第四章:『Cの秘密』

 翌日、私は研究所の保管庫にこっそりと足を運んでいた。

 調査チームが芦屋の残した資料を精査している最中だが、彼らが公開していない、極秘ファイルがいくつか存在するはずだ。

 所長代理の権限を使い、私は閲覧を許可された範囲を超えて、内部記録を引き出した。

 そこには、「模倣体プロジェクト」に関する断片的な報告書が並んでいた。

 プロジェクトコードは「M-C」。つまり「模倣体C」。

 ページをめくるたび、奇妙な語句が目に飛び込む。

 ──「対象A:外見模倣良好」

 ──「対象B:言語能力の再現に成功」

 ──「対象C:記憶転写率92%。自己同一性に重大な欠陥」

 欠陥。

 その二文字を目にした瞬間、私の背筋に、氷を滑らせるような冷気が走った。

 さらに資料の末尾には、実験被験者に関する恐るべき注釈が書き込まれていた。

 ──「C個体は、既存の人格と自己認識の乖離により、不安定化を示す」

 ──「観察時、しばしば『自分は誰か』を繰り返し発話」

 ──「対象者の記憶を持つが、意志決定に一貫性を欠く」

 ページの余白には、芦屋自身の手書きのコメントが、まるで血痕のように残されていた。

 ──「記憶は写せる。だが“魂”は転写されない」

 ──「模倣体は、模倣体でしかない」

 だが、最後の一行は、明らかに震えていた。

 ──「……それでも、私たちと何が違う?」


 私は、思わず手を止めた。芦屋は、模倣体を「人間未満」と断じながら、同時に、その境界を疑っていたのだ。その問いかけは、今、そのまま私自身の心に突き刺さった。


 そのとき、端末の通知が鳴った。

 警備部門からの自動送信。研究所の監視ログに不審なアクセスがあったという。

 送信元は──私のID。

 私は息を呑んだ。

 自分は、その時間、この資料室にいた。端末も閉じていた。

 では、いったい誰が、“真木一樹”として、この研究所のシステムを操作しているのか。

 資料を閉じ、背後で小さな物音がした。

 反射的に振り返る。

 廊下の奥に、誰かの影が消えていった。

 白衣の裾。

 そして、こちらと同じ歩調で歩く足音。

 私は、その場に立ち尽くしたまま、心臓の鼓動を押さえ込むように息を殺した。

 ──模倣体C。

 それは記録の中の存在であり、実験の失敗作のはずだった。

 だが今、その「痕跡」は、この研究所の闇の中で、確かに息づいている。

 私は、その存在に、あまりにも親しい、あまりにも恐ろしい、そしてあまりにも滑稽な、同族の匂いを感じていた。

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