第5話 襲撃 マーズとヴォウク

 九月十五日 アメリカ合衆国カリフォルニア州

 サンフランシスコ市郊外の高台に大邸宅を構える人気推理小説家シャロン・テイラーは得体の知れない恐怖に怯えていた。シャロンの手元には、テロ事件に巻き込まれて殺害されたニューヨークの投資家ローガン・ミラーに関する記事の他、世界賢人連盟のメンバーが何者かに殺害されたという情報が世界各地から集まっていた。シャロンも世界賢人連盟のメンバーである。

 それぞれの事件は世界各地で発生しているため、それらの事件を関連付ける報道はされていないが、シャロンの目から見ると世界賢人連盟メンバーの抹殺であることは一目瞭然だった。日本で佐渡忠吉博士が自動車事故で死亡し、そのすぐ後に神宮寺孝晴が射殺された事件を皮切りに、ここ一か月ちょっとの間に十八人いたメンバーは次々と殺害された。

 いま残っているのはシャロンの他にロシアの石油会社ミハイネフチの会長アンドレイ・ミハイロフ、香港のIT企業大華集団の創業者サミュエル・リー、カリフォルニア州サンノゼ市のゼネラルソフト社のCEOジェフ・マクラネルだけになっていた。

 書斎の机の上にある電話が鳴った。シャロンが受話器を取るとジェフ・マクラネルの慌てたような声が響いてきた。

「シャロンかい? ジェフだ。そちらは大丈夫かい」

「ジェフ。よかった、こっちから連絡を入れようと思っていたところなの。ねぇ、いったい何が起こっているの」

「分からない。記憶生命体の存在に気付いた誰かが、我々を抹殺しようとしているのは間違いないと思うんだが、誰なのかもその理由も分からない。それと、たったいま入ってきた情報だが、昨日の朝、香港のサミュエル・リーが武装集団に襲われて死亡した。ロシアのアンドレイは雲隠れしたらしく連絡が付かないんだ」

 シャロンは思い詰めたような声を出した。

「もしかしてアンドレイが抹殺の首謀者なんじゃないかしら」

「そんな馬鹿な。そもそもアンドレイが僕ら同胞を抹殺する理由がないよ」

「でもあの人、世界賢人連盟のメンバーの中で孤立していたし、この前の総会のときもひとりだけエネルギー政策に関する提言に反対していたわ。あなたとも口論になったし・・・」

「意見の対立はあったけど、こんなことまでするかな? それよりもシャロン、ひとりじゃ危険だ。どうだい暫くの間ゼネラルソフト社に避難しないか。ここなら警備も厳重だから安全だよ」

 シャロンは受話器を持ったまま、書斎の中をウロウロと歩きながら考えている。

「フロリダの別荘に避難しようと思っているの。あそこなら誰にもまだ知られていないし」

「暗殺者がどうやって我々の情報を入手しているのか分からないんだ。少なくともひとりにならない方がいい」

 暫く俯いて考えていたシャロンは顔を上げた。

「分かったわ。それじゃジェフのところに避難するわ」

 シャロンはほっとしたような声で言った。それを聞いたジェフはウンと頷いた。

「これからすぐに車で迎えに行くよ。護衛も付けてね。一時間ほどで着くから、それまでに準備をしておいて」

 シャロンは電話を切ると慌ただしくクローゼットに向かい、大きなスーツケースを取り出すと、洋服や化粧道具などを詰め始めた。


 サンフランシスコ国際空港に香港発のプライベートジェットが到着し、機内から七人の男が降りてきた。

 ニコライ・ペトロフは旧ソ連のKGBで特殊訓練を受けた暗殺のスペシャリストで、ソ連崩壊後は殺人を請け負って報酬を得る生活を続けてきた。身長百九十センチのがっしりした体形で、短く刈り込んだ銀色の頭髪と灰色の瞳が冷酷な印象を与える。その容貌と残虐な性格から「ヴォウク(狼)」と呼ばれていた。

 ニコライたちチームヴォウクは香港でサミュエル・リーを襲撃し、その足で香港国際空港に向かい、チャーターしたプライベートジェットでサンフランシスコに飛んできたのだった。

 ニコライはジェットの機内で不機嫌に周りのメンバーに当たり散らしていた。チームヴォウクの現在のスコアは七点。競争相手のスコアを上回ってボーナスを得るためには、サンフランシスコにいるアメリカ人をふたりともチームヴォウクが始末しなければならない。まだ死体は発見されていないが、ロシアのアンドレイ・ミハイロフを二週間前に殺害していた。本来ならもっと早く殺害できていたはずが、メンバーのダニール・イワノフの大ポカで一度逃がしてしまい、再びアンドレイを捕捉するのに一週間も余計に時間が掛かっていた。当初の予定であれば一週間前にサンフランシスコに到着し、今頃はミッションを完了してボーナスの五百万ドルを手にしていたはずだった。それを思うたびにニコライのはらわたが煮えくり返るのだ。

 ニコライは眉間にしわを寄せて不機嫌な顔をしたまま空港施設に入ると、入国ゲートに急ぎ足で向かった。先発してサンフランシスコに入り、武器や車などの調達をしているヤコブ・オルロフと一刻も早く合流して、機内で立てた襲撃計画を実行しなければならない。

 目の前をモタモタ歩いているくたびれた開襟シャツを着た痩せた男とがっしりした体形の金髪の女のふたり連れの脇を、ニコライは足早にすり抜けた。

 

 サンフランシスコ国際空港の国内線到着ロビーから出てきたチームマーズのメンバーは、現地の調達屋ホセ・ロペスの出迎えを受けた。

 ホセはカーリーヘアに口ひげがトレードマークの陽気なメキシコ人である。ホセは金さえ出せば何でも調達してくれる便利な男で、サンフランシスコの裏の世界にも顔が広かった。ホセとはこれまでも何度か仕事をした顔なじみである。

 デイビッドとホセはがっちり握手をすると、空港の出口に向かって肩を並べて歩いた。陽気なホセが両手を振り回して機関銃のような早口で冗談を口にしながら、ちらりと横を見ると慌てて顔をそむけた。

「どうした、ホセ」

「ヤバいやつがいた。ニコライ・ペトロフだ。お前さんも名前を聞いたことあるだろう、元KGBの殺し屋ヴォウクだよ。やつが姿を現したということは誰か大物が狙われているな」

 デイビッドは気付かれないようにそっと横目でニコライを見た。

「名前は聞いている。あれがヴォウクか。フーン、メンバーは全部で七人・・・そうか、やつらがもう一組のチームってことか。こりゃあ強敵だな、よし、急ぐぞ!」


 チームマーズのメンバーは五台のオートバイでシャロン・テイラーの自宅に向かってハイウエイを爆走していた。

 スズキGSX1300R『隼』水冷DOHC四バルブ直列四気筒、百七十五馬力、最高速度時速三百十二キロというモンスターマシンである。

 五台の隼はデイビッドを先頭に一列に並び、甲高い爆音を轟かせてハイウエイを切り裂くように走る。車体を左右に傾けてハイウエイに置かれた障害物のようなトレーラーやトラックの間を縫うようにすり抜ける姿は、名前のとおり猛禽類が獲物を狙って空中を滑空する姿そのものだ。

 バタバタというローター音が背後から近づいてきたかと思うと、ハイウエイを爆走する隼の上を掠めるようにして二機のヘリコプターがあっという間に追い抜いていった。

 デイビッドはチームヴォウクだと確信した。やつらは同じターゲット、シャロン・テイラーを狙っている。

「くそっ、ヴォウクのやつらか。ヘリコプターとはロシア人はやることが派手だな。急ぐぞ!」

 ヘルメット内の無線通信でデイビッドはメンバーに声を掛けると、スロットルを全開にした。


 成田空港を午後五時に離陸した航空機は、翌日の午前十時四十五分にサンフランシスコ国際空港に到着した。

 瞭たちが到着ロビーで待っていると、小さな手提げバックを持った明石とバカでかいスーツケースをふたつも持ったリリーが人ごみに揉まれるようにして到着ゲートから出てきた。明石は相変わらずくたびれた開襟シャツを着てよれよれの黒いズボンをはいている。リリーは上下真っ白なパンツスーツに真っ赤なハイヒールを履いている。ふたりが並んで歩く姿は、ハリウッド映画に出てくるノッポとチビのロボットコンビのようだ。

 入国審査に時間が掛かったのか時刻は既に正午を回っていた。

「パスポートの写真と違うなんて失礼しちゃうわ」

 金髪のカツラを被りどぎつい化粧をしたリリーがブツブツと怒っているのを、隣で明石がなだめている。瞭が笑いながらふたりに近づくと「どうしました」と声を掛けた。

「ひどいのよ、レディーに向かってカツラを取れなんて言うのよ。しかも英語で。信じられない。これは地毛よって言っても信用しないの」

 リリーは怒りが収まらないのか、どぎつい化粧では隠し切れない太い首筋が真っ赤に染まって血管が浮いている。

「それでどうなりました」

 瞭が尋ねると、横から早苗が悪戯っぽい目をして「蹴とばしてやったんでしょ」と茶々を入れた。

「明石ちゃんのあれで入国審査官は何も言わなくなったわ。便利なもんね、触るだけだもん。パスポートを貰うときの身元確認もスンナリだったもんね」

 明石はリリーの横で苦笑している。

「いきましょう」

 瞭はリリーのスーツケースをひとつ持つとみんなを促した。リリーは先導する瞭の背中を眺めながらオヤッという顔をした。

「ちょっと瞭ちゃん、あんた・・・念動波が強くなっているわ。まさか」

 瞭は振り返ってリリーに笑顔を見せると小さく頷いた。


 空港からサンフランシスコ市街に向かうワゴン車の中で、瞭は明石とリリーに世界賢人連盟のメンバーが次々と殺害されていることを説明した。現在生き残っているのはロシアと香港にそれぞれひとり、アメリカにふたりの合計四人にまで減っていることを知った明石とリリーは、思わず顔を見合わせた。ロシアと香港のふたりが既に殺害されていることなど、瞭が知る由もない。

「仲間割れでしょうか」

 後部座席の明石がぽつりと口を開いた。

「こっちの手間が省けてよかったじゃない」

 明石の隣で金髪のカツラをいじりながらリリーが言うと、幸子が首を振った。

「それが、記憶生命体の数が減っているのに人類の厄災のイメージは消えるばかりか、増々強く感じるようになっているの。きっと人類の厄災が近づいているのね、焦燥感がずっと頭から離れないわ」

 瞭はハンドルを握ったまま、バックミラーに映る幸子をチラリと見た。

「これまで殺害された世界賢人連盟のメンバーには人類の厄災を引き起こす元凶はいなかったのでしょう。いずれにしても残った四人がキーになるということか。それとも・・・」

 瞭は運転しながら呟いた。

「それとも?」

 助手席に座る早苗が聞き返す。

「世界賢人連盟のメンバー以外に、記憶生命体を宿した人物がいて、そいつが元凶だとか・・・あくまで、仮定の話だけどね」

「そうなると、お手上げね。探しようがないもの」

 早苗はため息を吐いた。

 瞭の運転するワゴン車は車の流れに乗って順調にサンフランシスコ市街に近づいていた。市街地に向かって延びる道路には初秋の柔らかな陽光が満ちていて、沿道の木々は少しずつ色づき始めている。瞭たちの焦燥をよそにして季節はゆっくりと確実に進んでいるのだ。

 助手席に座り車の外を見ていた早苗が急に声を上げた。早苗の顔は少し紅潮している。

「何か事件が起きそう。ドキドキするわ」

「私も感じる」

 幸子は早苗に同調すると目を閉じた。ものの数秒もしないうちに幸子はハッと目を開いた。

「女性が襲撃される。傍に男性が見える・・・この男性を絶対に助けなきゃいけない。きっと私たちの味方になる人だわ。それとも将来に何かの役目が与えられているのか・・・」

「女性? 生き残っている世界賢人連盟のメンバーで、女性はシャロン・テイラーだけです」

 瞭が幸子の言葉に反応する。幸子は慌ただしく言った。

「瞭さん、直ぐにシャロンの自宅に向かって下さい、急いで!」

 瞭は頷くとブレーキを踏み込んで急ハンドルを切った。危うく追突しかけた後続のトラックが急ブレーキと共にクラクションを鳴らす。トラックの運転手の罵声を背中に浴びながらワゴン車はタイヤを軋ませて交差点を曲がると、シャロンの住むサンフランシスコ郊外に向かった。ワゴン車の後部座席では、急ハンドルによってウィンドウガラスに頭をぶつけたリリーが、頭を擦りながら恨めしそうな目で瞭を睨んでいた。


 シャロン邸の敷地入口にある電動ゲートを抜けて三台の車が玄関前の車寄せに滑り込んだ。一台は黒のキャデラック・プレジデンシャルリムジン、残りの二台は銀色のメルセデスベンツAMGの四ドアクーペで、停車するや否やベンツのドアが開き、中から拳銃を構えたボディーガードが飛び出してきた。六人のボディーガードのうち四人は周囲を警戒し、ふたりは家の中に入った。

 ボディーガードによって建物の周囲と家の中の安全が確認されると、キャデラックの後部座席からジェフが素早く降りて、家の中に走り込んだ。

「シャロン、準備はいいかい。すぐに出発するよ」

 ジェフの声に、リビングでスーツケースを抱えて椅子に腰掛けていたシャロンが頷いた。シャロンは花柄のブラウスに白のスラックスという服装で、大きな鍔のある帽子を被っている。ジェフの姿を見たシャロンのほっそりとした顔に安堵の色が浮かぶ。

「よかった、これで安心だわ」

 ジェフはシャロンに駆け寄った。ふたりは軽く抱擁した後、ジェフがスーツケースを持ち、シャロンの肩を抱いて玄関に向かって歩き始めた。

 そのとき腹の底に響くような微かな振動が伝わってきた。やがてその振動はどんどん強くなった。それに合わせてバタバタというローター音が聞こえ始めたかと思うと、瞬く間に耳をつんざくような轟音に変わった。

「ヘリコプターが二機接近! 早くこちらへ避難してください!」

 ボディーガードが叫びながら家の中に飛び込んできたのと同時に、ヘリコプターからの機銃掃射が始まった。

 ドドドドという重機関砲の発砲音が辺り一面に響く。

 ジェフとシャロンはボディーガードに引きずられるようにして床に伏せ、這いずりながら壁際に身体を寄せた。一瞬で窓ガラスが粉々に吹き飛び、カーテンは銃弾が貫通するたびにヒラヒラと踊るように舞っている。空気を切り裂くビリッという音を立てて頭の上を銃弾が飛び交っている。一発の銃弾がジェフの左足太腿の筋肉を抉りながら飛び去った。ジェフのズボンに血の染みが広がっていくが、ジェフは身動きできない。壁には蜂の巣のような穴が開き、その穴から差し込んだ外光が舞い上がった埃の渦を斜めに貫いている。部屋の中にあった全ての物が破壊され、破片となって床一面に散乱していた。ジェフの身体は何かの破片が降りかかって雪をかぶったように白くなっていた。

 五分ほど続いた機銃掃射が突然止んだ。家の上空でホバリングしているヘリコプターのバタバタというローター音だけが辺りに響いている。ジェフは呻き声を上げながら身体を起こすと、横にいるシャロンの肩に手を伸ばした。

「シャロン、大丈夫かい」

 ジェフが覗き込むようにしてシャロンを見ると、シャロンは目を大きく見開いたまま死んでいた。背中に数発の弾痕があり、弾丸は身体を貫いて腹から抜けていた。花柄のブラウスは血でぐっしょりと濡れ、床にも黒い血だまりができていた。その向こうに穴だらけの帽子が転がっている。

「シャロン!」

 ジェフは悲鳴にも似た叫び声を上げた。後を見るとジェフを抱えるように伏せていたボディーガードも口から血を流したままピクリとも動かない。

「くそっ、やられた」

 ジェフが跪いたままシャロンの亡骸を抱えていると、玄関からキャデラックの運転手のマイクが走り込んできた。

「ジェフCEO、ご無事でしたか。よかった。早くこちらへ」

 ジェフはイヤイヤをする子供のように首を横に振った。

「シャロンをこのまま置いていけない」

 マイクはジェフの肩を掴んで、目を覚ませとばかりに揺さぶった。

「襲撃者はヘリコプターから降下する準備を始めました。ここでは防御できません、早く車へ! このままじゃ、殺されるだけです!」

 マイクに抱えられてジェフは立ち上がろうとしてよろめいた。左足に力が入らない。ジェフの左足の腿の傷からは出血が続きズボンが血で真っ赤に染まっていた。

ジェフはマイクの肩を借りて左足を引きずりながら玄関を抜け、玄関前に止まっているキャデラックの後部座席に転がり込んだ。

 キャデラックの前後に止まっている二台のベンツは機銃掃射を受けて原形を留めないほど大破していて、周りにボディーガードたちが倒れていた。生き残ったのはジェフとマイクのふたりだけだった。

 シャロン邸の上空でホバリングしているヘリコプターから降下用ロープを伝って、迷彩服を着て完全武装したチームヴォウクのメンバー三人が次々に地上に降下してきた。

 真っ先に地上に降下したニコライは、続いて降下してきたゲオルギーとディミトリにキャデラックへの攻撃を指示すると、崩れそうに傾いているシャロン邸の中に入った。

 ゲオルギーとディミトリはAK―74Mカラシニコフを乱射しながら玄関前に止まっているキャデラックに向かって走った。キャデラックのドアや窓ガラスに銃弾の当たるビシビシという音が響いたが、自動小銃から発射された銃弾は全て弾き返されてキャデラックには傷ひとつ付かない。

 ジェフの乗るキャデラック・プレジデンシャルリムジンは、ジェフが特別注文で手に入れたもので通称『ビースト(野獣)』と呼ばれるアメリカ大統領専用車と同じ規格である。特殊鉄鋼の厚さ五インチの複合装甲で覆われ、ドアの厚さ二十センチ、防弾窓ガラスの厚さは十二センチ以上あり、ロケット砲や爆弾にも耐えられる。自動小銃の五・四五ミリの銃弾ではとても歯が立たない代物だ。

 マイクは目の前にある大破したベンツの残骸を弾き飛ばすようにしてビーストを急発進させた。ビーストは大きくテールを振りながらカーブを切り、シャロン邸の玄関前から離れると、急加速しながら敷地入口の電動ゲートを突き破って走り去った。

 ニコライは自動小銃を構えながらシャロン邸の中を進み、リビングの床で倒れているシャロンを発見すると、跪いて一度顔を確認し、立ち上がると無造作にシャロンの頭部に自動小銃の銃口を向けて引き金を引いた。シャロンの頭が銃弾を受けて数回跳ね上がった。

「これでスコアはタイブレークだ。後はジェフ・マクラネルひとりか。五百万ドルのボーナスは必ず俺たちが貰うぜ」

 ニコライは氷の様な冷たい声で独り言を呟くとリビングを出ていった。

 玄関の前ではゲオルギーとディミトリが自動小銃を肩に掛けたまま所在なさげに並んで立っていた。キャデラックの姿がない。

「どうした」

 ニコライの問いにゲオルギーが肩をひそめた。俺のせいじゃないとでも言いたげだ。

「逃げられた、あのキャデラックは防弾仕様らしい」

 ニコライが罵声を浴びせようと口を開きかけたとき、突然ニコライの携帯電話が鳴った。ニコライの耳に金属的な声が聞こえた。

「ニコライか、ゼータだ。よく聞け、いま逃げたキャデラックにジェフ・マクラネルが乗っている」それだけ言うと電話は切れた。

 ニコライははじかれたように走り出すと、無線機でヘリコプターに着陸の指示を出した。ヘリコプターに乗り込んだニコライは叫んだ。

「あの逃げたキャデラックを追え。ジェフ・マクラネルが乗っている。最後のターゲットだ、急げ! あいつを仕留めれば五百万ドルのボーナスは俺たちのものだ」

 二機のヘリコプターは唸りをあげて急上昇し、屋根の上で小さく旋回するとビーストの走り去った方角に飛び去った。


 チームマーズがシャロン邸の敷地前の電動ゲートに到着したときには、既にヘリコプターからの機銃掃射が始まっていた。ベンツの横から見上げるようにしてヘリコプターに向かって拳銃を撃っているボディーガードたちが機銃掃射を受けて次々に倒れ、ベンツが蜂の巣のようになって大破した。シャロン邸も機銃掃射を受けて穴だらけになっていた。

「すげえな、ありゃたぶんロシア製KORD重機関砲だ、口径十二・七ミリ。一発で大穴が開くぜ」

 ケビンが驚いたような声を上げたのが、ヘルメット内の無線通信でメンバー全員に伝わってきた。重機関砲の銃弾の雨の中に飛び込むのは自殺するようなものだ。

「これじゃあ迂闊に飛び込めない。このまま待機だ」デイビッドが言った。

 機銃掃射が止み、少ししてから自動小銃のタタタタという乾いた発砲音がした後、突然入口の電動ゲートを突き破って大きな黒いキャデラックが飛び出してきた。キャデラックは猛スピードでデイビッドの脇をすり抜けて走り去った。

 デイビッドの携帯電話が鳴った。隼に跨ったままヘルメットを取り電話に出たデイビッドの耳に金属的な声が聞こえた。

「デイビッドか、ゼータだ。よく聞け、いま逃げたキャデラックにジェフ・マクラネルが乗っている」それだけ言うと電話は切れた。

 デイビッドは慌ててヘルメットを被ると、スロットルを開けて隼の後輪をスリップさせ、その場で百八十度方向転換した。デイビッドはスロットルを目一杯開けた。急発進で隼の前輪が浮き上がる。

 デイビッドはヘルメット内の無線通信でメンバーに怒鳴った。

「急げ、あのキャデラックを追うぞ。ジェフ・マクラネルが乗っている!」

 チームマーズの残りの四台の隼もその場で急旋回し、次々とデイビッドの後に続いた。


 瞭たちのワゴン車はシャロン邸に向かって林の中の曲がりくねった細い道路をひた走っていた。走行距離五十万キロの中古ワゴン車のくたびれたサスペンションはカーブのたびに悲鳴を上げて左右に車体が大きく傾くため、助手席の早苗は両足を踏ん張ったまま顔を引きつらせている。

 見通しの悪い大きなカーブに差し掛かったとき、突然大きな黒いキャデラックが対向車線をはみ出してワゴン車の正面に現れた。

 瞭は「バカヤロウ」と叫びながら咄嗟にブレーキを踏みハンドルを切る。ワゴン車は正面衝突の直前で何とかキャデラックをかわすと、ガードレールにバンパーを擦り付けながら何とか止まった。あんなバカでかいキャデラックと正面衝突すれば、中古のバンなどひとたまりもなく大破だ。

「危なかった。マッタク無茶しやがる」

 ハンドルを握ったまま瞭が大きく息を吐いた。額に脂汗が浮かんでいる。

 助手席で頭を抱えていた早苗が、何かを感得したのかハッと顔を上げた。同時に、後部座席の幸子が身を乗り出した。

「あの車を追って!」

 幸子と早苗が同時に叫んだ。

 ガードレールに貼り付くようにして路肩に止まっているワゴン車の上空を、轟音を上げて二機のヘリコプターがキャデラックを追って飛び去った。瞭がワゴン車をUターンさせようとハンドルを切りかけたその前を、今度は五台の隼が猛スピードですり抜けていった。

 ポツンと取り残されたワゴン車が静寂に包まれた。サラブレッドの馬群に置いてけぼりを食らったロバのようだ。

「あの黒い車に乗っている男の人を助けなきゃいけないのです、急いで下さい」

 幸子の声に頷くと、瞭はワゴン車のアクセルを踏み込んだ。ワゴン車はヨタヨタとテールを左右に振りながら走り出した。


 サンフランシスコ市街に向かって延びるハイウエイに繋がる細い道路をキャデラック『ビースト』は走っていた。あと数キロでハイウエイの入口だが、上空に二機のヘリコプターが張り付き、執拗に追ってくる。しかし道路の周りに生える高い木々が邪魔をしてヘリコプターは容易にはビーストに接近できない。

 マイクがビーストの車内電話でジェフに話しかけた。

「ジェフCEO、後部座席の中央下にあるコントロールパネルを開いて、一番左のボタンを押してください。窓の装甲板が作動します。運転席と後部座席との間の装甲板も同時に作動しますから、これで後部座席は安全です」

 ジェフが分かったと答えて指示されたボタンを押すと、窓ガラスの全面を覆うように金属製の装甲板が下からせり上がり、後部座席は装甲板で周囲を完全に保護された。外部の音が遮断されて空調のブーンという低い音だけが微かに響いている。ジェフは備え付けてある防弾チョッキとフルフェイスのヘルメットを身に着け、後部座席をリクライニングモードから緊急用のホールドモードに切り替えるとシートベルトをきつく締めた。


 チームマーズの乗る五台の隼はカーブに合わせて車体を大きく左右に傾けながら細い道路を走り抜けた。前方の上空でヘリコプターが地上を覗っているのが見えた。あの下にターゲットが走っている。大きなカーブを抜けるとビーストのテールランプがデイビッドの目に飛び込んできた。その先にはハイウエイに繋がる進入路が見える。

「追いついた、いくぞ!」

 デイビッドは隼のスロットルを開けると急加速してビーストの横に並んだ。その後ろにダニエルがぴったりと張り付いた。

 二台の隼と並走しながらビーストは進入路を抜けてハイウエイの本線に入った。

デイビッドはバックパックから手探りでコルトガバメントを引き抜くと、ビーストの運転席の窓に向けて無造作に引き金を引いた。

 銃弾は弾き返されて運転席の窓ガラスには疵ひとつ付かない。

「くそっ、防弾ガラスだ」

 デイビッドがヘルメット内の無線通信で怒鳴った。

 二台の隼がビーストの横を並走していることに気付いたマイクは、左右に大きくハンドルを切った。ビーストの巨大な車体が隼に迫る。

 デイビッドは急加速で前方へ、ダニエルはフルブレーキで後方に逃れた。体当たりし損ねたビーストは道路の真ん中でフラフラと蛇行しながら何とか持ちこたえた。

 デイビッドはビーストの前方十メートルの至近距離を走りながら、首を曲げて後ろを振り返り、運転席に向けて拳銃の引き金を引いた。しかし完全防弾のフロントガラスは銃弾を弾き返す。

 マイクはビーストのアクセルを目一杯踏み込んだ。

 デイビッドは追突される一瞬前にギアをシフトダウンしてからスロットルを全開にした。一瞬沈みこんだ車体を揺らしながら隼はまるでロケットのように急加速し、あっという間にビーストの百メートル前方に離れた。

 ダニエルの乗る隼が追い越し車線を一気に加速してビーストの横に並ぶと、ダニエルはビーストのタイヤに向けてマガジンが空になるまで拳銃を撃った。

 弾丸がタイヤに命中したがビーストの動きに変化はない。大統領専用車仕様であるビーストはパンクした状態でも百キロの距離を移動できる特殊なタイヤを装着しているのだ。

「何だこいつは」ダニエルが叫ぶ。

「おそらくビーストだ。大統領専用車と同じ仕様だ。四十五口径のコルトガバメントじゃ話にならん。少し様子を見るぞ」

 デイビッドはブレーキをかけて隼を減速し、後方のダニエルたちに合流した。五台の隼はビーストの後方二十メートルの位置でひと固まりになって追走を始めた。


 ハイウエイを走るビーストの上空に二機のヘリコプターが現れた。

 ビーストは重装甲のため車体重量が約九トンもあり最高速度は時速百キロしか出ない。ハイウエイをノロノロと走るビーストの上空に二機のヘリコプターが迫った。一機が低空でビーストの後方から近づくと、追い越しざまに機銃掃射を浴びせかけた。ハイウエイの路面を銃弾が抉り取っていくが、ビーストの車体に当たった銃弾は弾き返された。もう一機も同じようにして後方から追い越しざまに機銃掃射を浴びせたがビーストの動きには全く変化が無い。

 ヘリコプターの中でニコライは舌打ちをしていた。

「ビーストか。ロケット砲でも歯が立たないのに、口径十二・七ミリのKORD重機関砲ではあの重装甲はどうにもならん」

「どうする」ダニールが尋ねた。

「とりあえず追跡だ、しっかり張り付け。ハイウエイ横の高圧送電線に注意しろ。接触でもしたら一発で終わりだ」

 ニコライはそう指示してから、ビーストの後方を追走する五台の隼に気付いた。ニコライは無線機を取った。

「ヤコブ、聞こえるか。お前たちの機はビーストの後方にいる五台のオートバイを片付けろ。恐らくあれが競争相手の暗殺チームだ。俺たちの機はビーストを追う。片付けたら追いかけてこい」

「了解」

 ヤコブの乗るヘリコプターは急旋回すると後方に離れて距離を取り、一旦高度を上げると、そこから五台の隼に向けて唸りを上げて急降下した。


 ビーストの後方を追走しているデイビッドは、背後から迫ってくるヘリコプターのローター音に気付いた。後方を振り返ったデイビッドの目に急降下してくるヘリコプターと機体から突き出た機関砲が映った。

「後方からチームヴォウクのヘリが接近。退避しろ!」 

 デイビッドは怒鳴ると同時に隼の車体を傾け進路を変えた。

 五台の隼が左右に分かれたその中央を、機銃掃射の音とともに銃弾の雨が走り抜けた。路面から抉られたアスファルトの破片が水しぶきのように跳ね上がる。ヘリコプターは轟音をあげて隼の上を掠めるように追い抜いた。

 一旦前方に抜けたヘリコプターは旋回すると、今度は地上すれすれの低空でチームマーズに向かった。機関砲が火を噴き、銃弾で削られて跳ね上がるアスファルトの破片の波が、前方からデイビッドたちに迫る。それは死の波だ。

「くそっ、ヘリコプターからの機銃掃射じゃこっちは手も足も出ない。ヴォウクのやつらもビーストの中のジェフには手出しできまい。一旦引き上げるぞ」

 デイビッドたちはフルブレーキで減速し、隼の後輪をスリップさせてその場で方向転換すると、ハイウエイを逆走して全速力で逃げ出した。

 デイビッドたちは隼の車体を大きく左右に振って後方から迫る銃弾を避けながらハイウエイを爆走する。

 チームマーズの前方から一台の大型タンクローリーが迫った。ハイウエイを逆走している五台の隼に気付いたタンクローリーの運転手が狂ったようにクラクションを鳴らし、辺りに甲高い警笛音が響いた。全速力で走る隼と反対方向からくるタンクローリーの相対速度は時速四百キロを超える。一瞬で目の前に迫るタンクローリーを左右に分かれて間一髪でかわした五台の隼の上空を、ヘリコプターが轟音を上げて追い越していった。

 タンクローリーを追越車線側に抜けてかわしたデイビッドの目に、目前に迫るピックアップトラックの姿が飛び込んできた。右は中央分離帯のため回避するスペースがない。左は壁のようなタンクローリーの荷台だ。ピックアップトラックの運転席では、突然正面に現れた隼を見たドライバーが驚愕した顔をして人形のように固まっている。

「!」

 それはダニエルの身体に染みついた反射神経だった。

 ピックアップトラックとの正面衝突の直前、デイビッドは隼の車体を真横に傾けて横滑りさせると、真横に聳える壁のようなタンクローリーの荷台の下の空間を反対側にすり抜けた。

 デイビッドのヘルメットを掠めるようにタンクローリーの後輪が音を立てて通過する。そのまま隼とデイビッドは路面を横滑りし、ガードレールにぶつかって止まった。

 事故に気付いたダニエルがUターンして路上に倒れているデイビッドの救助に向かった。

「デイビッド、大丈夫か!」

 ダニエルの声にデイビットは反応しない。ダニエルは隼から飛び降りると、意識のないデイビットを抱え上げ、隼の後部シートに乗せると、残りのメンバーを追って走り去った。


 ヤコブの乗るヘリコプターが再度チームマーズに攻撃を仕掛けようと旋回していたとき、ニコライから引き返せという連絡が入った。ヤコブは攻撃を諦めるとニコライの乗るヘリコプターを追った。

 二機のヘリコプターは再びビーストの上空に集結した。

「あれを見ろ」

 ニコライはビーストの後方から走ってくる大型タンクローリーを指差した。

「ガソリンを積んだタンクローリーだ。もう少しでビーストの横に並ぶ。そこでタンクローリーを銃撃すれば爆発して大炎上だ。ビーストも爆発に巻き込まれるだろう。いくらビーストとはいえ、中の人間は炎の中では長時間持たない。銃撃で止めを刺すとはいかないがやむを得ない。何なら焼死体に弾丸をぶち込んでやるさ」

 大型タンクローリーはビーストの後方に近づくとウインカーを出して追い越し車線に進路変更した。二台は暫く並走していたが、やがてタンクローリーの長い車体が徐々にビーストを追い越していく。

 タンクローリーが速度を上げてビーストから離れかけたとき、上空から急降下してきたヘリコプターがタンクローリーに機銃掃射を浴びせた。石油を満載したタンクにボコボコと穴が開き、一瞬、タンクが膨張した後、大音響とともにタンクが爆発した。火柱と黒煙が火山の噴火のように上空まで吹き上がり、ハイウエイは一面が火の海となった。辺りを黒煙が覆い視界は完全に閉ざされた。

 ビーストは爆発の衝撃を至近距離でまともに受けてひっくり返ると、数十メートル横滑りしてガードレールに激突して止まった。その横を火だるまになったタンクローリーの残骸が惰性で進み、道を半ば塞ぐようにして止まった。

 ビーストは灼熱の炎と漆黒の煙の渦に飲み込まれた。

 ビーストの後部座席で、ジェフは凄まじい衝撃を感じた後、無重力状態で身体が宙に浮きあがり、スローモーションのように上下が逆転する感覚を味わった。『ああ落ちる』と思った瞬間、ジェフはビーストの後部座席で意識を失った。

 ロケット砲の直撃を受けてもビクともしないビーストの装甲はタンクローリーの爆圧から後部座席を守っていた。後部座席をぐるりと覆う装甲板はビーストの周囲で燃え盛る炎の熱を遮断していた。核・生物・化学兵器対策用に室内は完全に気密性が保たれており空気清浄機も備え付けられているため、暫くはジェフの生存が可能だった。しかし、ビーストを覆う炎はさらに勢いを増し、後部座席の室温はじりじりと上がり始めた。


 瞭たちのワゴン車がビーストにようやく追いつこうとしていたとき、前方五百メートルでタンクローリーが大爆発を起こした。爆発の凄まじい衝撃波がワゴン車を襲い、車体が大きく左に傾いた。ウワッと瞭が叫び早苗が悲鳴を上げる。

「任せて!」

 ワゴン車の後部座席でリリーが右手を上げた。

 ワゴン車は左側の前後輪が路面から離れた状態から一瞬スウッと宙に浮くと、車体が水平に戻りゆっくり着地した。リリーのサイコキネシスでワゴン車は何とか横転を免れた。

 瞭の目に爆発に巻き込まれてひっくり返るビーストの姿がはっきりと見えたが、その後は炎と黒煙に阻まれて何も見えなくなった。ワゴン車の中に居ても、凄まじい熱気のため、顔が陽光にジリジリと焼かれているように熱い。焼け焦げた臭いが黒煙と共にワゴン車に向かって流れてくる。

「これは酷い、これじゃ助からないな」

 瞭は目の前に立ち昇る炎と黒煙の柱を見つめながら独り言を呟いた。幸子はジッと炎に目を凝らしていたが、何かを感得したようにパチパチとまばたきをした。そして確信した声で言った。

「男の人は生きています。車の中に居るわ・・・でも早くしないと危険だわ」

「でも、この火の勢いじゃ当分鎮火しませんよ」

 瞭がそう言った途端、小さな爆発が起こり、瞭は思わず首をすくめた。とてもじゃないが、近づくこともできそうにない。

「あの男の人は絶対に助けないといけないの。お願い、リリーさん」

 幸子はすがるような目でリリーを見た。

 リリーは精悍な顔をして「分かったわ」と頷くと、金髪のカツラを被り直した。金髪の巻き髪が凛と揺れる。

「瞭ちゃん、車を出して」

「え、どこに向かうんですか?」

 瞭はギョッとした顔で後部座席のリリーを振り返った。リリーは瞭の顔を見るとフンと鼻で笑った。

「男の人を助けるんでしょ、火の中に決まっているじゃない。瞭ちゃん、早く。ファイヤー!」

「ファイヤーって・・・リリーさん、冗談じゃないですよね・・・本当に?」

「あたしを信じなさい。女に二言はないわ。さあ、早く! 間に合わなくなるわよ!」

 信じられないという顔している瞭に向かって明石が静かに言った。

「瞭さん、リリーさんのサイコキネシスを信じるのです」

 幸子と早苗もコクリと頷くと瞭の目をじっと見つめた。瞭は四人の目を見つめ返すと腹を括った。

「分かりました。いきましょう、こうなりゃ一蓮托生だ。皆さんしっかり掴まっていて下さい」

 瞭はアクセルを踏み込み、燃え盛る炎に向かってワゴン車を突進させた。

 後部座席でリリーがスウッと息を吸った。

「始めるわよ」リリーの両目が少し中央に寄り、顔面が紅潮した。

「明石ちゃん、幸ちゃん、ちょっとエネルギーを分けて頂戴。手をつないで・・そう、いいわ」

 明石と幸子はリリーと繋いだ掌から、電流のようなものがリリーに向かって流れていくように感じた。前頭葉がピリピリと痺れる感覚は自身が超能力を発現する際の感覚と同じだった。三人の生体エネルギーを共有してリリーがサイコキネシスを発現しようとしていた。

「もう目の前です! 三、二、一、飛び込みます!」

 瞭はアクセルを踏み続けた。ワゴン車が炎の中に突っ込む。

 瞭が思わずハッと息を呑んだ瞬間、瞭の目の前に不思議な光景が広がっていた。

 ワゴン車の前には炎と黒煙を貫通する透明なトンネルが延びていて、トンネルの周囲は炎と黒煙が渦巻いている。まるで水族館の巨大水槽の中を通る円筒状のガラスの通路にいるようだ。ワゴン車の周囲をぐるりと空気の塊が覆っていて、細長い筒状の空間の中心にワゴン車があった。ワゴン車は空気の衣をまとって炎の中を進んでいた。リリーのサイコキネシスは炎の熱さえも遮断していた。

「リリーさん、すごい!」

 瞭は驚嘆の声を上げた。

「ストップ! 車があったわ」

 早苗が指を差す方向には、ひっくり返ったビーストのリア部分が半分ほど、炎の中から空気のトンネルの中に突き出ていた。

《瞭さん、この車を炎の外に押し出して下さい。リリーさんは炎を抑えることに集中しているの。早く》

 幸子のテレパシーが瞭の頭の中に響いた。瞭が無理だと首を横に振る。

「こんなでかい車、こっちのワゴン車で押しても動かないですよ」

《車ではなくて、瞭さんのサイコキネシスで動かすのです。さあ早く、時間がありません》

 瞭は一瞬虚を突かれたように口をポカンと開けた。

 ・・・サイコキネシスで動かす? 僕にできるのか?・・・

 瞭の脳裏に、ニューアーク港のコンテナヤードでチームマーズのジョンを吹き飛ばしたときの情景が浮かんだ。瞭にもできるはずだ。

「・・・分かりました、やって見ます」

 瞭は意識をビーストに集中した。瞭の頭の中が熱くなり、額の内側がチリチリと音を立て始めた。前頭葉がポッと温かくなり、その熱が前頭葉から側頭葉・頭頂葉・後頭葉へと広がり、頭の中全体が沸騰したお湯のようにグラグラ煮立ってきた。

 ・・・こんな重たいものを動かすなんて、イメージが持てない・・・軽くなれ、軽くなれ、浮け!・・・

『仮想空間と現実空間を思念の力で置き換えるんだから、重さや大きさは関係ないの』

 リリーの声が蘇った。

 ・・・重さや大きさは関係ない・・・

 ・・・イメージだ、仮想空間では重さは関係ない・・・

 ・・・動けと念じるんじゃない。動いた後の姿をイメージするんだ・・・

 ・・・それを現実空間と置き換える・・・

 瞭の網膜にぼんやりと炎の外に横たわるビーストの姿が浮かんできた。

 ・・・もう少しはっきり・・・

 ・・・もう少し・・・そうだ・・・

 ・・・仮想空間を置き換える・・・

 ・・・目の前に・・・目の前に!・・・

 瞭の視界がグニャリと歪んだ。

 ビーストは逆さまの状態のまま音も立てずに前方にゆっくりと動き出すと、やがてレールの上を滑っているかのように走り出し、炎と煙の塊の中から外に飛び出した。それを追ってワゴン車も炎の中から走り出た。

 三百メートルほど先でビーストが止まっている。ひっくり返ったままの車体はまだ熱でくすぶっている。

 ビーストの横にワゴン車を止めると、瞭と明石はビーストに駆け寄った。ドアは熱くて素手で触ることができない。瞭はハンカチを手に巻くとドアに触ろうと手を伸ばした。

「どいて」

 リリーがふたりの後ろから声を掛けた。

 リリーはビーストの後部座席のドアの前に立つと、スウッと右手を上げた。ドアは音もなく開いた。

「さあ、早く。あたしはか弱いレディーだから、こんな大きな男の人抱えるのは無理。明石ちゃん、瞭ちゃんお願い」

 瞭は後部座席に潜り込み、意識を失っている男性をキャデラックの外に引っ張り出すと、明石と二人で両脇を抱えてワゴン車に運んだ。

「運転手はダメだったわ」

 少し遅れてワゴン車に戻ってきたリリーが悲しそうに首を振った。


 タンクローリーが大爆発を起こし、ジェフの乗るビーストが炎に包まれたことを確認したニコライは、ヘリコプターを上空で旋回させながらしばらく様子を覗っていた。

 もう一機のヘリコプターのヤコブから無線連絡が入った。

「そろそろ、引き上げましょう。この炎だ、放っておけば焼け死にますよ」

「そうだな」

 炎の周りを旋回するヘリコプターから地上の様子を確認していたニコライに、一台のワゴン車が無謀にも炎の中に飛び込んでいくのが見えた。

「自分からあの炎の中に飛び込んでいくなんて気違い沙汰だ」

 ニコライはやれやれと首を振りながら独り言を呟いてから、「撤収する」と指示した。

 方向転換を始めたヘリコプターの機体が斜めに傾いた。ニコライの視界にハイウエイから立ち昇る炎が入り、その炎の中から黒い塊が滑るように飛び出してきた。その後ろを追いかけるように、さっき炎の中に飛び込んで行ったワゴン車が走り出てきた。あの炎の中を潜り抜けてきたというのにワゴン車は何事もなかったかのように走っている。

 ニコライはハイウエイから離れて行くヘリコプターの後部ハッチから身を乗り出し、双眼鏡を構えて後方を見た。ハイウエイ上ではワゴン車から降りてきた三人が黒い塊に駆け寄り、黒い塊の中から男を助け出している。

「Uターンだ。どうやったか分からんが、ジェフ・マクラネルが救出された。止めを刺すぞ」ニコライは無線機に怒鳴った。

 二機のヘリコプターは大きく機体を傾けると、ハイウエイの方角に向かって急旋回した。エンジン音が唸りを上げる。

「ヘリコプターからの機銃掃射と地上からの攻撃の二手に分かれる。俺とディミトリ、セルゲイの三人は降下して地上攻撃だ。あのワゴン車の三百メートル先に降下する。準備しろ」

 ニコライは素早く指示すると降下用ロープを手に取った。


 瞭と明石はぐったりとした男をワゴン車の後部座席に押し込んだ。左腿を負傷しているらしくズボンが血に染まっている。幸子がフルフェイスのヘルメットを慎重に外すと、ブロンドの髪をした大きな鷲鼻の老人の顔が現れた。

 老人は小さな唸り声をあげて目を開けた。ブルーの目が周りを覗っているがまだ焦点は定まっていない。

「大丈夫、心配はいりません。僕たちが炎の中から救助しました。怪我の具合はどうですか」瞭は英語で話しかけた。

「助けてくれたのか、ありがとう。左腿をやられたが出血は何とか止まったようだ。ところで君たちはいったい・・・」

 ジェフは訝しげな顔で周りの五人を見渡した。不思議な取り合わせの五人組だ。観光客だろうか・・・。

「ねえお母さん、この人ジェフ・マクラネルじゃない? ゼネラルソフト社の」

 早苗が幸子に耳打ちすると、幸子は「そうらしいわね」と頷いた。

 人類の厄災を引き起こす記憶生命体を消去するためにここまできたのに、その記憶生命体を宿すジェフを助けなければならないと予知したことには、どういう意味があるのか。・・・このジェフの脳内に共生する記憶生命体は「善良な記憶生命体」なのだ、そして何かの役目を負っているのだろうと幸子は理解した。

 日本語で自分の名前が呼ばれたことに気付いたジェフは、流暢な日本語で喋り出した。

「助けて頂いて感謝します。私はジェフ・マクラネルです。ゼネラルソフト社のCEOです。私は日本語も堪能ですので、どうぞ日本語でお話しください」

「そりゃ助かるわ」

 リリーがおどけた調子で返した言葉が、ヘリコプターのローター音でかき消された。

 二機のヘリコプターが轟音を上げてワゴン車に近づいていた。機体横のハッチは既に開かれていて機関砲の銃身が半分ほど機外に突き出ている。瞭がワゴン車の運転席に走り込みエンジンを掛けようとしたとき、二機のヘリコプターの機関砲が火を噴いた。ハイウエイの路面を抉り取りながら、糸を引くような銃弾の雨がワゴン車に迫る。

「伏せろ!」

 瞭が叫びながら助手席の早苗を抱えて身体を伏せた。二本の重機関砲から発射された銃弾が鞭のようにワゴン車の上を舐めていった。KORD重機関砲の口径十二・七ミリの銃弾を受ければ六人乗りのワゴン車などひとたまりもない。しかし、確かにワゴン車の上を銃弾の雨が通り抜けて行ったはずが、ワゴン車にはひとつの穴も開いていなかった。

 瞭が顔を上げると、ワゴン車の前にリリーが両腕を前に突き出すように上げて立っていた。

 リリーの両腕の五メートルほど前にユラユラと陽炎のように揺れる巨大なコンタクトレンズ状の光の膜があり、その光の膜の表面に無数の銃弾が突き刺さったように止まり宙に浮いている。リリーが両手をスウッと降ろすと、銃弾はバラバラと音を立てて地面に転がった。


 ヘリコプターからの攻撃の指揮を執っていたヤコブは、近距離からの機銃掃射を受けてワゴン車が大破することを確信していた。銃弾の雨がワゴン車の上に降り注ぐ。

「一丁上がり」

 ヤコブはそう呟き、ワゴン車の上空を通過したヘリコプターから後方を確認した。

 そこには大破したはずのワゴン車が無傷の状態で止まっていた。

「なぜだ」

 ヤコブは信じられないという顔をして呟いた。そして、思い直したように首を振った。

「ダニール、外したようだ。再攻撃!」

 ヤコブは隣のヘリコプターのダニールに無線機で声を掛けた。

 二機のヘリコプターから再び機銃掃射がワゴン車に浴びせられた。しかし、ワゴン車の前で金髪の女が両腕を上げると、銃弾はワゴン車に命中しない。二機のヘリコプターはワゴン車の上空でホバリングをしながら機銃掃射を続けたが、ワゴン車には一発の銃弾も届かない。

 連続掃射によりKORD重機関砲の銃身から薄っすらと煙が上がり始めた。

「ヤコブ、ダメだ銃身が熱を持って焼き付きそうだ。これ以上の連続掃射は無理だ」

 無線機からダニールの声が響く。

「くそっ、攻撃を一旦中断する。この場で待機だ」ヤコブが叫んだ。


 機銃掃射が止むとリリーは少しふらついて片膝をついた。瞭と明石がワゴン車から走り出ると、リリーを両脇から抱えた。リリーは眼を閉じて肩で息をしている。

「リリーさん、力の使い過ぎなのです。これ以上は無理なのです。少し休まなければ」

 明石の言葉にリリーはげっそりとした顔を上げ、ずれた金髪のカツラを手で直してからニヤリと笑った。金髪の巻き毛が弱々しく左右に揺れる。

「そうね、後は瞭ちゃんに任せるわ。あのヘリコプターを始末しちゃってよ。次の攻撃が始まる前に」

 瞭が精悍な表情をして頷いた。瞭の顔には自信がみなぎっている。

「やってみます。任せてください」

「やあねぇ、頼もしくなっちゃって。でもカッコいいわよ」とリリーがウインクした。

 瞭はリリーに代わってワゴン車の前に立ち、空中でホバリングしている二機のヘリコプターを睨むと意識を集中した。

 瞭の頭の中が熱くなった。額の内側がチリチリと鳴り始めると、今度は急激に頭の中全体が沸騰し、網膜に仮想空間がユラユラと浮かび始めた。興奮状態にあることと、これまでの学習経験によってサイコキネシスの発現が早くなっていた。

 瞭はリリーがやっていたように、両手の指を広げ、両腕を前に突き出すように上にあげた。前頭葉のネオニューロンで発生した光の塊が両腕を通り、両手の指先から雷光のように迸り出るような感覚があった。


 二機のヘリコプターはワゴン車の上空でホバリングをしながら機関砲の銃身が冷めるのを待っていた。

「銃身の熱はどうだ、撃てそうか」

「なんとかなりそうだ」

 ヤコブの問いかけにダニールが答えた。

「よし、攻撃を再開するぞ」

 そう言ったヤコブが、隣でホバリングしているダニールのヘリコプターに目をやった。

 突然真上から黒く細い鞭のようなものが落ちてきて、ダニールのヘリコプターを真ん中から半分に叩き割った。鞭が空気を切り裂くようなヒョウッという音が、遅れてヤコブの耳に届く。真っ二つになったヘリコプターはクルクルと回転しながら地面に激突して爆発した。

「何だ、どうした!」

 ヤコブは真横からヘリコプターに向かって伸びてくる、黒く細い鞭のようなものを見た。

「逃げろ、急降下!」

 ヤコブの声に操縦士が操縦桿を目一杯倒した。ヘリコプターは錐もみのような状態で降下する。黒い鞭は急降下したヘリコプターのメインローターのすぐ上を掠めるように通過すると唸りをあげて上空に伸び、今度は上空からヘリコプターに襲い掛かった。

 急降下で黒い鞭を避けたヘリコプターは錐もみ状態から何とかコントロールを回復し、地面に激突する寸前に機首を上げた。操縦席では墜落警報が鳴り響いている。

 そのヘリコプターに向かって上空から黒い鞭が迫ってきた。機体を斜めに捻じって何とか黒い鞭の攻撃を避けると、ヘリコプターはそのまま急上昇を始めた。上空から振り下ろされた黒い鞭は地面を激しく打ち、その反動で浮き上がると、今度は上昇するヘリコプターを追って捻じり合いながら垂直に登っていく。

 ほぼ垂直に近い角度で急上昇するヘリコプターからヤコブは外を見た。そこにはハイウエイに沿うように点々と立っている高圧送電線の鉄塔から送電線が外れ、五、六本が一塊の束になってうねるように動いていた。

 まるで鉄塔の巨人がヤコブたちに向かって鞭を振り回しているようだった。

 ヤコブが下を見ると送電線の黒い鞭が、禍々しい毒蛇のように絡み合いながらヘリコプターに向かって迫ってきていた。

「速度を上げろ!」

 ヤコブが悲鳴のような声を上げたとき、尾翼ローターに一本の送電線が巻き付いた。ガクンという衝撃とともに機体の上昇が止まると、たちまち機体はうねうねと動く送電線に絡まれ、メインローターの主翼が捻じれ飛んだ。

 送電線の毒蛇はヘリコプターを完全に飲み込むと、ヘリコプターを地面に叩きつけた。


 瞭は両手を下ろし、天を仰いで目を瞑った。頭の中がまだ痺れていた。誰かの叫ぶ声が頭の中に響いたが、理解できなかった。

「瞭さん危ない!」

 幸子が瞭に体当たりし、倒れた瞭の身体の上に覆いかぶさった。自動小銃のタタタという乾いた発砲音に続いて銃弾が瞭の周りに降り注いだ。

 血の匂いがした。

 瞭が飛び起きると、目の前にふたりの武装した兵士が自動小銃を構えて突進してきた。瞭は咄嗟に右手を前に出した。無意識のうちに瞭のネオニューロンが活性化した。

 突進してきたふたりの兵士は、自動小銃を構えたままの姿勢で五十メートル後方に吹き飛ばされた。

「幸子さん!」

 瞭が傍で倒れている幸子を抱えた。幸子の背中と脇腹に大きな血の染みが広がっている。早苗がワゴン車から飛び出してきた。

「お母さん」

「とにかく早くワゴン車に運ぼう」

 駆け寄ってきた明石とリリーも幸子の身体を抱えた。幸子が小さく呻いたが声にならない。

《瞭さん、後ろ。やつらがくる》

 幸子のテレパシーが瞭の頭の中に響いた。

 瞭に吹き飛ばされたふたりの兵士は再び立ち上がると、瞭たちに向かって自動小銃を構えた。

 幸子の血を見た瞭の脳内は極限状態まで沸騰していた。瞭はふたりの兵士を睨みつけると右手を前に出した。ワゴン車の横にひっくり返っていたビーストの残骸が猛烈な勢いで滑り出すと、ふたりの兵士を襲った。ふたりの兵士は避ける間もなくビーストの残骸に押し潰ぶされた。

《瞭さん、あとひとりいる。横からくるわ》

 瞭は頷こうとしたが、頭が痺れて意識が朦朧としていた。横からくる敵に向かい合おうとした瞭はたまらず膝をつき、立ち上がろうともがいたが、身体がいうことを聞かない。生体エネルギーを使い過ぎたのだ。


 ヘリコプターから降下したニコライたち三人は、地上攻撃を開始するため、ハイウエイを移動していた。ヘリコプターからの機銃掃射の音が聞こえてきた。

「ディミトリとセルゲイは正面から攻撃しろ、俺は側面に回って攻撃する。行け」

 ニコライの指示にふたりは頷くと走り出した。

 ニコライはハイウエイを横切り、ディミトリたちと並走するようにしてワゴン車の側面に回り込もうとしていた。

 機銃掃射の音が消えて辺りが静かになると、突然一機のヘリコプターが真っ二つになって送電線に絡まりながら地上に激突した。

「馬鹿め、高圧送電線に引っ掛けたな。あれほど注意したのに」

 心の中で舌打ちしたニコライは信じられない光景を目にした。送電線が鞭のようにしなってもう一機のヘリコプターに襲い掛かっているのだ。急旋回して逃げるヘリコプターに向かって、まるで意思があるかのように送電線が何度も襲う。最後に、急上昇するヘリコプターに送電線が絡みつくと、そのまま地面に引きずり下ろした。

 ・・・何が起こったんだ・・・

 ニコライがハイウエイの反対側にいるディミトリたちに眼を向けると、自動小銃を構えたふたりが避ける間もなく、ハイウエイを高速で滑るように動くビーストの残骸に押し潰された。

「何てことだ、俺のチームが壊滅した・・・こうなりゃ、俺が決着を付けてやるぜ」

 ニコライは自動小銃を構えると、ワゴン車の側面に飛び出した。


 瞭は膝を突いたまま、もがくようにして上着のポケットに片手を入れた。そして震える指でコインを一枚掴みだすと掌に乗せた。それはリリーから貰ったサイコキネシス訓練用のコインだ。掌の上のコインがフワリと浮き上がる。瞭はワゴン車の側面に飛び出してきたニコライをチラリと横目で見た。

 その瞬間、瞭の掌の上のコインが銃弾のような勢いで飛び、ニコライの左目に突き刺さった。衝撃でニコライの身体はクルリと回り、真横を向いて棒が倒れるようにドサリと倒れた。

「瞭ちゃん、やるじゃない」

 駆け寄ってきたリリーに手を取られて、瞭は何とか立ち上がった。瞭は肩で息をしている。

「リリーさんから貰ったコインが役に立ちました。実はあれからずっとコインを飛ばす練習をしていたんです」

「やあねえ、あたしの十八番を取らないでよ」

 リリーはウインクすると、ズレた金髪のカツラを素早く直した。金髪の巻き毛がよくやったとばかりに左右に揺れる。

「さあ、瞭ちゃん急いで頂戴、幸ちゃんを早く病院に連れていかなきゃ」

 瞭はふらつきながらリリーに引きずられるようにしてワゴン車に戻った。

 ワゴン車の中では早苗が幸子の手を握って必死に声を掛けていた。その横で明石が何もできずにオロオロとしている。ジェフは携帯電話に向かって早口で指示を出していた。

「・・・そうだ、大至急ドクターヘリを回してくれ。ウン・・ハイウエイだ、煙が上がっているからすぐ分かる。急いでくれ」

 ジェフは携帯電話を切ると、幸子の上に屈みこんで声を掛けた。

「ドクターヘリを呼びました。それまで頑張って下さい」

 幸子は弱々しく頷いた。

 ハイウエイの向こうから、消防車や警察車両のサイレンがけたたましく響いてきた。

(第五話おわり)

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