第五章:『私の後ろに立つ男』

 資料室を出た私の足は、無意識に第3ラボへ向かっていた。

 手には、模倣体Cの記録ファイル。頭の中には、昨夜PCで見た映像──自分自身が、カメラに向かって、意味のない笑みを浮かべている映像が焼きついている。

 ラボに着くと、待っていたのは小田桐だった。彼の顔にも、私と同じ恐怖と困惑が浮かんでいる。

「……真木先生、見ましたか?」

 彼は、絞り出すような声で言った。

「……何をだ?」

「映像です。あの、“もうひとりの真木”」

 その言葉が、私の胸に突き刺さる。

 私は、映像の中で微笑む自分を思い出す。あの笑みは──冷凍庫の芦屋教授の模倣体Cと同じ、“空洞”を宿していた。

 小田桐は、震える手でタブレットを操作し、夜間監視カメラの映像を再生した。

 そこには、私が通った廊下が映っている。画面に映る“真木”の影。

 だが、よく見ると、動きが微妙に遅れる瞬間がある。体の輪郭が二重になり、そして、ふっと消える。それはまるで、別の存在が、私の後を追うように同じ場所を踏んでいるかのようだった。

「……これは、一体……?」

 私の声は、いつの間にか、掠れていた。

「もし、あの映像通りだとしたら、先生──あなた自身も……」

 小田桐の声が震える。

 私は、手にした模倣体Cの資料を握りしめ、唇を噛んだ。思考がぐるぐると回る。

 ──もしかすると、俺も……模倣体なのか。


 私は、小田桐の言葉の意味を、正確に理解できない。いや、理解しようとしない。彼は、私と模倣体の間に、明確な境界があると考えているようだ。だが、私にとっては、その境界はとうの昔に溶解してしまった。小田桐の言葉は、まるで外国語のように、私の耳には届くものの、その意味は、ぼやけて、曖昧で、そして、恐ろしく空虚なものに感じられた。


 背筋に、底知れぬ寒気が走る。

 もし自分が模倣体なら、あの映像で見た笑みは自分のものではない。だが、細胞も記憶も、すべて自分と一致する。

 果たして、自己は何をもって「自分」と言えるのか。

 私は、小田桐の視線に耐えられなかった。その瞳は、まるで、私が化け物であるかのように怯えている。だが、それは、私の錯覚ではないのかもしれない。私は、すでに人間ではないのかもしれない。私は、ただ、この肉体に、誰かの記憶を宿しただけの、虚ろな存在に成り下がってしまったのかもしれない。


「先生、どうしますか……」

 小田桐が、再び問いかける。その声は、私の耳には、まるで、遠い幻聴のように響く。

「……まずは、事実を追うしかない。だが、他人には絶対に言うな。混乱を招くだけだ」

 私は、そう答えた。だが、その言葉は、もう私自身の言葉ではないような気がした。それは、ただ、私の口から、自動的に発せられた、意味のない音の連なりに過ぎない。私は、もう、自分自身の意思で言葉を紡ぐことさえできなくなってしまったのかもしれない。

 その夜、私たちは資料と映像の解析に没頭した。解析が進むほど、私の胸には疑念が深く沈んでいく。

 ──模倣体Cは確かに存在した。そして、あの夜の映像で見た自分も、存在していた。

 もし模倣体Cが、本物の人間と区別できないなら、俺も……。

 その思考は、次第に私の精神を蝕み、私を現実から引き離していく。

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