第7話:天羽鈴音とぼっち仲間(中編)

家に帰ると、楓の姿がなかった。

居間のソファーで分厚いを読んでいたニャルに声をかける。


「楓は? どっか出かけてるの?」


ニャルは何か考えこむように数秒沈黙したあと、おもむろに口を開いた。


「さぁ? あなたに愛想が尽きて出て行ったのでは?」

「やめてくれよ、マジで!!」


本当にそうなったらどうしてくれるんだ!


「あなたこそ。気軽に他の女の子と絡むのは、やめた方がいいのでは?」

「えっ!? まさかお前――」

「ニャルとあなたが識域でつながってるの忘れたんですか? あなたが“ぬるい、でも捨てるのはもったいないし?”と自分に言い訳しながら鈴音の食べかけをもぐもぐしていた一部始終、逐一観測済みですよ?」

「うわァァァっ!」


俺は羞恥頭を抱えて悶える。

しかしこのニャルの言いよう。まさかひょっとして楓もあの場面を!?でも周囲に人の姿はなかったはず……。

しばらく悶々と悩んでいたが、15分ほどして帰宅した楓の姿を見たとき、俺は心底安堵した。

楓は俺の目にはいつも通りの楓のように見えた。




そしてまた数日が過ぎ、渚との特訓が始まって1週間が経過した。

みそぎちゃんによる物理訓練と、ニャルの適応教育による思考拷問。

肉体と脳を別々に焼かれ続ける過酷な日々――それがすっかり日常となってしまった。

だけどその甲斐はあった。

論理演算による身体能力の向上も安定してきた。

それだけでなく、識域拡張の感覚、詠唱の言語構造への理解……。

まだ“使える”とまでは言えないが、“使い方”は見えてきた。

……まぁできないと命に関わるからな。

日本だったらとっくにクレーム案件なんだけど、ここ異世界だしね!

それはともかく、これだけ頑張ってるんだ。

そろそろ俺もそれなりにやれるのでは――。

そんな甘い考えが、すべての始まりだった。




「いってきまーす!」




放課後、俺は学園の体育倉庫から拝借した一本の木刀を手に、希望と初めて出会ったあの森に向かっていた。

渚は用事があるということで、今日の放課後の特訓は休み。

だから自主鍛錬というわけだ。


「そんなところで修行する必要性は皆無です」


ニャルはそう忠告してきたが、それ以上止めるでもなくついてきた。

止めろよな、こういうときは。


「わたしがいれば、命の危険が迫った際にはユーザー保護プロトコルによる演算補助が働きます。つまり危険などあってないようなものです、ご安心を。感謝して平伏すべきです、あなたは」


平伏する気にはなれないが、ニャルがいれば安心である。

多少発言がうざいのは必要経費と考えて、今回はありがたく同行してもらっている。

森に入って10分ほど。


「……で、それ持ってどうするつもりなんです?」


隣で歩いていたニャルが、俺の手にある木刀を見てぼそっと言った。


「え、いや。手頃だったしちょっとした実戦経験を積むにはちょうどいいかなって」

「ふーん。“ちょっとした実戦”に、木刀で挑む人類が存在するとは思いませんでした。記録しときますね、『無鉄砲・非論理的・致命的なアホ』と」

「そこまで言う!?」


論理演算で身体能力上げられるし、魔法だって使える。

いけると思ってるんだけどな。


「言います。わたしがついてこなかったら確実に大自然の栄養分ルート一直線です」

「そんな縁起でもない……」

「じゃあ次からは鉄製の武器にしてください。せめて鉄。てーつ」


そんなやりとりをしていると、茂みの奥で何かが動く気配があった。

出会ったのは――体長2メートルはあろうかという化け物イノシシだった。

異世界に来て襲われたあの時のモンスターのお仲間だろう。


「……でかいな」


俺の記憶より一回り大きい気がする。

恐怖がそうさせているのかもしれないが、今回はこいつと戦うためにここに来たのだ。

リベンジマッチである。

相手はこっちに気づくなり、鼻を鳴らして突っ込んできた。

森の奥で、化け物イノシシが鼻を鳴らした。 それに呼応するように、俺の声が静かに響く。


「論理展開――識域拡張!」


識域が広がり、周囲の空間情報が脳に流れ込んでくる。

演算が回り、身体が軽くなる。

これなら行けるぞ!

イノシシの巨体が突っ込んで来た。

俺は木刀を両手で構え、渾身の一撃を放った。


「うおおおっ!」


ボゴッ。

変な音を立てて、次の瞬間、木刀が半ばからあっさり折れた。


「えっ!? ちょ、嘘だろ!?」


折れた柄を握りしめて呆然としてると、隣のニャルがため息混じりに言い放つ。


「だから言ったじゃないですか。なんで木刀ごときで異世界モンスターに挑もうとするんです?」

「ならもっと強く止めてくれよ!」


それでも俺の一撃は痛かったのだろう。

大イノシシは反転すると、ギロリと俺を睨み付けた。

魔法でやるしかない!

再度突進して来た巨体を、滑るようにかわす。

間髪入れず、脳内で詠唱を組み立てた。


「空間把握、標的確定、電位展開、導線構築、熱量蓄積、雷撃起動――雷閃」


叫びと同時に、腕に熱が走る。 指先から迸る紫電の奔流――

雷閃は、一直線にイノシシへと走った。


「――ッ!!」


轟音とともに、雷が巨大な獣を打ち据える。

稲妻が毛並みを焦がし、火花が飛び散った。

イノシシの体がビクリと痙攣し、そのまま巨体を地面に叩きつけた。

地面がズン、と鈍く響く。


「っしゃぁ! 見たか、ニャル!」


思わず拳を握った。

できた。

ちゃんと、俺が倒した。

この手で、“異世界の脅威”を、打ち倒したんだ。


「見ました。お喜びのところ悪いですが、これは全てわたしの演算補助のおかげですよ」


皮肉は聞き流す。

――いける。俺、もしかしてこの世界で通用するんじゃないか?

そんな風に調子に乗ったのが――運の尽きだった。


「……なあ、ニャル。今、後ろからなんか音しなかった?」


言いかけた瞬間。

ガサガサ、ガサガサガサ――!

茂みが揺れる。 空気が震える。

土煙が、森の中に広がった。


「……嘘、だろ?」


茂みの奥から、次々と飛び出してくる巨大な影。

化け物イノシシ。しかもさっきの奴より、一回りデカいのが混じっている。

数――五体。


「推定個体数、五体。データ修正完了。戦闘推奨度……最低。逃走を推奨」


ニャルの無慈悲な声が、遠く聞こえた。

心拍数が跳ね上がる。

呼吸が浅くなる。

視界が狭まる。

詠唱……しなきゃ。でも、声が、出ない。

頭の中では式が走り出しているのに、体が一切ついてこない――そんな悪夢のような現実。

目の前で、イノシシたちが一斉に地を蹴った。


「うわ、やばいやばいやばいやばい!!」


逃げなきゃ。

でも体が動かない。


「――ユーザー保護プロトコル、緊急制限解除。早く詠唱を」


ニャルの冷静な声。

そうだ、俺が詠唱しないと何もはじまらない。

だが、脳が悲鳴を上げていた。

空間把握どころか、言葉すらまともに浮かばない。

思考はバラバラに分解されて、ただ――“死ぬ”って感覚だけが、そこにあった。

茂みの向こうから、夕暮れの影を裂いて、無数の突進が迫る。

空気が震え、地面が唸る。

そのときだった。


「はぁ~い、ゆーゆー。ちょっと調子に乗りすぎたね♪」


軽やかな声と同時に、森が爆ぜた。

吹き抜ける風とともに、銀青のツインテールひょこりと揺れる。

ふわりと笑う少女――天羽鈴音が、そこにいた。

次の瞬間、空気が一変した。

両の手をひらりと広げる。


「まわって、くるっと、ふわっと、刻んじゃえ」


ぱぁん! と手を鳴らすと同時に、風刃が奔った。

風の渦が巨大イノシシを飲み込み、体表を切り刻み、肉をえぐった。

苦悶の咆哮。だが、鈴音は楽しげにくるりと一回転。


「ほ~らほらっ、まだまだ行くよ!」


突っ込んできた別の個体を、踊るように軽く避けながら片手を向ける。

そしてまたいつものごとくのふわっとした詠唱。

しかし授業で見たそれとは威力がまるで違う。

標的の命を刈り取るものだった。

無数の風が幾重にも描かれ、次々と獣たちを弾き飛ばしていく。

その笑顔はふざけているのに――動きは正確無比で、隙が一切なかった。


「これは――ニャルの想定以上ですね。授業中はあれで手を抜いていたということですか」


ニャルが感心したように呟く。

ほんの数十秒。

俺が立ち尽くしている間に、化けイノシシの群れはすべて地に伏していた。

辺りは魔物の鮮血と夕日の赤に染まっていた。


「な、なんだよ……これ……」


強すぎる。

さっきまで“通用するかも”とか思ってた自分が、情けない。

鈴音は腰に履いた2本の剣を抜くことすらなく魔物を倒してのけた。

次元が、違う。

鈴音はこちらを振り向くと、小首を傾げて、にんまりと笑った。


「もう、ゆーゆーは無謀なんだから~。こんなとこで貴重なパシリ候補に死なれたら困るんだよね」

「鈴音、なんで……」

「んー? ボクもゆーゆーを見習って特訓しようかなーと思ってたらさー。ゆーゆーが木刀振り回して森に入ってったから、あー、こりゃ死ぬやつだなって」

「……っ」


何も言えなかった。鈴音は事実を言っているだけだなのだから。


「ま、助けたのはボクだからね。ちゃんと感謝してよ?」


そう言い残し、彼女は手をひらひら振って森の出口に向かって歩き始め――こちらを振り返った。


「ゆーゆー、賭けは終わりじゃないよね?」


それだけ言うと、また歩きだす。

夕焼けの光の中、明るい声色とは裏腹に――その背中は、どこか孤独に沈んで見えた。

残された俺は、膝が抜けそうになりながら、ぽつりと呟く。


「……でもさ、俺がお前に勝てるわけ、ねぇよ……」


鈴音のいうとおり、調子に乗っていた。

俺は、まだ何もわかってなかったんだ。

鎮まった森の中を、鈴音の残した一陣の風が吹き抜けていった。

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