第2話 境界を超える理由

乾いた風が、畑の上を這うように通り抜けた。

土はひび割れ、浅く掘っただけで白い粉塵が舞い上がる。

かつてここは、粘り気のある黒土が実りを支えていた場所だった。


だが、今では作物の影もまばらで、若者たちの手が加わっても、地面は応える素振りを見せない。

レオは人を探しに、集落の中央にある共同水場へと向かった。


水場の周りでは、誰かが言い争っている。

水を巡ってのことだと、聞かずともわかった。


水場の傍らに、ケイジが腰を下ろしていた。

灰混じりの焚き火に手をかざしながら、低く笑う。


「また揉めてるな。若いのは抑えがきかん。喉が渇けば心まで干上がる」

レオは静かに頷いた。


「水だけじゃない。食いものも減ってる。土がもう限界だ」


「知ってるさ」ケイジは寂しそうに言った。


「……けど、思い出すな。昔、俺たちの父親世代がどうだったか」

話題を向けられると、レオは一瞬視線を落とした。


ケイジは続ける。

「あいつらは誇りってやつを盾にして、都市の女たちを敵に回した。で、見事に締め出されたわけだ」

レオは黙っていた。


だが、心の内では過去の記憶がざわついていた。

暴動、炎、泣き叫ぶ声、男たちの怒号。

そして、その果てにある追放。


あの時、俺は統治者を守ることしか考えられなかった。

マーナを助けるつもりで戻ると宣言したのに、現場に戻ったときにはすでに全てが崩れていた。


煙の向こうに、逃げ惑う人々と、燃え上がる施設の影。

俺は任務を優先し、目の前の混乱に立ち向かうしかなかった。

あの一瞬の判断が、今も胸の奥でずっと重くのしかかっている。


それでも、もう同じ過ちを繰り返したくはない。


「俺は喧嘩をしに行くんじゃない。対話がしたいんだ」


ぽつりと漏れた言葉に、ケイジが目を細めた。

「わかってる。だからお前に賭けてるんだ、レオ」

その言葉には、信頼と、わずかな哀しみが滲んでいた。

夜が深まり、空には星がまたたいている。


集落の灯りは乏しく、遠くセントラルシティの灯りがほのかに見える。

かつて自分たちが暮らしていた都市。

清潔な水。

飢えのない暮らし。

無数の可能性。


若者の怒鳴り声が夜風に混じって聞こえた。

水の取り分を巡っての口論だ。

小さな殴り合いになり、誰かが押し倒される音がした。


レオは立ち上がり、しばらくの間、静かにその光景を見つめた。

——このままではいずれ、この怒りがかつてのような“破壊”に変わる。

自分を守るために、人は牙を剥く。

それを誰よりも知っているのが、俺たちの世代だ。


飢えか、尊厳か。

生き延びることにどれほどの意味があるのか。


それでも、つながりたいと思う気持ちを、レオは捨てきれなかった。

「……明日、都市へ向かう」

ケイジは焚き火の炎越しにレオを見上げる。


「そうか。……なら、気をつけろ。境界を超えるってのはな、ただの移動じゃない。一歩向こう側に踏み出したら、何もかもが変わるかもしれん。お前自身も……な」

レオはうなずいた。


その一歩が、たとえ誰にも歓迎されなくとも。

たとえ過去が呪縛のように足を引いても。


それでも、境界を超える理由が、自分にはあると信じていた。

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