バカは風邪ひかない

第28話:バカの定義と、見舞い

 バカは風邪ひかない。

 おそらくその理屈は、バカは風邪を引いても気づかないってことだろうけど、バカは鈍感ってだけじゃない。世の中には、いろんなバカがいて、そのバカたちによって数多の事象が起きている。

 じゃあ逆に、風邪を引くのは賢いってことかって聞かれると、そうではない。たとえば嵐の中を無茶して動き回り、その後ろくに体も拭かずに放置した挙句、小さな咳をした時点で十分に休息をとらずに風邪をこじらせた人間がいたとすれば、そいつは大バカ者である。


 ――つまり、ハロルドのことだ。


「お見舞いに持っていくものって、何がいいと思う?」


 アメリアが腕を組んで訊くと、カノンは手を止めずに包丁を動かした。まな板の上で野菜が一定のリズムで刻まれる。


「おかゆでしょうか。あるいは果実酒を少し薄めて、体を温めるものとか」

「おかゆって……あれ、味しないじゃない。病人ってああいうの嬉しいの?」

「味覚より消化を優先するんですよ」

「消化って。あの人、コーヒーよく飲んでるし、胃が死んでんのよ。消化とか、今さらでしょ」

「だからこそ、胃に優しいものを、です」


 カノンは無表情で返す。いつもながら、容赦がない。


 ハロルドが倒れたのは三日前の夜だった。嵐の復旧で、村人を励ましながら泥まみれになって作業していたくせに、翌朝には「まだやれる」と言い出して、その日の昼には咳をして、夕方には寝込んだ。見事なスピード感だった。

 あのとき彼を止められなかった自分も、少しはバカかもしれない。


「……で、お嬢さまは?」

「わたし?」

「アメリアさまご自身は、何を持っていくおつもりで?」


 カノンが視線を上げる。何も言っていないようで全部見透かす目だ。


「そりゃあ……その、何か……気持ち的なものを、ね」

「気持ちは形にして渡すものです」

「うっさい! じゃあ私の分も作ってよ、カノンが」

「はい、すでに準備中です」

「ちょっと待って、なんで私が頼む前に作ってんの!?」

「アメリア様がどうせ“自分では作らない”と踏んでいましたので」

「踏まれてる!? 私そんな予測可能な女なの!?」

「はい」


 カノンの返事が早すぎて、心に突き刺さる。


「……ちがうの。別に作れないわけじゃないのよ。逆に、作ると変なのよ」

「逆に、とは?」

「その、もし私が作ったりしたら、“まあまあ美味しい”とか言われるでしょ。そうなると、あの人の評価が上がって……なんか悔しいじゃない」

「意味が分かりません」

「わかってなくていいのよ! 人間ってのはね、わざと面倒なことを回り道して、ようやく納得する生き物なの!」

「つまり、ツンデレということですね」

「言葉にするなあああ!!」


 叫びながらも、心のどこかで図星すぎて反論できない。

 結局、アメリアはカノンに任せて、テーブルに座り込む。果実酒の香りが部屋に広がる。穏やかで、どこか寂しい香りだ。


「それにしても、あんな無茶する人だったとは……デントから昔は熱血バカだったと聞いたけど、全く、どうしようもないよね」


「いいじゃないですか。私は熱い人、好きですよ」と、カノンがさらっとカミングアウト。もしかしてハロルド狙い? 侍女が主人の男を奪い取ろうってか。このしたたか娘め。


「できました」

 カノンが差し出した包みには、温かい野菜スープとフルーツ。完璧だ。

「どうぞ」

「うん。……ありがとう」

「どういたしまして。ただし、ハロルドさんが喜んだとしても、それは料理の功績です」

「分かってるってば!」


 アメリアは立ち上がり、コートを羽織る。

 外は、また少し雨が降り出していた。

 いつものように文句を言いながら、それでも足は迷いなく進む。


「お見舞いなんて文化、誰が考えたのかしらね。……面倒くさいのに、やめられないわ」


 そうぼやきながら、アメリアはハロルドの家へと向かう。

 バカの世話を焼くのも、結局バカ。

 それを止められない自分に、気づきながら。

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