1 理不尽な現実 

 このペンフォード王国では学園に通う前は、家庭教師が子供の教育をする。カーク侯爵家でもそれは同じで、少し前から私とメルバに家庭教師がついた。私の授業は午前中で、離れで行われる。


 なので、私は本邸での朝食を終えると、すぐに離れへ戻り机に向かう。ほどなくして、家庭教師が分厚い本と筆記用具を抱えてやってきた。


「さぁ、今日も算術から始めましょうか。まずは先日教えた算術がマスターできているか、試験を行いますよ」

「はい、わかりました」


 出された問題を解き始めると、指先は自然と動いていた。数字の並びや計算の法則がすっと頭に入ってきて、答えを迷いなく導き出せる。


「……正解です! 速いですね、しかも解法も無駄がないですよ」

 家庭教師が驚いたように目を見開く。


 次の問題も、そのまた次の問題も、私は迷うことなく解いていった。離れではすることもなく、楽しみは本を読むことぐらいだった。だから暇さえあれば家庭教師から渡されたテキストを開き、夢中で読みふけっていた。その積み重ねがあったからこそ、解くのも自然と早く、迷いがなかったのかもしれない。

 

「すばらしいですよ、スカーレット様。しっかりと勉強なさっっているのですね。とても偉いです」


 家庭教師にそう言われて、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 誰かに褒められることなんて、一度もなかった。

 お父様からは罵倒か、いないものとして扱われるばかりで、使用人たちからは見下されるだけだったから。


 (褒められるって、こんなに嬉しいことなのね)


「ありがとうございます、先生。もっとたくさん勉強したいです!」


 自分でも驚くくらい、声が弾んでしまった。


 。゚☆: *.☽ .* :☆゚


 夕食の時間、長テーブルの上には豪華な料理が並んでいた。けれど、私の心はいつものように冷えきっている。

 お父様も継母のアメリも、話題にするのはメルバのことばかり。私が口を開く余地など、これまで一度もなかった。まるで、そこに存在していないかのように無視されるのはつらい。

 

 なのに、その日は違った。


「スカーレット」

 突然、お父様から名前を呼ばれて思わず背筋が伸びた。

「おまえの妹は実に優秀なんだぞ。これを見ろ、完璧な答案用紙だ」


 お父様が掲げている紙を見て、私は息をのんだ。そこに記された数字の並びも筆跡の癖も、見覚えがありすぎる。――間違いなく、今朝私が解いた答案用紙だったのだ。


「まぁ……ありがとうございます、お父様。でも……お姉様がかわいそうですから、あまり比べるのはやめてあげてくださいね」

 メルバが小首をかしげ、控えめにそう言った。まるで私を思いやる優しい妹のように。


 (違う! 違うのに……あれは私の答案用紙だわ)


「それは私の……」

 

 言いかけたとき、継母アメリと目が合った。冷たい笑みとともに、射抜くような視線が突き刺さる。黙っていろ、とでも言いたげに。唇を震わせたまま何も言えなくなった私の横で、アメリは口の端をわずかに持ち上げ、満足げに笑った。


(真実を告げても、きっとお父様は信じてくれないわよね。だったら、言っても無駄か。でも……)


 頭の中がぐるぐると混乱し、胸の奥が重く沈んでいく。せっかく褒められて嬉しかった気持ちが、一瞬で冷たい闇に飲み込まれていったのだった。


「それに引き換え、スカーレットの答案用紙は酷すぎる! ほとんど正解していないじゃないか。いったい、おまえの頭にはなにが詰まっているんだ? きっとからっぽなんだろうな。おまえはカーク侯爵家の恥だ。やはり、生まれてきたこと自体が間違いだったのだ。なぜ、黙っている? 聞こえているのか!」

「ご、ごめんなさい……」


「お父様。お姉様は頑張っていらっしゃるのですわ。これでもきっと、お姉様にとっては精一杯の結果なのです。責めるなんて、あまりにもかわいそうです」

「メルバは本当に優しいな。自分がこれほど優秀でありながら、出来損ないの姉を思いやる心まで持っているとは……素晴らしい! カーク侯爵家を継ぐのは、メルバのほうがいいかもしれん」

「お父様……そんな、私は……。お姉様がかわいそうです」

「ふん! 努力しても無能な者は無能だ。カーク侯爵家の未来を託すのは、メルバに決めた!」


 その瞬間、アメリの顔がパッと輝き、メルバも嬉しそうな声をあげた。

「お父様、ありがとうございます! 本当は、大好きなお父様とお母様から離れるのが寂しいと思っていました。これで一生、そばにいられます」

「そうだ。私もメルバを他家に嫁がせたくはない。婿を迎えて、一生ここに住めばいい」

「あぁ、旦那様、ありがとうございます! メルバを手放さずに済むなんて、なんて幸せなことでしょう」

「そうだろう? 我ら三人こそが本当の家族だ。この先もずっと一緒さ」


 三人は楽しげに声を弾ませ、食堂は朗らかな笑いに包まれた。もちろん、その輪の中に私の居場所はない。カーク侯爵家を継げないこと自体は、正直どうでも良かった。けれど――私の努力がメルバの手柄にすり替えられ、反対にメルバの間違いだらけの答案が私の実力だとされる。そのあまりに理不尽な現実と、胸を締めつけるような疎外感に、こらえきれず涙が込み上げそうになるのだった。



 

 

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