通り魔から小学生の女の子を助けたら同居と心中を申し込まれた女子高生の話
鳩見紫音
1.死にたい天使
1-1
人は死に方を選べない。
考えた中でも1番マシな死に方だと思った。
通り魔から子供を守って死ぬ。
これなら誰にも迷惑をかけない。
迷惑と責任を通り魔に押し付けて、僕はこの世から消えることができる。
そう思って助けを求めるように電車の中で刃物を振り回す男に突撃した。
————これで死ねるはずだったんだ。
「ただいまー!」
2人で手を繋ぎながら玄関を開けると、女の子はそう声を上げた。
人のいない廊下に声が寂しげに反響する。
「はい、おかえり」
もう誰も出迎えてくることのない廊下を眺め、隣で僕はそう返した。
手を繋いで姉妹というか親子というか、そんな雰囲気だった。
女の子は玄関をくぐると、キラキラとした視線で家の中を眺めている。
「お姉ちゃんの家、綺麗だね」
新鮮そうな声色。
僕がこの17年、家族で暮らしていたマンションの一室、この子には見慣れないものだらけだろう。
それにしても……本当に預かってしまった。
心に傷を負った女の子を、天涯孤独の僕が。
可愛く甘えてくる様子と共感で簡単に引き受けてよかったんだろうか。
まぁ今考えても仕方ないか。
「散らかってると思った?」
「ううん、綺麗っていうのは整ってるの……色とか構図とかっ!」
ライトをパチっとつけたような笑顔をこちらに向けながら、視線ではひとつひとつ廊下に飾られたインテリアを眺めている。
ランドセルを背負った女の子が家の中にいる光景に、お腹の奥にカイロのような暖かさを滲む。
「それで……
「うん! お姉ちゃんは
「うん、僕は
「そういえば僕っていうんだね。男の子みたい」
インテリアを眺めている小さい後頭部を見つめていると、その質問と一緒に彼女の視線はこちらに向かった。
「気にしないで、癖というか……うん、個性だよ。だからパパとかお兄ちゃんとか呼んじゃダメだよ。僕は女の子だからね」
「わかった!」
笑いを含んだような歯切れの良い返事をあげる緋空ちゃん。
彼女の指摘に笑いを作りつつ見つめていると、改めてグイとこちらに伸びをして彼女はさらに天真爛漫な笑顔を向けてきた。
「彩陽ちゃん、これからよろしくね!」
本当に、本当に一緒に住むんだな。
そんな実感が改めてお腹の奥の方から湧いた。
「うん、よろしく。汚したりしなければ自由に使っていいからね」
「わかった! 身辺整理は綺麗にしとく」
「えっ? あー、まぁ……うん、そうだね」
難しい言葉を知ってるんだな……。
ひやっとする言葉選びに、なんか背筋に寒気を覚えた。
彼女はそんな僕を気にする様子もなく「おじゃまします」と小さく呟いてスリッパを履いて廊下に上がっていく。
僕も靴を脱いでスリッパに履き替えて、その姿を追いかけた。
僕のは緋空ちゃんが履いてるから、お母さんのを履いた。
少し暖かくて、もう何年も使われてないのにお母さんの温もりを足先から感じる。
「入っていい?」
「いいよ。奥の扉がリビングだから、ランドセルは適当に置いていいからね」
リビングのドアノブを掴んで許可を待つ緋空ちゃんと手を繋いで、僕も首を縦に振った。
「うわー綺麗!」
「そう?」
「うん、綺麗だよ!」
また首をぐるぐる回して、部屋の中を物色するようにのぞいていた。
よその家から押し付けられるように預かった女の子。
……この子と一緒に過ごすのか。
そんな日常がふと未来のページを覗き見るように頭に浮かんだ。
とても可愛らしく、なぜかこちらに懐いている女の子を預かって、たった1人の家族のよう暮らしていく。
その実感に誰もいなかった部屋が、ほのかに温度を持ち始めた気がした。
少しだけ冷えていた心が温まる。
「あ! 彩陽ちゃん、そういえばね。おじさんが食材を渡してくれたの! 今夜はカレーにしなさいって!
「そんなの持たされてるの!?」
手提げバッグを持たされていると思えば、その中にはカレーの食材が一通り。
小さい子に持たせるものじゃないでしょ……。
今日初めて会ったのに……本当に押し付ける気満々じゃないか。
親戚の小学生を見ず知らずの一人暮らしの女子高生に預けた、彼女の叔父への呆れとショックに無意識に肩が落ちた。
まぁウチで一緒に暮らしたいっていうのは、この子から言い出したことらしいけど……。
うーんうーんと頭を働かせても何が正しいのかはもうよくわからない。
「キッチンある? カレー食べよ!」
ただ僕の葛藤を気にせず、緋空ちゃんはそう言った。
「もちろんキッチンはあるけど……カレーかぁ。僕に作れるかなぁ……」
そして笑って冗談めかしながら、割と本気で言った。
料理……できないんだよな。
お母さんもお父さんも上手だったけど、なかなか難しくて……。
カレーすらも作れるか怪しい。
「じゃあね、私が作るよ!」
「緋空ちゃん、作れるの?」
「うん! ママとよく料理してたの」
自信満々の緋空ちゃんに少し気圧されてしまう。
彼女の弾けるように明るい笑顔は、僕にはすこし眩しすぎる。
「あぁそっか……うん。僕も手伝うよ! って、なんか真逆だけど。包丁とか、危ないのはやるからね」
緋空ちゃんの言葉に少し生唾を飲んでしまったけれど、平静を取り戻すためにグッと拳を握った。
「じゃあとりあえず着替えよっか。緋空ちゃん可愛い服着てるし、汚しちゃいけないからね。1人で着替えられる?」
「うん。できる!」
可愛くお返事をしてみせる緋空ちゃん。
本当に妹ができたみたいで、つい口角が緩んでしまうのが自分でも分かる。
小さい頃からお姉ちゃん子で甘えてばかりだったけど、意外と僕って小さい子に甘えられるのも好きみたい。
もう細かい状況は無視しよう。
この子があの叔父さんより一緒がいいというなら受け入れてあげる。
都合が良い……というと、かなり胸の奥が痛いけれど、僕は1人だ。
小学生を受け入れることで、僕以外の誰にも迷惑をかけるわけじゃない。
ギターを演奏してお金をもらってるし、この子の叔父さん援助してくれる。
なら孤独同士の二人暮らしでもいいじゃないか。
「ここで着替えていい?」
「うん、いいよ。着替えは僕のシャツとか着れば良いかな、お古になっちゃうけど」
「お古! 私ね、お姉ちゃんいたことないから憧れ!」
……可愛いな。
そんな言葉を漏らしそうになりながら、小さい頃に着ていた服をクローゼットの収納ボックスから引っ張り出した。
お母さんが大切にとっておくタイプでよかった。
「これ彩陽ちゃんの?」
「うん、そうだよ」
「そっかぁ! 彩陽ちゃん、私のお姉ちゃんみたいだね」
「そうだね、姉妹みたいだね」
ニッコニコの緋空ちゃんから着替えた服を受け取ってソファに置く。
意外と僕って面倒とかを見ること嫌いじゃないかも。
彼女の真っ白なボタンダウンのシャツにプリーツの入ったロングスカート。
結ばれたツインテールも合わせて、品の良さを感じる。
皮を剥いたリンゴのように白くて瑞々しい肌も、愛を受けて育ったのが伝わってくる。
「彩陽ちゃんはお姉ちゃん〜」
鼻歌まじりに上機嫌でそんなことを緋空ちゃんに、つい目を奪われる。
「天使みたいだな……」
そしてそんな愛らしさに、つい喉元でそう言葉にしてしまった。
自分とは大違いで、とても強い子みたいだった。
家族がいなくても、大切な人を失っても……。
こんな笑顔を誰かに向けることができるんだ。
僕は髪も赤くして、制服だっていつも着崩してる。
クラスでは平気だと笑顔を作って取り繕ってみせても、どこか浮いている。
きっと自分の心はいつも……。
と良くない方向に考えが行こうとしたときに、少し気になった。
(でも、なんで僕なんだ……?)
通り魔からあの子を助けたのは、別にヒロイズム……とかいう感覚に酔ってたわけじゃない。
それが伝わってないにしても、僕みたいなほとんど知らない人の元で一緒に住みたいなんて思うのかな。
「助けてくれた赤い髪のお姉ちゃん!」
そんな風に僕にしがみついて、離れなかった。
ありがとう。とかは思うかもだけど、一緒に住みたいなんて……。
「ね、ねぇ緋空ちゃん?」
エプロンをしながら、僕の持っていた黒いTシャツに着替え終えた緋空ちゃんに声をかけた。
「なに?」
その小さな天使は荷物から食材の入ったレジ袋を取り出してこちらを向く。
「あのさ、なんで……僕なの?」
「なんで?」
「なんで僕と一緒に住みたいって思ったの……? 私……じゃなくて僕、ほら……見た目も怖くないかな? 髪とか赤いし」
緋空ちゃんはそんな様子に小首を傾げると、少ししてまたパッと明るい顔で笑う。
「怖くないよ! それに見た目は関係ないもん」
「関係ない?」
「うん!」
彼女のチャコールグレーの瞳はこちらをずっと捉えていた。
その視線に、僕の体はなぜか背筋にピンと冷たいものを伝わせた。
明るい笑顔がひやりとするものに一瞬見えた気がする。
「じゃあなんで? 僕が良かったの?」
「だって……」
そして、それが正しい直感だったと示すように、彼女の表情からみるみる色が抜けていく。
そして瞳から光が消えると、ただ絶望が詰まった絵画のような笑顔がそこにあった。
「お姉ちゃん、死のうとしてたでしょ?」
天使のような容姿の女の子がそう笑った。
心臓を針で突き刺されたような恐怖で、声帯に力が入らない。
僕の心の奥底が、そのまま彼女の瞳に映ってるように見えた。
頓挫してしまった死への道が復活したような感覚に、心臓が早まる。
そして彼女の瞳はブラックホールのように、僕の姿を吸い込んでいる。
「死のうとしてたから、彩陽ちゃんと一緒にいることにしたの」
まるで聖書の一節にそう記載されてるかのような口ぶり。
「1人じゃ怖いから、一緒がいいの」
あまりの衝撃に返答を失うと、それを肯定と受け取ったのか、今度は少女の屈託のない笑顔で言葉を続けた。
「だからね? 私も天国に連れてって」
そして、週末にお出かけの約束をするようなテンションで、そうこちらに告げた。
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