第5章 富士の麓
【読者の皆さまへ】
お読みいただき、誠にありがとうございます。
【作品について】
・史実を下敷きにしたフィクションであり、一部登場人物や出来事は脚色しています
・本作品は「私立あかつき学園 命と絆とスパイ The Spy Who Forgot the Bonds」の遠い過去の話です。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177401435761
・「私立あかつき学園 絆と再生 The Girl who discovered herself」と交互連載です。
https://kakuyomu.jp/works/16818792437738005380
・この小説はカクヨム様の規約を遵守しておりますが、設定や世界観の関係上「一般向け」の内容ではありません。ご承知おきください。
・今作には[残酷描写][暴力描写]が一部あります。
・短編シリーズ始めました(2025年8月16日より)
https://kakuyomu.jp/works/16818792438682840548
・感想、考察、質問、意見は常に募集中です。ネガティブなものでも大歓迎です。
【本編】
小田原を後にした三人は、あてもなく街道を歩いていた。
疲れた足取りのまま、ふと見上げれば、雲の切れ間から白く聳える峰があった。
「……富士……」
信康が立ち止まり、目を細める。
「一富士、二鷹、三茄子……父上……」
京次郎が静かにうなずいた。
「家康公のお言葉ですな」
すると、亮衛門が肩をすくめて笑った。
「全部見るだけなら“タダ”ってことだろう?倹約家らしいお言葉じゃ」
「ふふ……そうじゃな……」
信康は小さく笑い、再び歩き出す。
(父と川魚を捕まえたのも……その一つなのかもしれんな……)
三人は歩き続けた。
信康の背を、亮衛門と京次郎が無言で追う。
気づけば三人は、富士の東の麓へと足を運んでいた――。
眼前にそびえる白き峰。
その威容は、逃亡者たちの行く手を試すかのように聳えている。
――だが、その足取りを狙う影は、既に迫っていた。
「……どこへ行くべきか」
信康が低くつぶやく。
京次郎は険しい表情で答えた。
「北の甲斐・武田に向かう道は……すでに織田の手が回っている可能性が高うござる」
亮衛門が同意する。
「ならば東か?佐竹義重殿を……」
信康の目に迷いが漂う。
鞘の柄にそっと左手を添える。
(この刀……)
その時――。
「殺気!」
亮衛門が叫び、刀を抜いた。
「なにやつ!」
京次郎も素早く短刀を抜く。
信康も続けざまに抜刀した。
そして、気配の方へ怒号を上げる。
「半蔵の手の者か!」
――ザッ!
木立の影から一人の黒装束が静かに姿を現した。
信康はその姿を見て、目を見開いた。
「風魔……小太郎……」
風魔は鋭い眼光を放ち、冷ややかに口を開いた。
「恨みはないが……北条が潰されるのは我が望みではない……」
北条の忍び頭が、彼らの行く手を塞ぐ。
信康が風魔に強い視線を送った。
「やるしかないのか?」
風魔が不敵にほほ笑む。
「知れたこと……」
そして、静かに刀の柄に手をかける。
――スッ……。
信康が咄嗟に号令する。
「来るぞ!」
「承知!」
「やむなし!」
三人は一斉に刃を向けた。
――チャッ!チャッ!チャッ!
「来い!どりゃー!」
亮衛門が吼え、斬りかかる。
小太郎は舞うような身のこなしで刃をかわし、刀を抜刀した。
「おっと……」
咄嗟に亮衛門は距離を取る。
そして、風魔の刃の輝きが閃く。
「やれるのか?」
――ギラッ!
「おりゃー!京次郎!」
そして、亮衛門は風魔へ再び、一直線に駆け出す。
京次郎がうなづき、懐に手を滑らせた。
「殿、下がられよ!」
京次郎は煙玉を素早く投げた。
――ボンッ!
煙玉が炸裂し、白煙が辺りを覆う。
京次郎が冷静な表情で、白煙を凝視する。
「気配!捉えた!」
霧の中へ素早く短刀を投げつけた。
――シューン!
しかし、手ごたえが無い。
そして、すぐに、白煙の中で、素早い足音が近づく。
――タタタタタタタ……。ヌオッ!
一瞬の後、煙の中から風魔が眼前へ現れたのだ。
「甘いわ!」
「何っ!」
京次郎は驚愕の声をあげる。
――京次郎の動きが、一瞬止まった。
風魔の顔が京次郎の眼前にあった。
「ほれっ!」
そして、小さな布袋を、京次郎の顔面に投げつける。
――パンッ!
布袋から赤い粉が飛び散る。
京次郎はたまらず目を押さえて、むせこむ。
「ゴホッ!ゴホッ!南蛮由来の唐辛子か!」
灼ける痛みに視界が白み、涙が止まらない。
吸い込んだ唐辛子は、京次郎の喉と鼻を焼いた。
「お命……いただこう」
そこに風魔の刀が一閃する。
――シュッ!
――ガキンッ!
「大事ないか、京次郎?!」
亮衛門が弾き、間に割って入る。
「ゴホッ!ゴホッ!……大事ない」
京次郎は短く返し、もう一度懐に指を滑らせた。
白煙が晴れた。
そして、風魔が不敵に笑う。
「情けか?……生き残れんぞ?」
そして、亮衛門と京次郎ににじり寄っていく。
すると、信康が咄嗟にかけより、怒号を上げた。
「手は出させん!柳生新陰流の剣を受けろ!」
彼は刀を上段に構え、正面から踏み込んだ。
「我らを討たんとするなら、容赦せぬ!」
今度は信康が間に入る。
そして風魔と激しい剣撃を繰り広げる。
――キンッ!キンッ!
刃と刃が幾度もぶつかり、白峰を背に、火花が散る。
風魔は息も切らせずに笑う。
「その程度か?」
信康は少し息が切れている。
「強い……だが、まだ死ぬ訳には……」
そこに態勢を立て直した亮衛門が駆け寄ってきた。
「殿!」
――ガキーン!
今度は亮衛門と風魔の刀が交差した。
亮衛門が力で押し込む。
「殿をお守りいたす!」
風魔が軽く身を捻らせる。
「力では勝てぬわ!」
そして、間合いが離れる。
「おっとっと……」
亮衛門はたまらず転倒する。
すぐに身を地に転がし、間合いを離す。
「風魔殿!」
信康は刀を構えながら風魔と対峙する。
風魔も刀を構えなおし、目を見開く。
「さて……」
――しばらくの静寂……。
すると、亮衛門の怒号が飛んだ。
「気を逸らすのだ!」
「承知!」
京次郎は、見えぬ目で気配を掴み、短刀が弧を描く。
それは正確に風魔の首元へと飛んでいく。
――シューン!
「こしゃくな!」
風魔が刀を振り、短刀を払いのける。
――カキンッ!
そこに亮衛門の怒号がこだました。
「おりゃーっ!」
――ドカッ!
全力で駆け、膝下へ決死の体当たり。
それは風魔の足元を揺るがした。
「ぬおっ!このチビ助が!」
――その時、風魔の動きが一瞬止まった!
「もらった!」
信康の一刀が落ち――
――ガキィィン!
風魔の刀が跳ねて土に落ちた。
――パタッ……。
信康は安堵する。
「やっと……か」
「ふっ……まだまだ青いな……だが、面白い」
風魔はなぜか、薄ら笑いを浮かべていた。
「三人がかりでようやくか……」
そして彼は一歩退く。
「だが、さすがは家康公の命脈。徳川の血、伊達ではない」
息を整えながら、信康が睨む。
「ならば、なぜ我らの行く手を阻む?」
風魔は短く笑った。
「力量、見極めさせてもらった。そして忠告だ。北条は助けられぬ。されど……北へ行くがよい」
亮衛門が警戒を崩さぬまま問いかける。
「むざむざ武田の地へ? 罠か?」
風魔の声は低く、しかし真剣であった。
「……違う。真田昌幸を頼れ。富士を越え、更に北の果てに上田城がある。そこまで行くがよい」
京次郎が深く頭を垂れた。
「……かたじけない。恩は忘れぬ」
そこに信康の疑念が重なる。
「……なぜ見逃す?それに、半蔵に我らの行方を漏らしているはず、なぜ半蔵を伴わない?」
風魔が低く唸る。
「関東の地は、我ら風魔の領域。易々とは漏らさん。我はあくまで北条家のため、動いているに過ぎん」
亮衛門が豪胆に食い下がる。
「では、半蔵殿は我らの行方は知らぬと?」
風魔がうなづく。
「その通りだ。北条がどのような誤解を受けるか、今は下手に動けば命取りになりかねんからな」
一同に沈黙が訪れる。
そして、風魔の口角が少し跳ねた。
「忍びとは……生き残る事が本懐……それを貴殿らに感じた。それだけだ」
小太郎はそれ以上語らず、闇に紛れるように姿を消した。
「さらばじゃ……息災にな」
残された三人は互いに顔を見合わせた。
「風魔殿……」
――風魔の影が木立に溶けた。
「うう……ハア、ハア……」
京次郎がようやく膝をつく。
唐辛子の痛みに片目を押さえ、荒い息をする。
涙が頬を伝っているのに、彼は何も言わない。
亮衛門が駆け寄り、肩を貸す。
「目は大事ないか!?お主のおかげで――風魔の刃、いなしたぞ!」
京次郎は小さく首を振った。
「たまたまだ。殿をお守りせんとしたまで」
「我は蚊帳の外か!」
亮衛門が口を尖らせると、京次郎の唇にかすかな笑みが浮かぶ。
「ふっ……武士なら覚悟もできておろう?」
「お主! 元気ではないか!ガハハハハ!」
亮衛門が思わず笑い、軽く拳で京次郎の肩を小突いた。
信康が二人に歩み寄る。
刀をおさめ、深く頭を下げた。
「京次郎、かたじけない。お前のおかげで道が開けた」
「殿……やるべきことを成したまでにございます」
京次郎は痛む目を細めたまま、静かに答える。
信康は息を整え、空へ一度視線を上げる。
「それよりも手当だ。ここで拵えを改める。――そののち、上田を目指す」
「承知」
京次郎が低く応じた。
「承知!」
亮衛門が豪快に叫ぶ。
冬陽の白が三人の影を伸ばす。
富士の北へ――真田の城を目指し、旅は続く。
信康は北の空を見上げ、つぶやきを漏らした。
(だが――北は甲斐国の武田――どうやって、そこまで行く……)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます