第4話:逆立ち丸出しお披露目会
アメリアは道端で、抜け殻と化していた。
口は半開き。目はどこを見ているのかわからない。
両手は土だらけのまま、膝の上に放置されていた。
誰が見ても、なにかを失った人間の顔。
なにを失ったのかは本人しか知らないが、人生二回分を失ったくらいのショックは伝わってきた。
「お嬢さま、どうかなさいました?」
背後から、カノンの声がする。
アメリアは振り返りもせず、口の端を引きつらせた。
「……へへ」
「そうですか」
カノンは気に留める様子もなく、「住まいへご案内します」とだけ言って歩き出す。
アメリアは無言のまま、どうにか足を動かした。
***
案内された家は、ひどいものだった。
壁の板は欠け、屋根は穴だらけ。床はところどころ沈むし、窓も割れている。「住めば都」とは言うけれど、都と呼ぶには、あまりに廃墟。
夕食は、固い黒パンと、塩気の抜けたスープ。具と呼べるものはほとんどなく、器の底に沈んでいるのは小石みたいな豆が数粒。スプーンでかき回すと、薄い水の音がするだけだった。
アメリアはスプーンを口に運んで、しばらく動きを止めた。
「……これが、夕食?」
「はい。この土地では、ごちそうです」
カノンはあっさり答える。
壁の穴から吹き込む風が、スープの水面を揺らす。廃墟の中の食事。夢見た新生活は、スタートから地獄のフルコースだった。
夜が更けてもアメリアは眠れなかった。
――ああ、もう、なんで私はこう愚かなのよ。貴族社会から、いけしゃあしゃあと抜け出して、新たな土地でヘヴンを築くつもりだったのに。結局待っていたのは、生き地獄じゃないか。なんで、こんな土地まで来て、こんな思いをしているか。
っていうか、神様も世界も残酷すぎやしないか? こんな幼気で可憐な少女が、ほんのささやかな幸せを願っただけで、この仕打ち。くそ。いつか地獄へ突き落としてやるわ。……って、また何かのせいにして八つ当たりして。これじゃ、あの頃と変わらない。全部をひっくり返したかった、あの頃と――
そうだ。
あの日、息苦しい世界をひっくり返したくて、逆立ちをした。
そして、光が走ったのだ。
まさか、逆立ち? いや、そんな馬鹿な。だけど、なんなのだ、この妙な胸のざわつきは。
アメリアは半信半疑で立ち上がり、外へ出た。
夜の冷たさと、虫の声。
壁に向かって、足を蹴り上げる。えいっ。
逆立ち。
瞬間、手のひらが熱くなり、地面に淡い光が走った。
小さな草が、するりと芽吹く。
「……うそ」
すっと元の体制に戻り、手のひらを見つめる。温かい。
死んでなかった。あの力は、生きていた。
だが、それは吉報であると同時に、新たな試練を問うものでもあった。
――逆立ちが条件!?
この土地を開拓するには、ずっと逆立ち?
人前で? 足を誰かに持ってもらって? それは……いや、それは、だいぶ……
アメリアはひとつ息を吐いた。
ま、今はいい。とりあえずスキルは生きていた。それだけで一安心なのである。そういうことにして、今日はぐっすり眠るとする。
***
翌朝。
「そういえば昨日言い忘れていました」とカノンが口を開いた。「今日の午前中、お嬢様のお力のお披露目会があります」
「……は?」
眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「この土地の人々が、一度ご覧になりたいそうです」
「……私、スキルのこと言ったっけ?」
「申請用紙にしっかり書いてありますよ。『チート級! 大地を揺るがす神スキル! 〜触れるだけで芽吹く私、恋は不要〜』」
過去の自分をぶん殴ってやりたい、とアメリアは思った。
でも、スキルを書かなきゃ、申請は通らなかっただろうし、まあ、仕方がない。にしても、あのときの自分は浮かれすぎだ。浮かれるな、二度と!
で、問題は今日だ。公開お披露目。
逆立ちしないと力は発動しない――つまり、人前で逆立ちするということ。
誰かに足を持ってもらって?
嫌だ。そんなピエロみたいなことをして、人々に笑顔を与えるために来たんじゃない。自分を笑顔にするために来たのだ。笑い者になってどうする。
「ねえカノン、断ってちょうだい」
「無理です。ハロルドさんが準備を進めてしまっていますので」
「じゃあ、あの絶望おじさんを説得して」
「どうしてです? 普通にお披露目するだけです。賞賛の嵐が起こるだけです。お嬢様、昔っから承認欲求の塊なのに、何をためらっているのです?
もしかして、実は事前準備を怠ったせいで、スキルが思っていたものと違って、今さら貴族社会に復帰して、また一からやり直したいとか、そんな情けないことを考えてはいませんよね。アメリアお嬢様ともあろうお方が。そんなゴミのような考えをお持ちではないですよね。
父を罵倒し、母を泣かせ、16歳のかよわい乙女の人生を奪ってまで来たのに。なにか不都合が?」
くっ……、言い返せない。やるじゃないか、自称16歳のかよわい乙女め。
「……カノン、あんたはどこでも生きていけるわよ」
「こちらです」
カノンは有無を言わさず腕を取り、アメリアを広場へ連れて行った。
***
広場には人が集まっていた。
昨日の沈んだ顔とは違い、今日はわずかに希望の色が混じっている。
ハロルドも腕を組んで立っていた。相変わらず無精ひげに寝癖のまま。
「本当に土地が変わるのか」
「やっと、この終わりの大地に春が来るのかもしれん」
人々は顔を寄せ合い、ひそひそと話し、やがて視線が一斉にアメリアに集まる。
「時間ないから手短になー」
ハロルドが吐き捨てるように言う。
アメリアは固まった。
――どうする? どうすればいい?
この場所には、逆立ちできそうな壁も、支えになる柱もない。カノンに支え役を頼むしかない?
そもそも、人前で逆立ちなんて、やっぱりできない。スカート履いているし。
この先ずっと、『逆立ち丸出し女』として生きていくなんて。逆立ちするたびに誰かに支えてもらうなんて。そんなの耐えられない。だって、一人で生きていくって決めたんじゃないか、私!
「アメリア様の〜!すごい力が〜!」
「見てみたーい!見てみたーい!」
「この大地が〜!生まれ変わるとこ〜!」
「見せてー!見せてー!」
「芽が出るとこも〜!」
「見たい!見たい!見たい!」
群衆のボルテージだけが上がっていく。
なんだこの掛け声。
心臓の音が大きくなる。
逃げたい。けど逃げられない。
やらなければ、彼らの期待を裏切ることになる。
やれば、プライドが死ぬ。
息が苦しい。指が震える。
頭の中で言葉が渦を巻く。
――できない。やるしかない。できない。やらなきゃ。できない。やるんだよ! やるしかないんだよ、私!
「……できません」
その一言で、視線は一気に冷えた。
ざわつきは止まり、熱は消える。
「やっぱり」
「ざまあみろだよ」
「時間の無駄よね」
失望の声が漏れ、群衆は一人、また一人と背を向けていく。最後は、ゴミを見るような目を向けて。
ハロルドも短く煙を吐く、口元をわずかに歪めると、無言で去った。カノンがそのあとを追った。
残されたのはアメリアだけ。
広場の真ん中で、膝から崩れ落ちた。
土の冷たさが全身に広がるようだった。
笑い声も、ため息も、もう何もない。
ただ、ひとり取り残された。
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