到達すると、廊下には誰もいなかった。


──逃げられる。


 希望が胸に灯り、足が軽くなる。


 見覚えのある玄関に辿り着いたときには、逃げ切れるという確信を抱いた。


 はだしのまま玄関ドアを開けようとしていると、「なにしてるの?」と滝沢の声が背後から聞こえて、リオンは凍りついた。


 ゆっくり振り向くと、二階への階段の途中に滝沢が座っていて、こちらを見ていた。


 滝沢は立ち上がると、片手に持った刃物をちらつかせながら、もう片手でスマホを持って近づいてきた。


 絶望を感じた途端、身体のあちこちが痛んだ。


「逃げようとした罰」


 そういうと、滝沢がスマホをかかげて見せる。


 動画が流れはじめ、同時に悲鳴がスマホから聞こえた。


 揺れる画面の中に、リオンの母親の恐怖に染まった顔が現れ、すぐに苦しそうな呻き声が漏れ聞こえた。


 母親の腹に、刃物が深く突き刺さっていた。


 何度も何度も鋭利な刃物が母親の身体に突き立てられ、そのたびに画面が血のシャワーで汚れる。


 傷口がアップで映ると、リオンは見ていられず目を閉じた。


「ちゃんと見なきゃ駄目」


 首元にひんやりとした感触の刃物を突きつけられ、仕方なしに目を開けると、今度は妹が滝沢の餌食になっていた。


 リオンの自宅の玄関は血の海で、そこに母親と妹が浮かんでいる。


 そこで一度画面が真っ黒になった。


 一瞬ののち、野太い叫び声が鼓膜を揺らした。


 父親が滝沢に襲われていた。


 頭からつま先まで、執拗しつように刃物が振り下ろされ、血飛沫ちしぶきが見慣れた自宅の玄関の壁や床に飛び散っている。


「これでいらない人間は退治できた」


 ぴくりとも動かなくなった家族三人を映した動画はやがて終わり、滝沢はスマホをしまった。


「あ、これ、お土産」


 滝沢は先ほど座っていた階段から、スーパーの袋を取り上げ、無造作にリオンに手渡す。


 滝沢が握っている刃物には、べったりと血痕が付着していた。


 家族全員を殺した凶器なのだろうと察せられた。


 ずしりと重い袋の中を見て、リオンは吐き気に襲われ、口元を手で覆った。


 中には、人間のものとおぼしき身体の一部が入っていた。


「切り取るの結構苦労したんだ」

 

 そういった滝沢は、刃物を床に置いて、袋に手を突っ込むと、血が滴る肉塊にくかいを口に入れ、咀嚼そしゃくした。


「これがリオンの家族の味なんだね。

 やっぱりリオンの血のほうが美味しい。

 ほら、リオンも食べて」


 滝沢が肉塊をリオンの口に押し込む。


 怖気おぞけが走って、本能的な嫌悪感から、肉塊を吐き出す。


 涙が浮かんだ。


 家族はみんな殺された。


 この女ひとりの手によって。


 なんの罪もないのに。


「ほら、ちゃんと食べないと。

 大好きな家族なんでしょう。

 美味しく食べてあげないと、成仏できないよ」


 滝沢はリオンの家族のものだった肉片や内臓を取り出しては、くちゃくちゃと不快な音を立てて食べ続けている。


 その口元は鮮血で真っ赤に染まっていた。


 異常な光景にリオンの頭は真っ白になる。


 頭がしびれて、まともに考えることができない。


 立っていられなくなったリオンは再び地下室へと連れ戻され、今度こそ足枷を固くロックされた。


 滝沢が鍵をもてあそんでいるのを見て、脱出が成功したのは滝沢が仕組んだことなのだとようやく理解した。


 わざわざ手の届く範囲に鍵を置いていったのだ。


「ねえ、私のことも食べてよ」


 ぐったりと座り込んだリオンに、滝沢はそう言った。


 刃物を手に取ると、自分の腕を躊躇いなく切り裂き、そこから流れた血を紙コップに注いで、リオンの頭を固定すると、それを口に流し込む。


「……ぐっ……」


 鉄の匂いと、どろりとした感触に生理的な嫌悪感が働き口から出そうとするが、滝沢がそれを許してくれず、リオンは喉を鳴らして血を飲む羽目になった。


 あまりの気色悪さに涙が滲む。


「お腹空いちゃった。

 ちょうだい」


 滝沢はリオンの胸の中心辺りに刃物を突き立てると、肉をえぐった。


「──っ!」


 あまりの激痛にリオンが声にならない叫びを上げる。


 抉った肉を口に突っ込み、咀嚼しながらまた刃物で抉る。


 それを三回ほど繰り返すと、ぽっかりと肉を抉り取られて穴の空いた傷口から流れる血液まですべて舐め取り、「ご馳走様、美味しかった」と満足した様子で滝沢は食事を終えた。


 意識を失いかけたリオンは、このまま死んでしまったほうがどれほど楽かと思ったが、気絶する寸前で、頭から冷水を浴びせられ、意識を繋ぎ止めさせられた。


 滝沢がペットボトルの水をリオンにかけているのだった。


「一応、消毒。

 ま、私が舐めといたから化膿かのうはしないと思うけどね」


 なんの自信からくる台詞せりふなのか。


 痛みよりも怒りが勝ち、かっと頭に血がのぼる。


「ねえ、世界でふたりきりだと考えて。

 そうしたら、リオンは私を愛するしかなくなるし、私もリオンだけを心から愛する。

 お互い以外、いらないの。

 私たちは結ばれる運命なんだよ」


 血がべったりと固まって付着した滝沢の唇が、リオンの唇を塞ぐ。


 鉄の味がして、でも温かくて柔らかい唇の感触が意外だった。


 この猟奇的な女にも、人の血が通っているのだとなぜか痛感させられた。


 だからこそ、こんな残虐な行動を顔色ひとつ変えずおこなってしまう滝沢の異常さが際立った。


 口づけが終わると、不意に滝沢が立ち上がり、「出かけてくる」と言ってきびすを返した。


「待て……どこに……」


 リオンの意識が薄らいでいく。


「さっきの血の中に睡眠薬入れておいたから、すぐ効くはずよ。

 眠っている間に用は片付くから、心配しないで休んでて」


 用?


 用とはなんだ?

 

 今度はなにをするつもりなのか。


 そう問いただしたかったが、滝沢が部屋を出る様子すら見届けられないまま、抗えない眠気に目を閉じ、そのまま深い眠りに落ちていった。

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