8

 夜の山道。玲央は暗色系の私服に着替えてきた。万が一誰かに追われることがあっても、逃げ切れる可能性に賭けて。

 中学生の脚力で上るには少し過酷な坂で、玲央は自分の先を歩くひがんに声をかけた。


「なあ、どこ行くんだ、ひがん」

「…」

 ひがんは答えない。合流した時に「ついてきて」とだけ言ったきりで、その後はずっと静かに歩き続けている。

 玲央はただならぬ気配に気圧され、大人しく同行した。


 やがて二人は、山奥の湖に到着した。

 そこには先客がいる。玲央が懐中電灯で照らすと、相手も電灯で照らし返してきた。


「ひっ…?!誰だよ、こんな所まで…?!」

 情けない声で飛び上がったのは、先客の方だ。お互いによくよく確認してみれば、教室で見かけた顔だとわかる。


「…、難藤?」

「おま…、早乙女かよ。なんでここに…?」


 どちらの顔にも、『自分の事情は喋りたくないが、相手の出方だけは把握したい』と書いてあった。

 先手を切った玲央が「…散歩」とだけ言った。


「はぁ?散歩って…ああ、お前みたいな勝ち組イケメン様でも、嫌なことあるんだな」

 智樹が下卑た顔で微笑んだ。玲央は何か不快な勘違いをされたことを感じ取ったが、面倒なので否定もしなかった。


「い、いいよ、黙っといてやるからさ、俺のことも喋るなよお前、トモダチだろ、ひひ」

「……、あー、で、何してんだよ。そっちこそ」

 智樹の謎のお仲間気取りにもう嫌気が刺した玲央は、話を戻した。


「え?何って…。っ?!オイちょっと黙れ」

 早口で注意を促すと、智樹は突発的に地べたに伏せ、耳を地面に押し付ける。自分にしか聞こえない言葉に相槌を打つ光景は、異様そのものだった。


「…、何か聞こえるのか?」

 玲央は慎重に言葉を選んだ。他人に聞こえないものが聞こえるというのは、もしかしたら自分だけではないのかもと思ったからだ。

 その配慮に智樹は飛び起きて、理解者を得たとばかりにばら撒き始める。


「そう…!そうだよ、俺には聞こえるんだ!『祟り』の声が聞こえるんだよ!!」


 智樹は心底嬉しそうに語った。目の前にいる玲央の、汚物を見る眼差しにも気づかないまま。


「なっ、なあっ、早乙女も手伝ってくれよ。もっともっと持って来いって、何匹集めても足りないって言うんだ」

 智樹が上ずった声で勧誘してきた。しかし、玲央はその言葉に嫌な予感がして、もう一度繰り返した。


「…何、匹?何を、集めるって?」

「え、その辺の猫だけど」

 玲央の瞳孔が開く。思わず犯人に掴みかかりそうになり、冷静に距離を取った。


「どこにでもうじゃうじゃ居るんだし、どうってことないだろ別に、俺が何匹ヤったって」

 智樹の目も、すでに正気のそれではなかった。無力なものを踏みにじる下卑た快楽に、脳まで取り憑かれている。


 玲央はこれと殴り合って勝つか、それとも走って逃げて大人に報告するか、どちらが早く実行可能か懸命に考える。

 その沈黙を何だと思ったかはさておき、智樹がせわしなく辺りを見る。

「まだ何かいねえかな、猫とか、マジで何でもいいって言ってるけどさ」


 そこに、木の陰から一匹の蛇が這い出てくる。大きなアオダイショウ。二人の手の届く距離まで近づくと、スウと首を持ち上げた。

「…ひ、ハハ」

「あ、おい、止め」


 智樹は隠し持っていた果物ナイフを取り出すと、一撃で蛇の眉間に突き刺し、地面に縫い付けた。


「これで、これで足りただろ!これで今度こそ俺の願いを叶えろ!あの女たち今度こそ全員俺のものだ!!」


 狂信者は難解な言葉を喚き散らかしながら、蛇の亡骸をナイフごと地面から引き抜いて湖に投げ入れた。


 玲央は詳細を聞きたくもないが、とにかく不味い展開になっているとだけ察した。こいつは自分にしか聞こえない祟り神に、いったい何の願いを叶えてもらうつもりだったのか。犬宮キキラの事件も、まさか本当に自分の神とやらが関与しているとでも信じたのだろうか。


 ふと思い出して、玲央はこっそりとひがんの方を見る。着いたときからいやに静かだが、この流れをどう見ているのか。

 ひがんは。

「…」

 何の感情も浮かべず、川や海のさざ波でも見るかのような目をしていた。湖の水面を見ているのではなく、事態の流れそのものを、そのまま見ていた。


 智樹が蛇を投げ入れた波紋が収束する。が、その直後、湖の底から何かが動く気配がする。小さな泡がいくつか立ち上ってきたかと思えば、すぐに大きな泡が弾けるようになった。飛沫の音が次第に激しさを増し、湖の周りの地面がガタガタと震えだす。


 異様な気配に男子中学生たちが動けずにいると、やがて、水底から何かおおきなものがせり上がってくる。それは、何だったのだろう。懐中電灯頼みの薄暗い中、それを直視することがなかったのが唯一の幸いだった。


 頭部にびっしりと無数の眼球を埋め込んだ、ひとつの巨大な蛇の頭が、湖から突き出ていた。ほの暗い闇の中でも、明確に獲物に狙いを定め、長い舌を上下に揺らした。

 覇気に呑まれた中学生二人は、何も出来ない。


「あーあ」

 幽霊少女だけが、本当に誰にも聞こえない声でつぶやいていた。


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