第13話 エピローグ

 作戦翌日の午前、俺たちはまたあの会議室に集められていた。


 第三作戦会議室。

 昨日と同じ壁、同じスクリーン、同じような顔ぶれ。

 ただひとつ違うのは、配管区画の泥臭さがまだ靴底に残っていることくらいだ。


「では、昨日の第五層事案について、正式な事後ブリーフィングを行う」


 前に立つ久我中佐の声は、いつものように乾いている。


 スクリーンには、第七方舟の断面図。

 赤く点滅していた第五層配管区画は、今は黄色いハッチングになっている。


「まず結論からだ。

 今回の事案は、“設備障害に付随する局所汚染の発生”として処理される」


 淡々と言い切られた。


(やっぱりそう来るか)


 予想はしていたが、実際に聞くと胃のあたりがざらつく。


「市民向けの公式発表はすでに行った。

 老朽化した配管の破損、および処理水ラインに混入した外来物質の除去──そういう建付けだ」


 隣で〈クロガネ〉が微かに舌打ちしたのが聞こえた。


「ただし、軍内部、特にここにいる者に対しては別の前提で話す」


 断面図が切り替わる。

 第十二ブロック崩落エリアと、第五層を繋ぐ一本のラインが浮かび上がった。


「今回確認されたのは、ネフ──NHEが“地下構造物の内部”を通って侵入するプロセスだ。

 前回の崩落エリアで観測された“沈降現象”と合わせて考えると、

 “地上から押し寄せる敵”だけを想定した従来の防衛線は、もはや不完全だと言える」


 室内の空気が重くなる。


「第七戦術魔女隊および第七随伴護衛班は、その“内部侵入”を初動で察知し、

 処理水ラインを介した方舟内部への汚染拡大を抑止した。

 この点については、作戦本部として最大限の評価を与える」


 そこだけは、はっきりと言った。


 後方の参謀の一人が、わずかに不服そうに眉をひそめる。

 「設備障害レベルの話に魔女を使うのはコスパが悪い」とでも思っているのかもしれない。


「だが同時に、この事案は極めて政治的な意味も持つ」


 久我が、少しだけ声のトーンを落とした。


「“地下都市の内部にまでネフが侵入している”という事実は、

 方舟の統治構造そのものを揺るがせかねない情報だ。

 よって、現時点では機密指定とし、外部には出さない」


 誰も口を開かない。

 開いたところで、何を言っても変わらないことは分かっている。


「市民は、“方舟の外”で戦争が行われていると信じている。

 その前提が崩れたときに何が起こるか──」


 久我は、スクリーンではなく俺たちの顔を見た。


「それは、君たち自身が最前線で見ることになるだろう」


(外でも中でも、結局血を見るのは俺たちってわけか)


 誰かの苦い冗談が頭の中に浮かんだ。


「今回の教訓をまとめる。

 第一に、ネフは“地上”と“地下”を区別しない。

 第二に、方舟のライフラインそのものが、ネフの“回廊”になりうる。

 第三に、その回廊を“縛り、焼き、切る”役割を担えるのは、現状では魔女隊と、その随伴戦力のみである」


 目の端で、〈ルミナ〉と〈カルマ〉、〈シロガネ〉、〈クロガネ〉の表情を確認する。

 四人とも、何かを飲み込むように黙っていた。


 後方の技術将校が手を挙げる。


「中佐。

 今回の“ネット”の運用例を踏まえれば、配管内部に専用の“結紮装置”を設置する案も──」


「検討はしている」


 久我が短く遮る。


「だが、現時点で“魔法と同等の柔軟性”を機械で再現するのは不可能だ。

 それが可能になるまでは、“人力”に頼らざるを得ない」


 人力。

 つまり、魔女の頭と、護衛兵の手だ。


「最後に、各員への評価と今後の運用について」


 スクリーンの表示が切り替わり、文字だけのリストになる。


「〈ルミナ〉。

 狭小空間での高精度照射、および〈カルマ〉との協調行動は期待以上だった。

 ただし、出力調整の負荷が高かったことを踏まえ、今後は“糸の光”に特化したメニューを追加する」


「〈シロガネ〉。

 結界の局所展開と、内部反射の制御は適切だった。

ただし、長時間の維持による疲労が顕著だったため、持久力強化と負荷分散の方法を検討する」


「〈クロガネ〉。

 今回は待機と抑えに回る局面が多かったが、それでも前衛プレッシャーの維持という意味で重要な役割を果たした。

 “切り込み”だけでなく、“構え続ける”ことの価値を理解している点を評価する」


 〈クロガネ〉が、わずかに居心地悪そうに顔をそむける。


「〈カルマ〉。

 ネフの流れの感知と、配管内部での“網”の展開は、作戦成功の鍵となった。

 一方で、負荷管理はギリギリだった。

 危険ラインに近づいたときの自覚と申告を、今後の課題とする」


「……はい」


 〈カルマ〉の返事は小さかった。


「随伴護衛班。

 特に、篠原一等兵」


 不意に名指しされ、背筋が伸びる。


「〈カルマ〉の“ブレーキ役”としての初運用は、評価に値する。

 “止めるべきか突き進ませるべきか”の判断は、現場の者にしかできない。

 今回、その責任を引き受けたことを、作戦本部として正式に認める」


「ありがとうございます」


 形式的な言葉しか出てこない。


「──同時に、忠告もしておく」


 久我は視線を少しだけ鋭くした。


「今後も同種の事案は増えるだろう。

 そのたびに、“自分だけが止められる”と思い込むな」


 胸の奥を軽く殴られた感覚。


「ブレーキ役は、ひとりでやるものではない。

 周囲に“止めてくれる者”を持て。

 それができなければ、いずれ君自身が“流れ”に飲み込まれる」


「……肝に銘じます」


 本気でそう思った。


「以上だ。

 質疑は後日、個別に受け付ける。

 各員、通常勤務に戻れ」


◇ ◇ ◇


 医療区画。


 昨日に比べれば、落ち着いた空気が流れていた。

 簡易ベッドに腰掛けたアヤネの頭には、もうセンサーコードは繋がれていない。


「……後遺症は?」


 ベッドの端に座りながら聞く。


「頭が重いのと、少しだけ“残響”がします」


 アヤネ・クジョウは正直に答えた。


「残響?」


「はい。

 昨日の“下のほう”からの声の、薄い残り香みたいな。

 はっきり聞こえるわけじゃないですけど、たまに思い出したみたいにざわざわします」


「それは……」


 危険と言うべきか、想定内と言うべきか迷う。

 先に口を挟んだのは三島だった。


「予想の範囲内よ」


 彼女はタブレットから目を離さずに言う。


「一回きりなら、そのうち薄くなる。

 問題は、同じ場所に何度も潜ると“どんどん上書きされていく”ってところ」


「上書き?」


「簡単に言うと、“下のほう”のノイズのほうが自分の声より大きくなってくるのよ」


 さらっと嫌なことを言う。


「だから、これからは潜る頻度と期間をちゃんと管理する。

 今回だってギリギリなんだからね」


「ギリギリは褒め言葉かと思ってました」


「医者にとっては悪口よ」


 三島はうんざりしたように肩をすくめた。


「“死んでないからセーフ”って発想は、戦場ではまあ分かるけど、こっちとしては心臓に悪いの」


「すみません」


 アヤネが頭を下げる。


「でも、あそこまでやらなかったら──」


「分かってる」


 今度は俺が遮った。


「だからこそ、“次も同じようにやれる”って思うなって話だ」


「……分かってます」


 返事は素直だった。

 それでも、その目の奥にはまだ“深く潜れるかもしれない”という好奇心がちらついている。


「アヤネ」


 名前を呼ぶ。


「“戻れなくなるよ”って声、覚えてるか」


「覚えてますよ」


 アヤネはあっさりと言った。


「多分、あれは“善意”のほうです」


「善意?」


「“落ちてこい”とか“沈め”は、あっち側の誘いですけど。

 “戻れなくなるよ”って声は、むしろ人間側の残りかすだと思います」


 その分類に、ぞっとする。


「だからって聞き分けがいいとは限らないですけどね。

 “ここから先はやめとけ”って言葉ほど、逆に踏み込みたくなるときもあるし」


「だからブレーキが必要なんだろうが」


 思わず額に手を当てる。


「……分かった。

 今後、“下に潜る回数”を増やすなら、そのたびに俺への報告を義務にする」


「報告書ですか?」


「口頭でいい。

 “今どのくらいざわざわしてるか”“どっち側の声が大きいか”。

 毎回、言語化させる」


 アヤネは少し目を細めた。


「それって、“私の頭の中を覗く”ってことですよ?」


「全部じゃない。

 覗きたいわけでもない。

 ただ、“自分で自分の状態を説明できるかどうか”は、ブレーキの効き具合を見る目安になる」


 少し間があってから、アヤネはふっと笑った。


「了解しました、“ブレーキ役”さん」


 わざとらしく敬礼する。


「ちゃんと、毎回“車検”受けに来ます」


「それは整備士の仕事だろ」


「細かいことはいいじゃないですか」


 三島が盛大にため息をついた。


「……まあ、あんたたちがそうやって茶化せる間は、まだマシね。

 本当に手遅れになるときは、たいてい笑い話にもできなくなるから」


◇ ◇ ◇


 医療区画を出ると、廊下でリナとレイに会った。


「悠真さん!」


 リナ・サクマが小走りで近づいてくる。


「アヤネ、大丈夫でした?」


「大丈夫だ。茶化してくる余裕もある」


「それなら、よかったです」


 リナは胸に手を当ててほっとした表情を見せた。


「家族から連絡きたって聞いたぞ」


「はい」


 リナはポケットから端末を取り出す。


「ニュース見て、“配管事故って、あんたのところ大丈夫なの?”って。

 “そっちはもっと外のほうだから平気だよ”って適当にごまかしました」


「……まあ、そのほうがいいだろうな」


 真実をそのまま伝えても、きっと誰も安心しない。


「ズルいですよね」


 リナがぽつりと言う。


「向こうは、“地上で戦ってる”って信じて心配してくれてて。

 こっちは、“地下の中でも戦ってる”って話を隠して。

 それでも、“守ってる”って言っていいのか、自信なくなります」


「守ってるだろ」


 言葉が先に出た。


「少なくとも、“ここから先は渡さない”って決めて踏ん張ってる分だけ、守ってる。

 あとは、それを知るか知らないかの違いだ」


「でも──」


「お前の家族は、“配管事故”って文字しか知らないまま、“今日も無事だった”って安心してるんだろ」


「……はい」


「だったら、それでいい」


 自分に言い聞かせるみたいな言い方になった。


「全部知ってもらわなきゃ守ったことにならない、なんてことはない。

 知られないまま守られるものも、たくさんある」


 レイ・シロサキが、静かに口を開いた。


「情報と安心は、必ずしも比例しませんから」


「レイ?」


「軍は、時に真実を隠す。

 それが正しいとは限りませんが、“隠さなければ守れないもの”もあるのは事実です」


 レイの視線は、どこか遠くを見ていた。


「わたしは、それ自体を完全に否定するつもりはありません。

 ただ──」


「ただ?」


「その“隠す/見せる”の線引きを、現場の人間の声抜きで決められるのは、少し納得がいかないだけです」


 珍しく、感情の棘がわずかににじんでいた。


「だから、少なくともわたしは、

 “ここまで隠したくない”“ここから先は言えない”って線を、自分の中に持っておきたい」


「難しい線だな」


「難しくても、持っていないよりはマシです。

 ……それに」


 レイはわずかに口元を緩めた。


「“隠される側”の市民だけでなく、“隠している側”のわたしたちもまた、誰かに守られていると思いたいですから」


「誰かに……?」


「はい。

 例えば、“現場ではちゃんと分かっている”と信じられる指揮官とか。

 “ブレーキをかけてくれる”護衛兵とか」


 急に話を振られて、思わず視線をそらしてしまった。


「……ハードル上げるな」


「上げておかないと、簡単に潜っていく人たちが多いので」


 レイの静かな皮肉に、リナが苦笑する。


「セラが聞いたら、“わたしの監視対象が増えるじゃない”って怒りそうですね」


「そのセラはどこ行った」


「訓練場ですよ。

 “ちゃんと体を動かさないと、変な夢見そうだから”って」


「あいつらしいな」


◇ ◇ ◇


 訓練場の片隅では、セラ・ミナヅキがサンドバッグを殴り続けていた。


 拳ではなく、軽めの模擬剣。

 いつものぶっ壊しそうな勢いではなく、一定のリズムで打ち込んでいる。


「珍しいな。

 素振りじゃなくてサンドバッグ相手か」


「こっちのほうが、“柔らかいもの”を斬ってる感覚に近いから」


 セラは手を止めずに答えた。


「“ネフの根”ってさ、生き物っていうより、ぬるいゴムみたいな切れ味なのよ。

 嫌じゃない?」


「例えが最悪だ」


「でしょ」


 何度か打ち込んでから、ようやく剣を下ろす。


「で、ブレーキ役さん。

 久我さんから何か言われた?」


「“ひとりで止めようとするな”と」


「正論ね」


 セラは、タオルで汗を拭きながら笑った。


「わたしからも言っとくわ。

 “あんたが止まれなくなったときに止める役”、ちゃんと用意しときなさい」


「お前がやるのか」


「候補のひとりではあるわね」


 セラは真顔で言った。


「リナもレイもアヤネも、あんたのこと見てるけど、あの子たちは基本“背中を押す側”だから。

 わたしぐらいは、“引きずり戻す側”でいないとバランス悪いでしょ」


「自分で言うか、それ」


「言うわよ。

 隊長だもの」


 その言葉には、変な照れもなかった。


「だからね」


 セラは剣の切っ先で床を軽く突く。


「あんたが“もう無理だ”って言ったときは、ちゃんと信じなさい」


「どういう意味だ」


「“まだいけるだろ”って背中を押してくる大人も多いから。

 そういう声ばっかり聞いてると、自分の危険ラインが分からなくなるの」


 アヤネが言っていた「七割ライン」の話が頭をよぎる。


「逆に、“もうちょっといける”って言ったら?」


「そのときは殴る」


 セラは即答した。


「アヤネと同じよ。

 自分でアクセル踏もうとしてるやつの言葉なんて、信用しない」


「徹底してるな」


「そうしないと、“第一章の終わり”で全滅エンド迎えちゃうでしょ」


 さらっとメタなことを言う。


「わたしは嫌だからね。

 せめて最終巻くらいまでは生き残るつもり」


「ずいぶん長期連載のつもりだな」


「文句ある?」


「いや」


 ない。

 あってたまるか。


◇ ◇ ◇


 その日の夜。


 第七方舟の礼拝室は、思ったより広かった。

 正式な宗教施設というよりは、「誰にでも開かれた静かな場所」といった風情だ。


 ベンチが並び、簡素な祭壇。

 壁には、ネフが現れる前の地上の風景写真がいくつか飾られている。

 空の青さが、何だか嘘くさく見えた。


「おや」


 声をかけられて、振り向く。


 白い衣。胸元の紋章。

 一ノ瀬カナメが、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。


「珍しいですね。

 あなたがここに来るなんて」


「ただの通りすがりだ」


「礼拝室を“通りすがり”に使う人は、あまり多くないですよ」


 一ノ瀬はベンチの端を軽く叩いて、座るよう促した。


「警戒はお好きに。

 ここで銃を抜く人も、そうそういませんから」


「抜くつもりはない」


 少し距離を取って腰掛ける。


「昨日の件、どう見た」


「“老朽化した配管の破損”の件ですか?」


 一ノ瀬は悪びれもなく言った。


「軍の発表では、そういうことになっているようですが」


「お前のところには、本当の話がもう流れてるんだろ」


「噂話程度には、ですね」


 一ノ瀬は肩をすくめた。


「第五層でネフの“気配”がしたこと。

 魔女隊が投入され、“何か”を縛って焼いたこと。

 ──そして、崩落エリアと繋がっているかもしれないこと」


 中途半端な情報だ。

 それでも、知られたくない部分にだけピンポイントで触れている。


「誰から聞いた」


「“誰か”でしょうね」


 一ノ瀬は曖昧に笑った。


「こういう話は、完全に封じようとすればするほど、隙間から漏れてくるものです」


「壊れそうな奴の隙間を狙って、入り込むんだろ」


「ひどい評価ですね」


 まったく否定しなかった。


「でも、それはある意味、医者と同じです。

 “ひびが入っている場所”に薬を塗るか、毒を流し込むかの違いがあるだけで」


「お前のは毒寄りだ」


「味だけで判断しないでください」


 一ノ瀬は、祭壇の方へ目を向ける。


「方舟は、“巣”の上に建っている」


 静かな声で言った。


「それは、わたしたちの教義とも矛盾しません。

 罪を重ねた人類は、自らの罪の上に箱舟を浮かべ、

 その底から染み出すものに追われながら生きている──」


「それを“神の罰”だと?」


「“神の結果”とだけ言っておきましょう」


 一ノ瀬は微笑んだ。


「ネフが“何か”は、わたしにも分かりません。

 ただ、ひとつだけはっきりしているのは──」


 こちらに視線を戻す。


「あなた方が、いま“方舟の中”を戦場にし始めている、ということです」


 図星だった。


「地上だけでは足りず、地下の中でも“浄化”を始める。

 それ自体は、方舟にとって悪いことではないかもしれない。

 ただ、そのたびに“誰が沈み、誰が残るか”を決めるのは、やはり人間だ」


「当たり前だ」


「その“当たり前”に耐えられなくなったとき──」


 一ノ瀬は、あの日と同じ言葉を口にする。


「“それは誰のせいか”を一緒に考える場所が、ここだというだけです」


「……あいにく、今はまだ自分で考えられる」


「それは素晴らしい」


 一ノ瀬は、本気で嬉しそうに笑った。


「どうか、その力を長く持ち続けてください。

 あなたが“自分で考えるのをやめた”ときこそ、本当に危険ですから」


「そのときは、お前のところには行かない」


「どこでも構いませんよ」


 意外な答えだった。


「誰かと一緒に考えられるなら。

 例えそれが、わたしの嫌いな軍人や、わたしが信じない神であってもいい」


 その言葉のどこまでが本音なのか、測りかねる。


「ただ──」


 一ノ瀬は少しだけ目を細めた。


「方舟の“下”で伸びているのがネフの回廊だけでなく、

 “あなた方の心のひび”の延長でもあることだけは、忘れないでください」


 何かを言い返そうとしたが、ちょうどその時、アナウンスが礼拝室の静寂を破った。


『第七戦術魔女隊随伴護衛班、篠原一等兵。

 作戦本部まで出頭せよ』


「……タイミングがいいな」


「こういうときだけは、神様を信じたくなりますね」


 一ノ瀬が笑った。


「どうか、お気をつけて」


 その言葉を背中に受けながら、礼拝室を後にした。


◇ ◇ ◇


 作戦本部の一室。

 前回のブリーフィングとは違い、ここには久我中佐と俺しかいなかった。


「急に呼び出してすまないな」


「いえ」


 部屋の中央には、地上と地下を重ね合わせた立体図が浮かんでいる。

 第十二ブロック崩落エリアと第五層配管区画を結ぶライン。

 その先に、いくつもの“枝”が伸びていた。


「分析班からの報告だ」


 久我が、数本のラインを指し示す。


「崩落エリアからさらに下へ、ネフの反応が薄く続いている。

 それがどこに繋がっているかは、まだ分からない」


「他の方舟か、地上の別の巣か」


「あるいは、もっと別の何かか」


 久我は首を振る。


「いずれにせよ、“回廊”があることだけは確かだ。

 おそらく、この方舟だけの話ではない」


「……他の方舟は知ってるんですか」


「知らないふりをしているか、気づいていないか、どちらかだろう」


 それが一番厄介だ。


「お前に見せたいのは、こっちだ」


 久我が図を切り替える。

 今度は第七方舟内部の断面。

 居住区、工業区、第五層、その下。


 さっきの“ネフの回廊”の線と、方舟内部の配管・アクセスシャフトが、複雑に交差している。


「これは、“人間側の通路図”だ」


 久我が言う。


「ネフの回廊に対して、我々が使える通路はここだけ。

 魔女隊と護衛班が実際に動ける“線”だ」


 その線は、ネフの黒い回廊に比べて、情けないほど細く、途切れ途切れに見えた。


「今回、〈カルマ〉とお前たちは、その細い線で“血管を結ぶ”ことに成功した。

 だが、それはあくまで一本分だ」


「これから、もっと増えるってことですか」


「そうだ」


 久我ははっきり頷いた。


「地上だけでなく、方舟内部にも“戦場”が増える。

 魔女隊は、“外を取り戻す戦力”であると同時に、“中を守る防波堤”にもなっていくだろう」


 あまりに当たり前の未来予測なのに、現実として突きつけられると、喉の奥が焼ける。


「お前に聞きたいのは、ひとつだ」


 久我が俺の方を見る。


「それでも、お前は“護衛”を続けるつもりがあるか」


「……辞めろと言われても、今すぐには降りられません」


 正直な答えだった。


「俺が降りたところで、誰か別のやつがあいつらの肩を掴むだけです。

 そいつがちゃんと止めてくれるかどうかは、分からない」


「その可能性はあるな」


「だったら、まだ今は俺がやるべきだと思ってます」


 自分でも驚くくらい、迷いは少なかった。


「ただ──」


 言葉を探しながら続ける。


「“護衛兵”として魔女たちの背中を守るだけじゃ、きっと足りないとも思ってます」


「どういう意味だ」


「魔女たちが、いつか“魔女じゃなくてもいい場所”に降りられるようにすること。

 そのための“階段”を探すのも、俺たちの仕事だと思うんです」


 久我が、少しだけ目を細めた。


「階段、か」


「はい。

 ネフの回廊みたいに、“下へ沈む道”じゃなくて。

 自分で降りることができる階段」


 言葉にしながら、自分でも驚いていた。

 こんなに具体的な形で、頭の中にあったとは思わなかった。


「それが現実的かどうかは、まだ分かりません。

 でも、“決戦兵器として戦場で使い潰されて終わる”以外の終わり方を、ちゃんと想像していたい」


 俺は、地上の焦土と地下の断面図が重なった立体図を見上げる。


「それが、俺の新しい目標です」


 しばらく沈黙があった。

 久我は腕を組んだまま、何かを計算しているようだった。


「……いいだろう」


 やがて、短く言った。


「その“階段探し”を、作戦本部として公式に認めるわけにはいかない」


「でしょうね」


「だが、非公式にはためらう理由はない。

 どうせ現場は、命令に書かれていない仕事を山ほどやる」


 それは、半分皮肉で、半分本音だ。


「ただし、ひとつだけ約束しろ」


 久我が指を一本立てる。


「階段を探すために、“今ある線”を捨てるな」


「……ネフの回廊を潰す仕事は続けろ、ってことですね」


「その通りだ」


 正論以外の何物でもない。


「分かってます。

 今ある線を守りながら、その先に階段を見つける方法を考えます」


「欲張りだな」


「俺、欲張りなんで」


 久我が、珍しく口元だけ笑った。


「その欲張りが、どこまで持つか。

 せいぜい見せてもらおう」


◇ ◇ ◇


 作戦本部を出て、人気の少ない廊下を歩く。


 壁の向こうには、第七方舟の“血管”が走っている。

 水と空気を運ぶ配管。

 ネフの回廊になりかけていたライン。

 アヤネが張った“網”。

 リナの光が通った道。

 レイの結界が蓋をした場所。

 セラが構え続けていた足場。


(全部、線だ)


 俺たちが歩く通路も、配管も、エレベーターシャフトも。

 上へ下へ、外へ内へ、方舟を貫いている線。


 そして、その線のどこかに、“降りるための階段”も紛れているはずだ。

 魔女たちが兵器じゃなくなれる場所に続く階段。

 俺自身が“ブレーキ役”じゃなくても生きていける場所に繋がる階段。


「簡単じゃないな」


 苦笑が漏れる。


 ネフの回廊は、放っておけば勝手に太くなっていく。

 こっちの線は、意識して引き続けないとすぐ途切れる。


 だからこそ、やる価値がある。


『第三章までには死なないでくださいね』


 昔、誰かが冗談で言っていた台詞を思い出す。

 第三章どころか、まだ第一章の終わりだ。

 ここで躓くわけにはいかない。


 ふと、頭の中に浮かぶ光景があった。


 焦土の空。

 崩れ落ちたビル群。

 その上を漂うネフの黒い影。


 そして同時に、地下の配管区画。

 狭い足場。

 白濁した処理水。

 鎖の網。

 そこを通っていく細い光の糸。


 地上と地下。

 空と血管。

 鎖と光。


 それら全部が、一本の線で繋がって見えた。


(これは、まだ最初のページだ)


 プロローグで何度目かの出撃に出て、

 第七方舟の中のネフと初めて真正面から向き合って、

 まだようやく、“何を守りたいのか”を言葉にしただけ。


 ここから先は、もっとひどいものを見るだろう。

 もっと理不尽な線引きを押し付けられるだろう。

 もっと深いところに沈んでいかなきゃならないかもしれない。


 それでも──


「全部見てやるよ」


 小さく呟く。


 ネフの回廊も、方舟の中のひびも、魔女たちの背中も。

 そして、自分がどこで折れるのかも。


 それを全部見た上で、

 それでもまだ、“魔女を兵器のまま終わらせない”って言えるかどうか。


 その答えを探す旅が、今始まったばかりなんだと思う。


 廊下の先には、いつもの兵舎区画がある。

 その向こうには、眠りかけている魔女たちがいる。

 起床アナウンスが流れるまでの、わずかな静寂がある。


 俺は、その静寂に向かって歩き出した。

 第一章のページを、ひとつめくり終えた感覚を胸の奥に抱えながら。


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