第2話 湖に降りた星
二 湖に降りた星
一
今日は月曜日。アップルシティーから歩くこと半日、マックとルナはいまレモンシティーへと続く峠道の上にいる。すると、峠沿いの崖の上から、今まさに飛び降りようとしている、あるグレー単色の雄猫に遭遇した。マックは思いとどまるよう説得を開始する。マックはまず、その雄猫にこう言った。
「ちょっと待って!」
するとそのグレー単色の雄猫は、今にも飛び降りそうな姿勢からゆっくりと体を起こし、崖を背にして峠道の方へ向き直ると、涙をこらえてこう言った。
「逝かせてくれ、最愛の息子コナーが同級生たちによる集団リンチにあい殺されたんだ。犯人たちは有名人の息子ということでリンチの対象にしたんだ。そしてやつらはお伽の国の法律の下、少年院に入ったが前科もつかず、数年後には何食わぬ顔をして出てこれるんだ。だから悔しくて抗議するために俺はここにいま立っているんだ。これが俺なりに考えた犯人たちへの復讐なんだ」
「息子さんのコナー君をとても深く愛していたんだね。残念な事件だ。僕も似たような経験をしているよ。ある日大切な人が忽然と消えてしまったんだ。今でもどこかで生きていると信じているけど・・・ところで君はなんという名前なんだね?」
「エリック」
「どこかで聞いたような名前だな」
「一応名の知れたミュージシャンだ」
「あ、思い出した!もしかして、あなた、エリック・プランクトン!?」
「そうだ、俺はエリック・プランクトンだ」
「目印のギターは持ってこなかったのかね?」
「それどころじゃないだろう?そんなこと、今は聞かないでくれ。ギターなんて今は見たくもない。ギターで有名になったことで、息子が有名人の子として標的にされたんだ。俺がギターなんかに手を染めなければ今頃・・・」
「・・・ごめん、君と言えばギターだから、つい聞いてしまったんだ」
「・・・」
「ま、とりあえずそれはいい。しかしメンタルクリニックに一緒にいこう。素人目には君はうつ病を患っているように見えるんだ」
「・・・うつ病?俺が死にたいのはうつ病だからじゃないよ、理由がある」
「・・・確かに話を聞くと、君が死にたくなるのはうつ病だけが原因ではないと思う。でも主な原因はうつ病・・・例えば目の下にクマが出来ている様だが夜は眠れているかい?」
「・・・眠れないんだ、どうしても」
「そうなんだ、それはつらかったね。じゃぁ食欲はどうだ、あるかい?」
「・・・少ししか無い」
「・・・そうか何か食べたほうがいいかもしれないね・・・で、疲れやすいかい?」
「・・・ああ、とても」
「・・・それはかわいそうに。次に、頭痛や肩こり、胃腸の不調はどうだい?」
「・・・軽いけど全部あるよ・・・」
「今までは身体的な症状を聞いたんだけど、じゃぁ今度は精神的なものについて質問してゆくよ。気分の落ち込みはあるかい?まぁこれは聞くまでもないか。意欲の低下はあるかい?」
「・・・テンションが低いせいか何時ものように曲が一曲も出来ないんだ、何時もなら三十分で一曲出来ていたのに」
「君はミュージシャンだからそれはつらいね。・・・精神的にも身体的にも厳しいかもしれないが質問を続けさせてもらう。生きてて楽しいかい?」
「・・・楽しいわけなかろう、馬鹿にしてんのか?俺のことを」
「・・・そう言うわけじゃない。君を救いたいんだ。次は思考力と集中力は・・・どうだい?」
「・・・聞かれるまでもないよ」
「じゃぁ、不安や焦燥感は?」
「・・・少しある・・・」
「それじゃ最後の質問だ。罪悪感・自責感は?」
「・・・ギターなんかに手を出すんじゃなかった。コナーは俺が殺したようなもんだ・・・俺も死にたい。飛び降りも許されないなら、いっそ君たちの手で俺を殺してくれ。・・・俺は抗議のつもりでここに来た・・・そう思ってた。でも今こうして話してると、もしかしたら、ずっと前から心が壊れてたのかもしれない」
マックは、うつ病に関する専門書と完全自殺防止マニュアルというのを最愛の妻シャーロットの失踪の際、前者の本を読んでいたのでうつ病の症状に詳しかったし、三十分位、傾聴してあげればとりあえずのヤマは超えられることを後者の本から得た知識として知っていた。マックは本の内容をほぼ覚えていたので、うつ病らしく息子も死んでしまい希死念慮があるエリックに対応するやり方は完ぺきではないと思うが、今の自分にできる最善だと信じた。実際のところエリックの目がほんのりと再び輝きだすのを察した。あとは精神科医につなぐ事が重要だ。
ルナは、少し行儀は悪いものの、退屈そうにマックとエリックのやりとりをじっと見つめていた。そして、ぼんやりと・・・でも確かに・・・母シャーロットのことを心に浮かべ、なぜいなくなったのかを知りたいと思った。マックに真相を聞いてみたい気持ちはあったが、どうしても一歩が踏み出せなかった。 答えが恐ろしいものだったら・・・そう思うと、喉の奥がつまってしまったのだ。
ルナは母のこともエリックについても殆ど何も知らなかった。ルナはアイドル猫には詳しいのだが。ルナは崖から見える湖を眺めながら、ため息をついた。・・・母は、どこにいるのだろう。
二
マックとルナとエリックは、レモンシティーに入ってすぐのところにあった交番で警官に聞き、メンタルクリニックへ向かった。エリックの住むエリアの割合近くにそれはあった。予約はしていなかったが危険状態という事で、すぐに診てもらえた。
「崖の上から飛び降りようとしていたところに偶然遭遇して、色々聞いてみたんですが、どうやら一言で言うと、うつ病・・・らしいんです。どうか診てあげてください」マックは言った。
マックが崖の上でしたような問診を終えると、医者は言った。
「ではお薬を出しましょう」
「薬なんかが効くんですか?先生」エリックは聞いた。
「五十パーセントの患者さんに効きますよ。色々種類はあるんですが、とりあえず猫SSRIというお薬で様子をみましょう。勝手にお薬を止めたり、量を増やしたりしないでくださいね、逆効果ですから。もし様子を見て薬が効かないようでしたら、お薬を変えてみましょう。それでも効かない場合は、実は最新の研究だとストレスが原因で、誰もの体にいるウイルスの鼻の奥の特定部位への感染による脳神経炎症が起きて、結果うつ病になっているのかもしれないと言われているのでそちらを疑って治療していきましょう」
「先生、実は最近息子が集団リンチで殺されたんですが、そちらも希死念慮にかかわってきているとは考えられませんか?」
「そうですね、そういうのは一度カウンセリングを受けてみたらどうでしょうか」
「そうですか、検討してみます」
「ではまた一週間後に来てください」
エリックは頷くと、後ろを振り向き、マックとルナに目くばせしてから椅子から立ち上がった。
三
マックとルナは宿を予約してから、メンタルクリニックのあと一旦別れたエリックと待ち合わせをして一緒にレストランで腹ごしらえをした。エリックは少ししか食べなかったが、マックとルナが見ている前で、処方された猫SSRIを飲んだ。食事を終えると、『占い館 キング オブ キャッツ レモンシティー店』に向かった。占い館の場所はリアムに聞いていた。今度も大きなデパートの隣のビルだった。午後三時に三匹は到着したのだった。
ちなみに薬を飲んで少し落ち着いたエリックも連れてきた。トーマス・ブラウンという占い館のマネージャーに挨拶を済ませると、三匹は一階の開いてるブースに案内された。そこでマックは全くの好奇心からエリックの左手の肉球を見ることにした。料金表はアップルシティーの占い館で使ったものを壁に貼った。
「代金は気持で・・・いやタダでいい。あんたみたいな有名人の手はめったに見られるもんじゃないしね」マックはエリックにそう言った。
エリックの左手の肉球は、ギターを弾き続けたせいか硬く、黒ずんでいた。マックはそれをよく見ようとしたが、光の加減もあり、かなり苦労した。
「ルナ、お前も見させてもらいなさい、いい勉強になるから」
「エリックさん、ちょっと失礼しますね」ルナはエリックの左手の肉球を見た。
「奥さんロリって名前なんですね、舞台を中心に活動する女優。素敵です」
「肉球を見て初めて知ったのかい?それとも前から知っていた?」
「前者です。調子がいいとこんな風に結構見えちゃいます」
ルナは頬を赤らめ、控えめに恥じらいつつ少し得意げに言った。ちなみにエリックはとてもイケメンな猫だ。
ルナはトイレに行きたくなったのでマックと交代した。
「エリック、今の気分はどうだい」
「薬が効いているのか、大分いいよ。だけどやっぱりコナーの事が頭から離れない」
「うーん、確かにそりゃそうだよな」マックは言った。何事もそうであるが、失って初めてその大切さに気づくものだ。僕もそうだった、とマックは思った。
「そうだ、今度ネズミの国にでも行ってみないか?四匹で気晴らしに。そこでしか食えないネズミの串刺しは絶品だそうだ」マックは言った。
「テーマパークというもの全て、忙しくて一度も行ったことがないな。一度行ってみたい気がする」エリックはそう小声で応えた。残念ながら病気のせいかあまり乗り気ではない様だ。まぁ一歩一歩治して行くしかないのだろう。そういえばエリックは薬の服用と共にカウンセリングを受ける必要がある。マックは占い師をするうちに自然に身に着けたカウンセリング能力を使いエリックに何気なく自然にカウンセリングを受けさせようと考えた。そのためには普段は多忙なエリックの予定を知ってからカウンセリングをしてゆく工夫をしなくてはならない。だからマックはエリックにこう言った。
「ちょっと左手の肉球をもう一度見せて」
「いいよ、はい。何を調べたいんだい?」エリックは言った。
「いやなに君の今後の予定を詳しく調べようと思うんだ。今後のエリックのスケジュールはっと・・・あれ!?隕石と思われる物体の落下?」
「え?どうした?何があったんだ!?」
「レモンシティーの中心にある猫本湖に明日夜七時頃隕石らしきものが落下する」マックは急展開するこの事態に我を忘れた。
「ええ!?それはどのくらいの規模なのかい?」
「小さくはないな。これでお伽の国の全てがちょっとの間だが・・・停滞すると思われる。奇跡的に死者はでない」
「それで俺たちはどうなるんだ?」
「三匹ともボランティアで、避難してくる猫を助けようと準備に奔走する姿が見える。一匹あたりの仕事量はそう大したものではない」マックはエリックの左手の肉球を見てそう言った。
「そうか。じゃぁ早速簡単に会議をしよう。肉球占いの通り、君もルナちゃんも一緒にボランティアをやるんだろ?」エリックがその発言をするかしないかの所にルナは帰ってきてこう言った。
「会議って何のこと?」
「明日火曜日の夜七時頃隕石と思しき物体が猫本湖に落下するんだ、今から準備をしよう。災害ボランティアの仕事の具体的内容について考えるんだ」マックはそう言った。
「まずは防災スピーカーでこの事実を知らせるのはどうだ」エリックは目を輝かせながら、抱えていた希死念慮などもう吹き飛ばしてしまったかのように言った。エリックは猫助けが実は好きらしい。
「ここがお伽の国の一部でよかったね、お伽の国じゃなかったら、こんなこと信じてもらえないよ。警察や役所に連絡するのは私に任せて」ルナは言った。
四
『お伽の国の皆様方へ。明日火曜日の夜七時頃、猫本湖に隕石らしき物体が落下するとの預言が出ています。隕石らしき物体が落下する猫本湖周辺にお住まいの方は津波・地震・火災・熱波・衝撃波・有害物質の拡散に、その他の地域の方は地震・火災・熱波・衝撃波・有害物質の拡散に十分ご注意ください。必要に応じた避難準備を確実にお願いいたします』というアナウンスが午後7時頃お伽の国にある全ての防災スピーカーから一斉に流れた。ルナが電話したお陰で、お伽の国の政府が即座に動いたのだ。お陰でマックやルナ、エリック達三匹の労力は肉球占いの通り最小限で済みそうだ。
まず前述の防災スピーカーによる告知後、災害ボランティアセンターをお伽の国政府が、被災しそうな各所に設置することになった。そしてマック、ルナ、エリックの三匹はこのあたりに一番近い災害ボランティアセンターのレモンシティー支部で主にボランティア達と仕事をマッチングしたり、時には一緒に作業を行なうことになった。支部は頑丈な、レモンシティー中央小学校の体育館に置かれた。必要な情報は全て防災スピーカーやテレビ、ラジオから告知される事になった。
月曜日の午後八時頃には、猫本湖周辺の津波が襲ってきそうな場所から来たと思しき、少しだけ気の早い避難民が占い館付近にも溢れた。占い館の隣のデパートや意外に広い占い館の中にそうした避難民たちを迎え入れた。天気は明日も今日も晴れ。避難民たちは各々が選んだ丁度良い場所で明日の隕石落下に備え、手が空いていた政府の猫達により配られた備蓄用猫ちぐらの上でいつもより早めの睡眠についた。
翌火曜日の朝七時頃。避難民たちは次々に目を覚まし、その中でも元気な猫たちが体育館にある災害ボランティアセンターで仕事とのマッチング等を受けるために集まっていた。早速ホテルに居たマック、ルナ、そして自宅にいたエリックの三匹は体育館に来て仕事を始めた。時間が無かったので今日は三匹とも朝ごはんはあんぱんと牛乳だけ摂った。
隕石と思しき物体の落下迄およそ十二時間。マックは、占い師をするうちに身に着けたカウンセリングの仕事を、マック同様カウンセリングができる災害ボランティアにあっせんしたりトレーニングしたりする仕事を始めた。ルナは避難場所が書かれた地図や災害時のルールを書いたパンフレットを印刷して、それを災害ボランティアの猫に、これから被災することになる猫たちに配らせる仕事や備蓄されている猫缶を配る仕事を担当した。エリックは音楽療法を避難してきた猫に受けさせる為に、その仕組み作りをして、演奏会場をどこにするのか等を災害ボランティア達と考えたり、バックヤードで働く災害ボランティアを任命したり、どの災害ボランティアがどの楽器を演奏するか考えて、災害ボランティアとしての仕事を依頼したりトレーニングしたりする仕事を始めた。しかし、三匹が関わった仕事はその進捗具合に関わらず殆ど全て夜の七時頃には必要なくなってしまった。避難を終えた猫たちに配った猫ちぐらや猫缶・パンフレットを回収する仕事が出来たけれど、これはお伽の国政府の厚意で政府が派遣してきた公務員の猫達に丸投げ出来た。とにかく、三匹の関わった仕事は、全て必要なくなった。
なぜなら、最初は、ほぼ隕石だと考えられていた大きな物体は、猫本湖にゆっくりと着水し、実は今のところ友好国の月猫帝国の宇宙船だと誰の目から見ても明らかだったからだ。隕石と思しき物体の猫本湖への落下というマックの預言は、意外な結末で締めくくられた。マックは防災スピーカーやテレビ、ラジオで謝罪をした。しかし、もしも宇宙船が隕石だった場合には大変な災害が発生することは明白だったし、万が一のことを考えればマック達のとった行動は正しいものだとお伽の国の殆どの国民は納得してくれたようだ。
空を見上げれば、星々はただひたすらに瞬いていた。けれどマックの胸には、確かに何かが始まったという予感が、微かに灯っていた。
つづく
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