1-2

「なにを……言ってるのかな」


 口の中で言葉が転げ回っているみたいにそう言うと、緋空ちゃんは笑顔のまま言葉を続けた。


「私ね? おじさんのお家で鏡を見たの。そしたら、あの時の彩陽ちゃんと同じ顔してた」


「あの時……?」

「私を助けてくれた時。彩陽ちゃん、スッキリした顔してた」


 通り魔からこの子を助けた時の顔……。

 あの時の僕の感情や表情には、はっきりと自覚があった。


 考えを見抜かれてた……?


 僕は見当違いを願うように聞いた。


「それが……なんなのかな」


 何か……何かボタンの掛け違いがあるのかも。


 そんな勘違いを確かめるようにしながら、僕は顔を見つめた。


 でも、その木材の節のような瞳に光が宿ることはなかった。


「私もね? もう嫌になっちゃって死にたくなったの。そのとき鏡を見たら彩陽ちゃんと同じ顔してた」


 死相……って奴なのかな。

 それを緋空ちゃんは感じ取っていたらしい。


「だからね。私も一緒に天国に行きたいの」

「一緒に死にたいってこと……?」


「うん!」


 屈託なく笑っている。

 肺の中の息が全部絞り出されるほど、息が詰まった。


「彩陽ちゃんと一緒なら怖くないから!」


 笑って誤魔化すこともできない。

 頬の筋肉が完全に固まって、どういう顔をしたら良いか分からなかった。


 この子は、どこか違う場所にいるみたいだった。


 聞き分けが良くて、人懐っこくて可愛らしい天使のような女の子だと思ってた。


 今日会った時、僕に抱きついた時の感触も覚えている。

 愛らしく、きっとどんな人からも愛されるような子だと思っていたのに……。


「天国って……お化け屋敷に行くんじゃないんだよ……?」

「……? 分かってるよ?」


 声色は明るく真剣そのものだった。


 だけど緋空ちゃんの瞳は光を飲み込んだように暗い。

 笑顔だし明るい声なのに、雰囲気は闇を纏ってる。


 セブンスコードのような整然とした不穏さが僕の脳内に響く。

 C7とか、そのへん。


「本当に……死にたいなんて思ってるの……?」


「うん、パパとママに会いたい。お姉ちゃんは死にたくないの?」


 緋空ちゃんが心の内を見せるように、上目遣いでこちらを覗き込んでいる。

 そんな彼女の心にひどく共感してしまう自分がいる。


 心の中が薄暗く淀んで、穢れているのに、それが歪な形で発散されている。

 なのに、釘付けにされるように視線も心も惹きつけられる。


「私ね、会いたいの。天国に行きたいの? お姉ちゃんは?」


 重ねてこちらに問い詰めてくる。

 視線がより一層力強くで、痺れるみたいだ。


 僕の中の希死念慮は言葉で刺激され続ける。


 このぼんやり白んだ時間を終わらせたい、お姉ちゃんに会いたい。


 ……でも、それを受け止めてはいけない気がした。


 とにかく、誤魔化すように笑って見せなきゃ。


「……ざ、残念でした! あの時でもう満足しちゃいました!」

「嘘だよ」


 ただ瞳の奥の死神は見抜いているようだった。


 でも……それでも!

 否定しなきゃいけない感情だと思うから、膝を折って緋空ちゃんに目線を合わせる。


「……ダメだよ。自分から死ぬなんて、緋空ちゃんのパパもママも望んでないよ」

「関係ないよ。私が会いたいんだもん」


 強情……!

 でも、こんな小さな子にこんなことを言われて引き下がれない。


 誰でもそうだ。

 きっと彼女をいじめる同級生がいたとしても、この表情とこの発言は肯定できないはずだ。


「それでも、生きなきゃいけないんだよ」

「嘘! 彩陽ちゃん今でも死のうとしてるもん!」


「僕は……いいんだよ……! でも緋空ちゃんはまだ8歳でしょ?」

「8歳だとダメなの? お酒みたいなことなの?」


 子供には少し難しいであろう理屈、少し簡単に噛み砕く。

 それも上手く伝わらない。


 拳につい力が入って、爪が手のひらに食い込むその痛みで冷静さを保つ。


「お酒とかとは違うけど……」

「んー分かんない! もういい。じゃあ帰る……!」


 ただ、僕の煮え切らない態度にイライラして緋空ちゃんは肩を落としてスタスタと歩き出し、置いたランドセルを再び手にした。


 落胆をそのまま表情にして。


 全てが死にたいという感情に繋がっていて、希死念慮が実体を持ってるみたいだ。

 天使という可愛さを表現する比喩が、別のものに変わって見えている。


 これじゃ、死神だ。


 天使のような緋空ちゃんから、死神が顔を出している。


 このまま佐藤さんの家に戻したらこの子はきっと、その希死念慮の死神に殺されちゃうかもしれない。


 全身が嫌な汗で湿ってくる。

 気付けば背中の辺りが、汗で冷たく寒い。


 けど、気にしてる場合じゃない。


 止めなきゃ……!


「ちょっ! ちょっと! 冗談だよ。うん、分かった。一緒に死のう。け、けどさ! その代わりそれまではしっかり生きよ? 僕が死に方を探すから」


 緋空ちゃんの肩を掴むと、子供らしい愛嬌のある笑顔と光のない穴のような瞳は真っ直ぐこちらを向いた。


「そうなの!? ならやっぱり一緒に住む! やったー!」


 キャハハと子供らしい笑いと共に彼女は微笑んだ。


 話を聞いた上で受け入れたからか、より一層喜びが強くなった気がする。


 これは、コミュニケーション間違っちゃったかな……?

 むしろ吹っ切れた顔をした緋空ちゃんに、頬が痙攣したみたいに引き攣った。

 

 安心と不穏の板挟みで、もうこんなの感情と呼べるかすら怪しくなってくる。


「抜け駆けしないでね! 一緒に天国へ行こうね!」

「あーうん! 僕に……任せてよ」


 絶対に笑えてない。けど精一杯の笑顔でそれに応える。


 何も聞かされていない状態で、いきなりセッションに参加させられたような手探り感が僕の中で泡立つ。


「彩陽ちゃん見るとね、勇気出るの! 一緒なら怖くないよ!」


 いやー、僕は君が怖いなぁ……。


「だからね? ほら、今はカレー作ろう!」


 そして手を握られる。

 柔らかく、果物のようにしっとりとした緋空ちゃんの手のひらは温かい。


 顔を見ると、あの虚のような、光なんて見えてないような瞳は消え去っていた。


 なんだったんだろう。

 けれど分かることはある。


 この子は僕の希死念慮に影響を受けている。

 だから一緒に住みに来た。


 そして、僕はこの子にハッキリと心中を持ちかけられたのだ。

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