第21話 白い大地の月

「あっ!猫さん、どこから入って来たの?確か地面を歩くものは、おまじないが効いているから、入ってこられないって、フィーロ様が言っていたのに・・・」

どこから入り込んだのか、家の裏を流れる小川で釣りをしていると、真っ黒で艶々した毛並みの美しい猫が、ゆらゆらと近づいてきました。

「私ね、港町に居た時に、真っ白な猫さんの友達が居たの。お嬢さまって名前を付けて、いつも一緒に昼寝をしていたんだよ。あなたは、撫でさせてくれる?」

手を差し出すとペロッと私の指を舐め、膝の上に跳びのって、丸くなりました。撫でても良いってことだよね。

「綺麗だね・・・、どこから来たの?」

ゆっくりと撫でるとゴロゴロのどを鳴らし、まん丸に。

「今日は、フィーロ様が朝から里の方に行っているから、話し相手が欲しかったんだ。あっ!フィーロ様っていうのは、私の雇い主。いい人なんだけれど、我が儘なところがあって、大変なの。すっごいお金持ちだから、仕方がないんだけれど、何でも買おうとするのは、困るんだよね。どう思う?」

「にゃあああ」

「セシア・・・、お前・・・、何を一人で話しているんだと思ったら・・・、お袋いい加減にしろよ」

いつの間にか戻ってきていたフィーロ様が、腕組みをして、私の後ろに立っていました。今、お袋って・・・。

「みゃあああ」

私の膝の上に丸くなっていた黒猫が、優雅に伸びをして、地面に飛び降りると、後ろ足二本で立ち、その姿が膨れ上がり、私の前に黒いぴったりと身体に張り付くようなドレスをまとった三十代くらいの美女が立っていました。伸びをするように両手でかき揚げた長い髪は、毎日見ている赤い色。どうやら、間違いなく、フィーロ様のお母様のようです。フィーロ様が若者から老人へ姿を変えるのだから、そのお母様が黒猫から人間へ変身しても、不思議ではない・・・の・・・かな?

「セシア、大丈夫か?これが、話していたお袋だよ。黒猫以外にも変身出来るから、この辺りをウロウロしている猫は、お袋だと思ってくれ」

「フィーロったら、その紹介の仕方はなんだい。初めまして、娘さん。いろんな所で、キセラの若様が嫁さんをもらったって聞いて、会えるのを楽しみにしていたのよ。あたしは、フィーロの母親で、元魔師で、占い師で、産婆で、まあ他にも色々やっているシーリア・キセラよ。よろしく」

シーリア様は、細くて白い人差し指で私のあごを持ち上げると、顔を近づけてきました。

「お袋、いい加減にしろよ。セシアが怖がっているだろう。それに、嫁じゃねぇよ、家の事をやってもらうために雇ったんだよ・・・」

「ふうん・・・、そういうことにしておいてあげるよ」

「うるせぇ。それより、叔父さんは一緒じゃないのかよ」

「ああ、そうだった。怖がらせないように、あたしが先に会って、話してからって言ってあったんだ」

シーリア様が、右手を上げて振ると、遠くの森から何か茶色の物が・・・。おまじないがかかった大きな木を過ぎると二本足で立ち上がり・・・・・。

「フィーロ様、熊です!逃げないと!」

「セシア、落ち着いて良く見てみろ」

「だ、だって熊・・・」

フィーロ様が指差したところには、毛皮を纏った大男が、膝を抱えて、小さくなっていました。

「どうせ俺なんか、人間に戻っても、熊だよ。確かに山の中をウロウロしていたから、髭も髪も伸び放題だけどよ~」

「もう、うるさいね。そう思うんなら、さっさと風呂に入ってきな。フィーロ、水汲みと釜だきしな」

「はあ、俺も里から戻ったばっかりなんだぜ。叔父さん、風呂に入れだって」

ブツブツ文句をいいながら、フィーロ様は、叔父様を引っ張りあげました。

「あ、あの私がやります」

「いいんだよ、あんたは。それより、あたしと少し話をしようじゃないか」

シーリア様の細い指が、私の腕をしっかりと握り締め、爪がくい込んで・・・、さすが猫です。


話をしようとおっしゃったのに、私の顔を金色の目を細めて、長い間見つめているだけの状況に、居たたまれなくなってきました。

「あの・・・」

「黙って。あんたもずいぶん苦労してきたね。まだ、子供といっていい年なのに、何度も絶望している。でも、安心しな。ここにいる限り、あたし達が守ってやるよ。もう、我慢する必要は無いよ。欲しい物は、欲しいと言っていいんだ。笑いたい時は、大声を出して笑って、泣きたい時は、大暴れして泣けばいい。だけど、本当の幸せは、あんたが隠している・・・違うね、あんたにも隠されている物が分かった時に、ようやく掴めるよ。しかし、何だろうね・・・、あんたにも隠されているから、読めないよ」

シーリア様の言葉を聞いて、すうっと背中が冷たくなるのを感じた。私には決して口にしてはいけないことがある・・・。

「ああ、いいんだよ。無理に聞き出そうとしているんじゃないから。一緒に暮らして、あたし達を少しは信じてくれるようになった時に、話したいと思ったら、話せばいい。もう、百五十年も生きているから、気は長い方だよ」

「はい、ありがとうございます、奥様」

「奥様ぁあ?なんだい、それは?」

シーリア様は、美しい顔をゆがめると、私を睨んだ。

「あの、私の雇い主は、フィーロ様なので、そのお母様は奥様が良いのではないかと思いまして・・・。何とお呼びすればよろしいでしょうか?」

「そうだねぇ・・・、猫母さんっていうのはどうだい?」

「ね、猫母さん?」

「おっ、いいねぇ、決まりだ。セシア、セシアだったよね。もう少し魚を釣らないと、あたしの弟の熊叔父さんは、ものすごく食べるよ」

猫母さんは、私の手から釣竿を奪うと、小川に向かって、糸を垂らしました。家の方からは、フィーロ様と熊叔父さんが大騒ぎをしながら、お風呂に入っている声が聞こえます。私の部屋がある家があって、家族が揃って、賑やかな声が響いていて・・・、胸の中に小さな暖かいものが、生まれました。それを失くしたくなくて、思わず胸に手をあてました。

「それを大事にすると良い。あんたに、これから生きていく勇気を与えてくれるはずだよ」

猫母さんが、小川で浮き沈みしているウキを眺めながら、呟きました。

「はい、私夕飯の仕度をしに、家へ戻ります」

「ああ、魚料理の仕度をしておくんだよ」

用意していたお皿には、私が釣った二匹以外は、山盛りのお芋が載りました。

「明日から、釣って釣って釣りまくるよ!」

「お袋、今まで釣ったことないだろう・・・」

「うるさい!これからは、違うんだよ」

猫母さんは、簡単には諦めない人でした。


毛皮を脱いで、お風呂に入って、汚れを落として、髭を剃って、茶色の髪をひとまとめにした熊叔父さんは、やはり三十代後半くらいの優しい笑顔の男の人でした。

「熊叔父さんは、フィーロ様に・・・、逆ですね。フィーロ様は、熊叔父さんに似ていますね」

「だろう?なのに、こいつは小さい頃から、そう言われるのを嫌がって・・・」

二十代後半に見えるフィーロ様の頭を、三十代後半に見える熊叔父さんが、太い腕で撫で回そうとするのは無理があって、すぐに喧嘩になります。

「ああもう、うるさいね。せっかくの料理にほこりが入る。静かに出来ないなら、外で食べさせるよ」

二人は、猫母さんの言葉に動きを止めると、おとなしく食事の続きを始めた。ああ、この人達は、こんな風にして何十年も暮らしてきたのか・・・・・・・。私は、三年間だけど、そのお手伝いをしよう!

「何かお好きなものは、ありますか?雪が降る前の今ならまだ、里の人に頼めるので」

「そうだねぇ・・・。毎日この美味しいスープを出してくれると嬉しいね」

「セシアのスープは、港町でも好評だったんだぜ」

「それは、楽しみだな」

「はい、たくさん作りますね」

キセラの里では、朝晩寒くなってきました。もうすぐ、雪で覆われるそうです。


廊下に張った紐に薬草を干して、野草を塩漬けにし、果実を煮込んで保存用の壺に入れて、食料庫に並べ終わると、ゆっくりと白い雪が空から舞い降りてきました。草原に放していた馬を里に預けて戻ってきたフィーロ様が、封筒を差し出していました。

「これは?」

「セシアに港町から届いていた。里の者には、薬屋の娘を嫁にもらったことにしていただろう・・・。だから、カイユに頼んで、お前の実家になってもらっていたんだ。これからは、里の者に頼めば、カイユ宛に出してくれるし、届いた手紙は、預かっておいてくれる」

「あ、ありがとうございます」

ここに来る前の町で、手紙を出したけれど、まさかこんなに早く返事が来るとは思っていなかった。手紙というには分厚い封筒を開けると、小さな紙がたくさん入っていた。まともな手紙は、コラレスさんとジューくらい・・・。

「みんな、元気だったか?」

「はい、私へ手紙が出せるようになって、嬉しいって。ありがとうございます、フィーロ様」

「いや、セシアが喜んでくれたら、それで良いんだ」

フィーロ様と出会ってから、手にすることが出来ないと諦めていたものがたくさん手の中に・・・。フリルとレースがたくさん付いたドレス、森の中でのゆったりとした生活、そして遠くに住む友達と手紙をやり取りする事。でも、手に入れてしまうと失うことが怖くなる・・・。

「セシア、何難しい顔をしているのよ。手紙が届いたんでしょう?悪いことでも書いてあったの?」

「いいえ、みんな元気でした」

「なら良かった。一緒にお風呂に入ろうって、誘いにきたのよ。今、ベガに水汲みさせているから、仕度して」

ベガというのは、熊叔父さんの愛称で、本名はベガニコといいます。聞いたことが無い珍しい名前なのですが、古い古い名前なのだそうです。何しろ、名付けられたのが、百五十年も前なので・・・。

「セシア、ほら早く仕度して!」

「猫母さんと一緒に入るんですか?」

「なあに?嫌なの?」

金色の瞳がすうっと細められると、肉食獣に狙われた、小動物のような気分になります。

「ち、違います。猫母さんみたいな綺麗な人と入ると、自分の貧弱な身体を見て、落ち込んじゃうのです・・・」

「セシア、あんた・・・」

「きゃあ!何するんですか!」

猫母さんの両手が私の微かな胸の膨らみを鷲づかみに・・・、出来ずかすっていきました。胸の前で、両腕を組んで隠すと、猫の爪が脇腹にくい込んでいました。

「セシア、あんたの胸は確かに小さいけれど、まだ若いんだから、希望はあるわよ。まず、もう少し太ることね、痩せすぎだよ。男は、ちょっと触って、柔らかいくらいの女が好きなのよ。さあ、一緒にお風呂に入るわよ。長年産婆をやっているあたしに任せておきなさい!」

「ぎぁあ!いいです!フィーロ様、熊叔父さん、助けて!」

廊下で、立ち尽くしていた二人に助けを求めたけれど、猫母さんにあっさり連れ込まれ、その後三日ほど他人に身体を触られるのがイヤになるほどの衝撃を受けた・・・・・。世の中って、まだまだ知らないことだらけなんだな。


セシアが、三日間部屋に閉じこもった。もちろん、食事の仕度や掃除などの家事はこなすのたが、それ以外は寝台に入って、小さくなっている。原因は、分かっている・・・、お袋だ。

「助けて!」

お袋に引きずられているセシアに、助けを求められたけれど、俺達に何が出来るっていうんだ。悪党からだったら、いくらでも助けてやれるけれど、お袋からは無理だ。風呂場に響く、セシアの叫び声とお袋の高笑いが聞こえないように、叔父さんと俺はひたすら家の周りの雪掻きをした。









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