第7章 信濃勧進帳

【読者の皆さまへ】


 お読みいただき、誠にありがとうございます。


【作品について】

 ・史実を下敷きにしたフィクションであり、一部登場人物や出来事は脚色しています


 ・本作品は「私立あかつき学園 命と絆とスパイ The Spy Who Forgot the Bonds」の遠い過去の話です。

https://kakuyomu.jp/works/16818622177401435761


 ・「私立あかつき学園 絆と再生 The Girl who discovered herself」と交互連載です。

https://kakuyomu.jp/works/16818792437738005380


 ・この小説はカクヨム様の規約を遵守しておりますが、設定や世界観の関係上「一般向け」の内容ではありません。ご承知おきください。



 ・今作には[残酷描写][暴力描写]が一部あります。


 ・短編シリーズ始めました(2025年8月16日より) https://kakuyomu.jp/works/16818792438682840548



 ・感想、考察、質問、意見は常に募集中です。ネガティブなものでも大歓迎です。




【本編】

 数日後――。

 富士の東麓を越え、三人は真田の待つ上田城を目指していた。


 ――信濃の山中。

 信康、亮衛門、京次郎の三人は、険しい峠道を歩を進めていた。


「雪が残っておるし、険しい獣道じゃ。猪でも出そうじゃ」

 亮衛門が肩を竦める。


「……本来なら甲斐国かいのくにを通る街道の方が――最も早いはずだが」

京次郎が少し腫れた瞼を押さえた。

そして、眉をひそめる。

「しかし、そこは武田家の巡回路。通れば怪しまれる」


 信康は口を結び、短く言い切る。

「東に迂回し、山中を通る。ここは急がば回れだ」


 ――その時。


「止まれ!」

 男の怒号が響き渡る。

 そして、木立の向こうから、赤地に白く染め抜かれた「四菱」の幟が揺れた。

 

 亮衛門は声の方向に目を凝らした。

「武田四菱じゃ!まずいぞ!」


 京次郎は冷静な顔で、様子を見る。

「武田兵のようじゃな……」

 現れたのは数人。鎧兜に身を固め、こちらを睨み据える。


 すると、武田兵の一人が信康達を見据える。

「こんな山中で何をしている? 名を名乗れ!」

 先頭の兵が鋭く声を放った。


 信康の顔に、焦りの色が浮かぶ。

 (まさか……こんな山道で――)


 一触即発の空気が漂う――。


 ――カチャッ――。


 京次郎が思わず柄に手をかける。

 そして小声でつぶやきを漏らす。

「真田まで、後数日――ここは……殿?」

「やるしか――ないのか……」


 ――その時!


「無礼者!我を何と心得る!」

 だが亮衛門が一歩前に出て、胸を張った。


 ――沈黙。

 

 そして、次の瞬間。

 亮衛門は懐から巻物を取り出し、得意げに広げた。

 武田兵に強い視線を送り――吠えた。


「我々は!かの剣聖――上泉信綱こういずみ のぶつな様から……免許皆伝を賜りし者!武芸修行の旅の途中じゃ!」


 ――なんじゃ!?上泉信綱じゃと!?


 ――本当か?伝説の剣聖ではないか!


 武田兵たちが――ざわめき始める。

 

 それに構わず、亮衛門は巻物を広げたまま、口上を述べ始めた。

「剣聖・上泉伊勢守信綱の御証文に曰く――『この者ども、諸国を巡り、武芸を広めるにふさわしき者なり!』」

 

「しばし、待たれよ!その免許皆伝の書――真のものか?」

 そして、武田兵の一人が巻物を覗き込もうとする。


「ええい!剣聖の書を疑うのか!無礼千万!」

 亮衛門は大見得を切り――大声を上げ続ける。

「我こそは諸国を行脚し、学問と武芸を広める者なり!その供としてこの者二人が――我に仕えておるのだ!」


 武田兵のざわめきが、更に大きくなった。

「学問……? 武芸……?」


 信康と京次郎は、亮衛門の後ろから巻物を覗き込んだ。

 すると、京次郎は半ば呆れ返った。

「そんな免許皆伝など、あるものか……!会ったこともないだろう」

 

 巻物には、ただ三味線の楽譜だけが書かれているのが、信康には見えた。

(その巻物……小田原の渡瀬殿の――青柳譜ではないか……!)


「さらにこの我々は、古今東西の兵法を知り尽くし……」

 亮衛門はどんどん調子を上げ、でたらめを並べ立てる。


 京次郎が小声で呟いた。

「殿……これは……」

 信康も苦笑しつつ小さく返す。

「任せておけ。ああなったら止まらん」


 ――だが、その時。


 武田兵の一人が目を細め、信康をじっと見つめた。

「……待て。どこかで見た顔……三方ヶ原の退き戦で……!」


 空気が凍り付く。


(まずい……)

 信康は咄嗟に顔をうつ向けようとした。

「殿……」

 京次郎が小声でつぶやく。

 そして、信康の前へ静かに立ちはだかる。


 すると、武田兵の一人が声を上げた。

 「待て!なぜ顔を隠す!」


 ――バチィン!


 乾いた音が山中に響いた。

 亮衛門が信康の頬を打ち据え、怒声を張り上げた。

「お主のせいで疑われたではないか!大人しくせよ!」

 そして胸を張り、自らを指さす。

「我こそ、この免許皆伝状を持つ者ぞ!この従者どもを率い、諸国を巡る者なり!」


 

 ――武田兵たちが沈黙する。


 

 亮衛門がますます熱を帯びた。

 「この愚か者が!上泉先生の武芸百般を!世に知らしめる使命を忘れたのか!」

 そして、信康の頬をひたすら打ち続けた。


 ――バチィン!


 ――バチィン!


 ――バチィン!

 


 信康は打たれながらも、じっと耐え、顔を伏せる。

(亮衛門――お前は……)

 

 京次郎は冷静さを保ちながらも押し黙っていた。

 「……」

 

 すると、武田兵たちは顔を見合わせ、やがて槍を収めた。

 「もう良い。やめるのだ」

 「それくらいに、しておいてやれ」


 亮衛門の手が止まった。

 そして、信康たちが武田兵たちに視線を向ける。


 やがて武田兵たちが低く告げる。

「近頃はあちこちの国衆が怪しい動きを見せておる。この峠も武田の裏切り者が敵を引き入れぬよう見張っているのだ」

「疑ってすまぬ。偽りであるなら仲間を打つはずもない」

「真に武芸を極めんとする者の……気迫、感服いたした」


 亮衛門が大きく頷き、胸を張った。

「うむ! では、通してもらおう!」


 武田兵たちは、うなづく。

「武芸の極み……精進なされよ」

 そう言うと、武田兵たちは踵を返し、姿と消した。


 ――山道に静けさが訪れた――残された三人は顔を見合わせた。

 

 

「……危なかったでござる」

 京次郎がため息を漏らす。

 信康も肩をすくめる。

「勧進帳の様だな……我は義経と言ったところか……」


 ――ズサッ!


 だが、亮衛門はすぐに刀を抜きかけ、地に膝をついた。

「殿!不敬を働いたこの身、今すぐ腹を――!」


 ――チャッ!


「やめよ!」

 すぐに信康が制した。頬を押さえつつ、静かに笑む。

「構わぬ。お主の機転で命が救われた。咎める理由はない」


 京次郎も腕を組み、冷静に言った。

「亮衛門。ここで腹を切られては、さすがに困る」

「だが……若殿はこの亮衛門をお許しになられるのか?」

 亮衛門は涙目でうなだれた。


 信康は亮衛門をまっすぐに見た。

 そして、力強くうなづく。

 「無論だ!」


 亮衛門は涙した。

 強い視線を信康に送り返す。

 「若殿!ありがたき幸せにござりまする!」

 

 その時――。


 ――ガサッ!


 三人が一斉に振り返り、刀に手をかける。

 「また武田兵か!」

 信康が叫ぶ。


 ――ピョン!


 茂みから飛び出したのは一羽の白兎だった。


 「……」

 三人はしばし呆然とし、次の瞬間、同時に大きなため息をついた。


「まったく……心臓に悪い」

 京次郎がぼやく。


 信康は兎が去っていく姿を見送り、口元に笑みを浮かべた。

「……我らも、あの兎のように生き延びねばな」


 三人は再び山道を進み始めた。

 真田の待つ、上田城に向かって――。


 そして、信康は内心で思いをつぶやく。

(上泉……か――)

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