8.女子生徒4
早川実里が遅刻をした。
今までになかったことだ。夏期補習中は出席をとることがなく、成績上の皆勤賞には支障がないが、それでも普段ないことが起こると気にされるものである。また、他の生徒も夏期補習中は遅刻や欠席をすることがあるが、早川実里がするとはだれも思っていなかったのだろう。三年生にもなると、志望大学別の科目を受講することも相まって、いつもほとんど同じ顔ぶれである。誰かがいなければすぐにわかるのだ。
補習開始から十分ほど遅れて教室の後ろ側の扉が開かれる。夏期補習中は席の指定はない。早川実里が受講者の中で一番後ろの席に着くと、私たちの担任でもある物理教師が言った。
「早川が遅刻なんて珍しいな。」
他の生徒が遅れて入ってきたときは何も言わないくせにこういうところは指摘するのか。
「まあ、早川も他のみんなと同じ人間ってことだな。」
おや、訂正。指摘している時点で特別扱いではないのかと思う反面、そういう意見も持っているのかと教師に対する考えを改める。
そして何事もなかったように補習が再開される。この教師の補習は、初めに時間をとって大学入試問題を解かせ、その後解説をする形をとっている。早川実里が入ってきたのは生徒たちが問題に向き合っている時間であったため、講義の聞き逃しはないはずだ。
ところで、私は理系科目に自信がある。今日の問題もあまり時間をかけずに解くことができた。
特に物理は好きだ。決まった数式に当てはめていけば大抵の問題は解くことができるし、一見想像できない現象についても、パズルのように読み解いていけば答えがでる。その瞬間が気持ちよい。
教師の解説を聞く。読み解いた解はきれいな文字列になった。大抵こういう時は正しい。こういった問題はいい。複雑な数式を組みほどいて出た簡素な答え。出題者の様式美を感じる。
私の知らなかった解法も教わり、補習が終わった。来週はお盆期間で補習は休みだ。物理は好きだけど、補習がないことを残念に思うほどではない。次の英語の補習に向けて用意をする。事前に配られている英文の和訳について早川実里がクラスメイトに尋ねられていた。私はやはり自分で調べて来いよ、なんて卑しく思っていた。
英語の補習が終わると、例の声の大きなクラスメイトが教室にやってきた。彼女は火曜と木曜のみ補習に出ているが、その両日とも補習が終わると私のもとにやってくるのだ。登校時も一緒であったため、三時間ほど別々であっただけにも関わらず、あたかも数年ぶりの再会かのように大袈裟な様子でこちらへと近づいてくる。
「今日も疲れたね!でも来週は休みだし、打ち上げ行こ!」
私は明日も補習があるのだけれど、彼女には関係がないようである。更に補習は翌々週からまたあるというのに、打ち上げとは大げさだ。ただ、これが彼女の通常運行なのである。
八月に入ってから、隣の彼女は折り畳み傘を使うようになった。日除け用だと言う。深く考えずに、いいね、などと言ってしまったら、「一緒に入ろ!」と食い気味にと言ってきた。単純な好意は嬉しいのだけれど、共に小さな日陰に入るとやけにくっつきたがるので、逆に暑い。しかし、今更「私は入らなくていいよ」とは言えなくなってしまった。彼女のためにわざわざ日傘を用意するのもなんとなく癪に障るため、毎度彼女の横に入れてもらっている。荷物にもなるし。
今日も相変わらずいつもの駅ビルに入る。涼しい屋内で造花の花壇脇にあるベンチへ座り、今日の目的地を決める。夏休みに入り、お昼時はどこのお店も混んでいるので、少し時間をずらすためにこのルーティーンが組まれた。ここで彼女の熟考時間が入れば、ちょうどお店が空く時間帯になるのである。
今日は隣の駅ビルの最上階にあるレストランが目的地となった。レビューを見ると、彼氏彼女で利用されることの多いようである。ランチタイムであれば、立地を考慮しても比較的良心的な値段帯のようであった。
電話してからお店に向かったので、待つことなくすんなり入ることができた。こういう電話や予約はいつも私がしている。曰く「電話は緊張してしまう」とのことである。私に対する図々しさというか、押しの強さを考えると違和感があるが、電話が苦手という人がいるのも分かる。
大きな窓の前の席に通される。景色が良ければ好ましかったのだろうが、駅の方向を向いているので、線路が見えるばかりであり、見晴らしがよいとは言えない。加えて、これはカップルシートといわれるものではないか。こんなあからさまにオシャレをアピールしているところにいることに対して若干の気恥ずかしさを感じるが、隣に座る彼女は満足げである。注文後、料理はすぐに出てきた。ランチメニューはどれも良心的な価格で、高校生にも手が出しやすいと感じたが、手ごろな値段なりの味であった。もし私に恋人ができてもここは使わないかな、と思う。背伸びしている感じがする外観だが、味はそうでもない。マイナスにしかならないと思う。しかし、やっぱり彼女の方は満足しているようである。いつも通りSNSに写真を上げていた。私が写っている写真も同時にあげている。やっぱりやめてほしいが、言っても無駄なことはもう知っている。
来週は補習がないが、週末にこの街の夏祭りがある。県内でもみても大規模な祭りで、花火も上がる。目の前にいる彼女と土日の両日とも行くことになっていた。また彼女のSNSに載るのだろうなと思う。一緒の浴衣を着ようという彼女の提案には、固く断りを入れておいた。
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