第10章 あかつきの野営

 【読者の皆さまへ】

 お読みいただき、誠にありがとうございます。


 【作品について】

 ・史実を下敷きにしたフィクションであり、一部登場人物や出来事は脚色しています


 ・本作品は「私立あかつき学園 命と絆とスパイ The Spy Who Forgot the Bonds」の遠い過去の話です。

 https://kakuyomu.jp/works/16818622177401435761


 ・「私立あかつき学園 絆と再生 The Girl who discovered herself」と交互連載です。

 https://kakuyomu.jp/works/16818792437738005380


 ・この小説はカクヨム様の規約を遵守しておりますが、設定や世界観の関係上「一般向け」の内容ではありません。ご承知おきください。



 ・今作には[残酷描写][暴力描写]が一部あります。


 ・短編シリーズ始めました(2025年8月16日より)

 https://kakuyomu.jp/works/16818792438682840548



 ・感想、考察、質問、意見は常に募集中です。ネガティブなものでも大歓迎です。




【本編】

 亮衛門と京次郎。そして信康は馬を駆り、東へ旅路を急いでいた。



 ――ヒヒーン!ドドドドドドド……。

 


 三人は隣国の上野国こうずけのくにに差しかかっていた。

 上田城を出て数日後のことだ。


 信康がつぶやきを漏らす。

「下野までまだ少しかかりそうだな」

 亮衛門が応える。

「ええ、まだまだ……追手も心配ですが……」

 すると、冷静な表情で京次郎が告げる。

「真田殿の馬は速い、これなら大丈夫だろう」

 

 深い山道を抜け、しばらくすると川辺が見えてきた。

 三人は川辺に沿って馬を走らせる。

 しばらくすると、陽が西に落ち夕陽が差し始めた。


 信康が神妙な顔つきになる。

「もうすぐ暗くなるな……」

 すると、亮衛門が提案する。

「殿。今宵は……野宿ですな」

 そして、京次郎が川の先に見える風景を指さした。

「小さな山がございますぞ。雨風を避けるにもちょうど良いかと……」

 馬は小さな山を目指して加速する。


 ――ドドドドドドド……ヒヒーン!


「止まれ!」

 信康が手綱を引き、馬を止めた。

 亮衛門と京次郎もそれに従う。


 そこは名も無き、小さな山の麓だった。

 森林がうっそうと生い茂り、小川が流れている。

「川はどこから……」

 信康は、水が流れてくる先に視線を探らせる。

 すると、水は遠くに見える大きな川から分流していた。

 川の北には、霧がかった連峰が見える。


 亮衛門も連峰を見ながら声を上げる。

「殿。あそこを超えれば越後国えちごのくにでございます」

 京次郎が頷きながら補足する。

「だが、あそこは上杉領。織田とは戦の真っ最中です」

 亮衛門が肩をすくめる。

「織田の宿老、柴田勝家殿が刃を交えているようです。」

 京次郎が首を傾げる。

「いつまで続くのやら……終わりは見えないようです」


 信康が京次郎に目を移す。

「仲介は頼めそうにないな……」

「その通りでございます」

 

 気が付けば、夕日が落ちようとしていた。

「ここで休もう」

 信康が命ずると、亮衛門が即答する。

「では拙者が火を起こします」

「殿、ここなら水もございます」

 京次郎はそう言うと、川の水面に両手を沈め、水をすくい上げる。


 ――ジュル……。


 そして、一口水をすすり、一瞬後にうなづきを漏らす。

 「良く澄んだ水ですな……きっと良い土を産むでしょう。魚も多くいるはず……」

 すると、亮衛門が揶揄うように言う。

 「目を洗わんのか?」

 京次郎は冷静なまま、静かに言う。

 「無用だ。すっかり治っておる」


 信康が笑顔でうなづく。

 「良き事だ。では、腹ごしらえでもするか?」

 

 亮衛門は大きく伸びをして笑った。

「そうでございますな!では、この川で魚でも捕まえますか!」


 信康が得意げにほほ笑む。

「ならば!得意とするところじゃ!」


 そして、しばらくして。

 小川の木陰に馬を留め、火が起こされていた。

 水の流れが静かにこだまする。


 ――パシャ……。

 

 信康は川の流れにゆっくりと足を踏み入れる。

 信康は静かに両の手を広げ、水面を睨んだ。

「捕えた!」


 

 ――バシャッ!


 

 見事に一匹の川魚をつかみ上げる。

「やったぞ!」


「殿!お見事!」

 亮衛門が歓声を上げる。

 京次郎も驚いた顔でつぶやいた。

「そんな技をお持ちとは……」


 信康は遠い目をして微笑んだ。

「幼き頃、父と川でよく遊んだからな……」


 ――そして、少しの時が流れた。


 すっかり夜を迎えていた。

 三人は小川のほとりで火を焚き、魚を炙った。

 香ばしい匂いが漂う。

 そして、焼けた魚を齧り始めた。

 

 亮衛門が骨をしゃぶりながら吐き出す。

「世の理不尽さ……私は許せませぬ。我が子の命を奪うなど……」

 京次郎は頷き、火に照らされた瞳を細めた。

「だが、誰かの助力を得られれば……道は開けましょう」

 

 信康は黙して夜空を仰ぎ、ひとことだけ漏らした。

「父上……」

 そして、焚き火に手をかざしながら、月明かりに照らされた北の連峰に視線を向けた。

「あの向こうにある越後の上杉も、昔は武田と争っていた……長かった川中島の戦いも、遠い昔のように思えるな」


 亮衛門が頷く。

「謙信公は景勝殿に、信玄公は勝頼殿に代わり……世代は移れど、武田はいまだ油断なりませぬぞ」


 京次郎が冷ややかに言葉を継いだ。

「もっとも……武田は翳りを見せ始めていると――昌幸殿は仰せでしたな……」


 信康はしばし黙し、遠い目をした。

「……川中島で命を落とした者は数知れぬ。父上からも、多くの子が親を失ったと聞かされた……。生き残った子らの中には、今もなお、運命に縛られている者もおるのかもしれぬ」


 夜は更けていく。

 火の粉が宙に舞う。

 頭上には満天の星が瞬き、川面に月が揺れていた。

 

 川面に揺れる月を眺めながら、信康は思った。

 (我は……斬りたくない――)


 彼の脳裏には、三方ヶ原の光景が繰り返し現れ、また消えた。

 命を助けられたあの時、半蔵の言葉がこだまする。


 

――若殿!ここは服部半蔵にお任せを!


 

 信康の瞼が重くなっていった。

 (半蔵……)

 

 そして、三人はいつの間にか眠りについていた。

 

 やがて信康は夢の中にいた――。


 夢だけどに現れたのは、剣豪、柳生石舟斎だ。

 天下一と名高い剣法。柳生新陰流の稽古を信康につけた一流の剣豪だ。

 いわば、信康の剣の師であった。


 岡崎城の中の稽古場。

 石舟斎は屈強な身体を稽古着に包み、木刀を構えている。

 夢の中の信康はまだ幼い子供だった。


 信康と石舟斎が木刀を交えながら語り合っていた。

 石舟斎が静かに口を開く。

「剣の奥義……それは活殺かっさつにございます」

「活殺……?」

 幼い信康が問い返す。

 

 石舟斎は微笑み、構えを崩さず言った。

「人を生かすための剣とでも申し上げましょうか……」

 信康はただ黙って、その言葉を胸に刻んだ。

「生かす剣……」

「わが師……上泉信綱こういずみ のぶつなさえ……」

 信康は困惑の表情で問いかける。

「あの剣聖でもですか?」


 石舟斎は神妙な顔でうなづく。

「師は今は老いて、下野国しもつけのくにの山奥で隠棲しておられるが……答えを見つけられないままなのでございます……無論、この石舟斎でも……」

「石舟斎でも……」


 すると、石舟斎が強い視線を信康に向ける。

「だが……わが師上泉信綱は、申しておりました。「活殺は心眼を越えた先にある……それはあかつきの向こう側を見るようなものだ」と……」

 理解しがたい感覚に、信康の脳裏が真白に包まれていく。

(どのような意味だ……)


 ――そして、信康の視界が開けた。


「ハッ!」

 信康は夢から覚めたことを自覚した。

 気が付けば、まぶしい朝を迎えていた。

 川面に朝日が映え、眩しい光が差し込んでいた。

 すでに亮衛門と京次郎は支度を整えている。


「殿!そろそろ出立でござる」

 焚火の火を踏み消しながら、京次郎が声をかける。

 

 亮衛門は馬を撫でながら笑顔で振り向いた。

「美しい朝日にございますぞ!」


 信康は立ち上がり、少し前に出た。東の空を見つめた。

 炎のような赤と、黄金色の霞が北の連峰を包んでいた。

「……まぶしいあかつきじゃな」


 信康にかすかに笑顔が漏れる。

(この光……私を導いているように感じる……)

 揺れる暁の中、信康の中では、すべての時が緩やかに流れているように感じた。

(なんだ……この感覚は?)


 そして、彼の瞳には、新たな決意が宿っていた。

 

(父上……私は必ず生き残りますぞ……)


 信康の決意を照らす暁の光。

 だが東空の彼方には、重い雲が静かに広がり始めていた――。

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