君は快晴のようで……

ジョン・スミス

第1話 文化祭の告白

プロローグ とあるラインにて


Asahi『もえかー。まだ起きてるー?』

モエカ『起きてるよー。どうしたの?』

Asahi『後夜祭の花火一緒に見てくれるじゃん?』

モエカ『うん』

Asahi『途中ちょっとだけ抜けて良い?』

モエカ『なんで?』

Asahi『告白するから』

モエカ『は?』

Asahi『文化祭に便乗して告白しようと思う。ちなみに同じクラスの男子だよ』

モエカ『マジで? 誰なの教えて』

Asahi『明日教えてあげる。あと誰にも言わないでね。じゃあ寝るね。おやすみ』

Asahiがスタンプを送信しました。

モエカから着信がきました。


* * * * * *


 俺は快晴が嫌いだった。古傷が痛むからだ。

 雲一つない青空と燦々とした陽光には嫌な記憶が蘇る。大抵の人間は快晴を散歩日和だとか洗濯が干せるだとかで喜ぶけれど、俺は雲があれば良いのにと思う。

 あの日、俺は今日のような空を仰ぎながら悲しみに打ちひしがれた。思い出したくないけれど、決してなかったことにはできない過去だ。今日のような日は、はやく家に帰って試験勉強で気を紛らわす。明日は中間試験があるのだ。

「ただいまー」

 玄関に気怠げな声が響くが、誰の返事もなかった。今日は母が家にいるはずだが。

 リビングのドアを開けると、母がソファーで寛ろいでいた。

「どうしたの? 今日は随分はやい帰りだけど。早退?」と携帯を片手に怪訝な眼差しで言った。なぜ帰ってきただけで怪しまれるような顔をされるのか。

「違うよ。試験期間だから半日で終わっただけだって。ていうか、昨日話したじゃん」と俺は呆れて言った。

「あ、そうだった。忘れてた」と母は呑気に言った。

 いい加減なところは今にはじまったことじゃない。俺はこれ以上に追求することはやめた。

「昼ご飯ある?」

「昨夜の残りか冷凍の炒飯があるけど、それで良い?」

「腹が膨れればなんでも」

俺は、昨日の夜は何を食ったっけ?と思いながらキッチンへ向かった。

「あ、そうだ雄一。ちょっと来て」

 俺は呼び声に振り返ると、母は何故か面白そうに手招きをしていた。訳が分からずに向かうと、母が携帯の画面をこちらに向けた。

だが、眼前の映像で心臓が止まったような感覚に陥り、ヒュッと悲鳴のような音が喉の奥で鳴った。古めかしい絵と可愛らしいキャラクター。昔見ていたアニメに古傷が疼き出して、胸を抑えたくなった。

「ガッツの大冒険。動画配信サイトで偶然見つけたんだけど、アンタ小さいころよく観てたでしょ?」と母は嬉々と言った。

 きっと、母は喜んでくれると思って見せてくれたのだ。

 だが、今の俺では楽しめなくなっていた。

「あれ、意外と反応が薄い?」と母は言った。

「······昔のことだから、あんまり覚えてないよ」と俺はスマホから目を背けた。

「そっか。お母さんは見てみようかな。結構好きだったし」

「······じゃあ、俺は自分の部屋で食べるから」と俺は逃げるようにキッチンへ向かった。

「此処で食べないの?」

「食べてからすぐに試験勉強しないといけないから」

「それなら良いけど、食器は夕飯前に片付けてね」

「分かってる」

 キッチンに入り、冷蔵庫から筑前煮を取り出すと、奥から懐かしいメロディーが流れた。そのアニメのオープニングは、コミカルで明るい曲調だった。観ている自分も冒険に向かうようなワクワク感が湧いてきて、胸を躍らせながら覚えた曲だった。


 

 —— 波が踊るよ、島が見えるよ、冒険の始まりだ。ガッツと仲間たち。——


 口ずさみたくなるような、耳に反響して残るフレーズが英文を書く手を遮った。明日の試験に専念しなければならないのに、何故よりによって今日、あのアニメを見つけてしまうのか。

 俺は両腕を伸ばして体を解し、背もたれに寄り掛かりながらホッと息を吐く。たとえ勉強に専心していようと、逆に無心になろうと、メロディーが頭から離れなかった。同時に、かつての記憶が古びた映像のように脳裏を過った。

窓から差し込む夕陽を背に、彼女は微笑んでいた。

 俺はおもむろに勉強机の引き出しを開け、中にあるペンダントを取り出した。金色の光沢に薄らと自身の顔が写る。その蓋を開け、中身の写真を一心に眺めた。


—— 私を忘れないでいてね。


 彼女の微笑みを見ると涙が流れそうになるが、それには忘れていないという実感があった。

夢も希望も失くしてしまった。

だが、彼女と交わした約束は決して失くさないだろう。



文化祭の旺然さは絶頂を迎えていた。

 今は文化祭の夜の部、「後夜祭」の最中だった。校庭の真ん中にキャンプファイヤーを焚き、その炎の周りを囲んで騒いでいる。スピーカーから流れる音楽に踊る者たちを見ていると、クラブ会場に迷い込んだように感じた。

太陽は既に沈んでいるというのに、昼間にもなかった盛り上がりだ。

そんな中で、玲瓏な月に恍惚となっているのは俺ぐらいだろう。あの円満な輪郭に、今日って満月だっけ?と漠然に思う。ただ眺めているだけでは満月と変わらないのだが、目視できない部分が欠けているなんてことはよくある。

 だが、踊っている者たちも直ぐに夜の空へ視線を向けるだろう。文化祭の最後を締め括る花火で全て終わる。クラスに支給されたブランドロゴのパロディシャツも、明日にはただの寝間着に変わる。

「もうじき花火だな」

 月を眺めていると、隣から声が掛かった。

「まさか、今年もお前と一緒に見ることになるなんてな」と友人の雅人が悪戯に言った。

「成田のトコに行きたきゃ行けよ」と俺はムッとしながら言った。

「萌香は神崎と一緒だし、俺がいないとお前が寂しそうだしな」

「そりゃどうも。言ったからには彼女のところには行かせないぞ」

「おう、約束してやるよ」

 雅人は笑いながら言い、俺の背中を叩いた。

 俺と雅人は中学からの腐れ縁だった。

 当時の雅人はサッカー一筋で、高校に入ってもそこは変わらないと思っていた。だが入学してからというもの、髪型や服装に気を遣ったりと、いつの間にか垢抜けた男になっていた。 

 そして、雅人の口から彼女ができたと聞いたときは、開いた口が塞がらなかった。これも成長と呼べて友人としては喜ばしいのだが、熱血漢だった雅人がいなくなってしまったと思うと少し寂しくもあった。

「雄一にも彼女ができたら、俺も萌香と花火が見れるんだけどなぁ」と雅人はわざとらしく言った。

「そんな予定はねぇな」と俺は一蹴した。

「お前なぁ······」と雅人は呆れて言った。

「来年もよろしくな」

「地獄に落ちろ」と雅人は俺に肘を突きながら言った。

 申し訳ないが、俺は雅人のようにはなれなかった。来年の今も二人で馬鹿をやっているだろう。

「いよぅ! お前ら盛り上がってるぅ⁉︎」

 突然軽薄な叫声を掛けられたため、俺はビクリと肩を震わせた。声の主は既に俺と雅人の肩に腕を回している。夜の暗さが増していたため判然としなかったが、僅かな灯りに眼を凝らすと、腕の主は浩二だった。奥には正太郎の輪郭も見える。

「オメエらが辛気臭せぇから来てやったぞー」と浩二が言った。

「暑苦しい······」と俺は鬱陶しく思って言った。

「一気に騒がしくなったな」と雅人は笑いながら言った。

 俺が腕を引き剥がそうとしたとき、打ち上がる花火の音が鳴った。そして、黒い空に無数の色彩が開花した。校庭にいる全員の双眸が一様に花火へと向かい、その精彩さに黄色い歓声が上がった。誰かの甲高い「たまやー!」が嫌でも鼓膜に響いた。

幾つも打ち上げられる花火は、咲いては散り、咲いては散りを繰り返した。赤や青の花弁が儚く落ちてゆく。

 その短い命を眺めていると、無性に悲しくなってくる。

 俺の隣にアイツがいたら、あの花火はどう映っていたのかと、去年の文化祭でも思った。

「今年も文化祭も終わりって感じだな」と雅人がしんみりと言った。

「でも来年あるやん」と浩二が言った。

「受験もな」と正太郎があっさりと言った。

「コイツ、今嫌なこと言いやがった!」

 浩二は言いながら正太郎の首を腕で絞めた。正太郎は「ギブギブ!」と苦しそうに言った。

 俺はそんな馬鹿げた二人を、ふっと笑いながら見ていた。今は余計なことを考えず、コイツらと馬鹿みたいに騒いでいればそれで良いや、と思った。

「鴨川君」

 どこからか俺の名前を呼ばれて、咄嗟に振り返った。声の方向へ首を向けると、一人の女生徒が眼前に立っていた。キャンプファイヤーの明かりが輪郭を照らしている。

 俺と同じシャツと頭上に置かれたお団子の髪型。印象的な髪型だったのですぐに分かった。

 神崎朝日はクラスメイトで、雅人の彼女である成田の親友。それが俺の持ち得る限りの認識だった。これまでも少し話をしたことがある程度の彼女に呼ばれるとは驚きだ。

「今、時間ある?」

 神崎さんは控えめに言った。

 俺は雅人たちへ顔を向けると、三人は気付いていなかった。少し抜けるくらいなら平気だろう。

「あるけど、どうかした?」

「······まぁ、大したことじゃないんだけどさ」と神崎さんは曖昧に笑って言った。「ちょっとだけ向こうに行かない?」

「うん······」

 俺は訳が分からず、諾々と神崎さんの後を追った。何か嫌なことでもしてしまったのだろうか。多くを話したことがないから、恨みを売った覚えもないが。

「ここら辺で良いかな」と神崎さんは振り返った。

 彼女が連れた先は、人混みから離れた静かな場所だった。

「あのさ、鴨川君」

 そう言った朝陽さんは、意を決したような表情だった。その様相には俺も息を呑んでいだ。

「好きです。付き合ってください」

朝陽さんの瞳には鮮やかな色彩が映っていた。背中越しに歓声が轟く。

皆が花火に釘付けになるなか、俺と神崎さんだけが夜空に向いていなかった。

神崎さんは俺を真剣に凝視し、俺は茫然自失に彼女を見入っていた。落ちた沈黙が祭りの最中にいることを忘れさせる。

 神崎さんが俺に好意を抱いていたとは思わなかった。普通の男なら舞い上がって、照れながら彼女の告白に応えているだろう。

 だからこそ、俺でなければ良かったのに、と思ってしまった。



 文化祭の終わり、俺と雅人、浩二、正太郎の四人で夜の道を歩いた。丸い月があるおかげで少し明るかった。

 浩二が「腹減ったから夜飯食いに行くぞ」と言ったので、俺たちは流れるまま飲食店へ向かっていた。森閑な夜道を四人だけで歩くのは新鮮な気分だ。俺たちの声と足音以外の音が此処にはない。

「来年こそ彼女と花火見てぇ」と浩二は言った。

「なら誰かに告れよ」と正太郎が言った。

「次から本気出すわ」と浩二は毅然と言った。

その自信はどこから来るのか、と俺は呆れながら思った。

「誰か気になってる子でもいるのか?」と雅人は尋ねた。

「浅田さんと錦戸さんと西岡さんかな」と浩二は指を折りながら言った。

「共通点はなんだ?」と俺は三人の姿を想起した。三者三様で、浩二のタイプが余計に分からなくなった。

「胸だろ」と正太郎が即答した。

「当てるなよ」と浩二は正太郎を肘で付いた。

「当たってんのかよ······」と俺は呆れて言った。

 俺が言った直後に、三人の間で爆笑の渦が起こった。

「あ、でも神崎さんも良いかも」と浩二は思い出したように言った。

 その臆面のない発言に、俺はえっ、と驚きの声が出そうになった。

「神崎さん?」と正太郎が怪訝に言った。「胸は普通じゃね?」

「胸ばっか見てるわけじゃねぇわ!」と浩二は反論した。「神崎さんは可愛いのもあるけど、性格も明るいし、話も面白いから結構良いなって思うんだよ」

「確かに言えてる」と正太郎は頷いた。

「だろ? 見る目あるんだよ俺」

 俺は正太郎と浩二の会話が遠くなっていた。名前が引き金となって、意図的に考えないようにしていた輪郭が浮かんでくる。文化祭の最後に出会なければ聞き流していただろう。だがその名前は、花火を掻き消してしまうほどの強烈な印象を残した。

 雅人や浩二、正太郎は今年の文化祭を満喫して終えた。

 けれど、俺にとって今年の文化祭は、罪悪感と共に幕を閉じた。

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