第8話「小さな勝利と、大きな波紋」

コーダ村での確かな手応えを胸に、

俺とリリィは魔王城への帰路についていた。


「やりましたね、カミヤ様!村の人たち、最後はみんな笑顔でした!」


「ああ。だが、まだ始まったばかりだ。一本の記事で変わるほど、人間の偏見は甘くないぞ」


隣でぴょんぴょんと跳ねるように歩くリリィを、俺は冷静に諫める。

広報の仕事は、地道な積み重ねが全てだ。

一つの成功に浮かれていては、すぐに足元をすくわれる。


玉座の間に戻ると、ルシアは変わらぬ様子で俺たちを迎えた。


「報告せよ、ユウト」


「はっ。こちらが今回の施策とその結果です」


俺はコーダ村での一連の出来事を簡潔に報告する。

リリィが「これが証拠物件ですっ!」と、誇らしげに『となりのオークさん』創刊号をルシアに差し出した。


ルシアは優雅な手つきでそれを受け取ると、しばし無言で見つめる。

やがて、彼女は細い指でゴルズ隊長の似顔絵をトントン、と叩いた。


「…ユウト。この二頭身の生き物はなんだ?」


「ゴルズ隊長です。部下のリリィが描きました」


「これが…ゴルズだと?」


ルシアは心底解せない、という顔で眉をひそめた。

「恐怖よりも『共感』が、人心を動かすと?実に非合理的だ。理解に苦しむ」


だが、彼女はため息を一つつくと、玉座に深く腰掛け直した。


「――だが、結果は出ている。よかろう。続けよ、ユウト。貴様のやり方、もう少し見てみたくなった」


最上級の、承認の言葉だった。



時を同じくして、人間王国。

白亜の城の一室で、王女エレナは側近からの報告を受けていた。


「コーダ村の魔族が、奇妙な動きを見せている、と?」


「はっ。なんでも、『壁新聞』なるものを発行し、村人たちに媚を売っているよしにございます」


エレナはそれを聞き、優雅に紅茶を一口飲んだ。

「まあ、姑息な手を。そのような小細工で、わたくしの民が惑わされるとでも思っているのでしょうか」


彼女の青い瞳は、絶対的な自信に満ちていた。

側近がおずおずと、一枚の羊皮紙を差し出す。


「…これが、諜報員が入手した現物でございます」


エレナはそれに目を通し――そして、動きを止めた。

そこに描かれていたのは、リリィが描いた、あの二頭身のオークの絵。そして、その横にはっきりと書かれた見出し。


――『隊長のシチューは、母の味』。


エレナの脳裏に、自分が信じてきた「絶対悪」としての魔族の姿と、目の前にあるあまりに人間的な言葉が、同時に浮かび上がる。

表情こそ変わらないが、その瞳の奥に、ほんのわずかな動揺が走ったのを、側近は見逃さなかった。


「…このようなまやかしに惑わされる愚かな民が出ぬよう、次なる手を打ちます」


エレナは動揺を押し殺すように、凛とした声で宣言した。


だが、その夜。

一人になった部屋で、彼女は「…母の、味…?」と小さく呟くと、何かを振り払うように、静かに首を横に振った。


悠斗が放った小さな石は、今、二つの国の中心で、静かに、しかし確実に波紋を広げ始めていた。

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