帰り道は罠

舞夢宜人

あなたの帰る場所は、もう私だけ。

#### 第1話:偶然の再会と仕組まれた帰り道


 春の夕暮れ、桜並木の下を悠は一人で歩いていた。新学期が始まり、まだどこか浮ついた空気の残る帰り道。柔らかな西日がアスファルトに長い影を落とし、心地よい風が頰を撫でる。そんな何気ない日常の風景の中に、見慣れたようで少し違う、懐かしい後ろ姿を見つけた。


 思わず立ち止まり、目を凝らす。長くまっすぐな黒髪、華奢な肩、そして制服のリボンの結び方まで、すべてに見覚えがあった。


「希……?」


 小さく呟いた声が風に乗って彼女に届いたのだろうか。ゆっくりと振り返ったその顔は、やはり幼馴染の希だった。昔と変わらない穏やかな笑みを浮かべた彼女の瞳が、悠をまっすぐに見つめる。


「悠くん。久しぶり」


 そう言って、希は悠の隣に並び、自然と歩き出した。中学を卒業してから疎遠になっていた。高校は別々になり、互いの生活は全く交わらなくなったはずだった。それが、こんな場所で、こんな風に再会するなんて。悠は運命的な再会に胸を高鳴らせた。


「偶然だね。こんなところで会うなんて」


「偶然かな?」


 希の口から漏れた言葉は、風の音にかき消され、悠の耳には届かなかった。しかし、その声のトーンに、悠はかすかな違和感を覚えた。穏やかな笑顔の裏に潜む、何か不穏なものを感じた。


 二人の足は、かつてよく遊んだ公園や、秘密の場所へと続く道を辿っていく。子どもの頃、秘密基地を作ったり、日が暮れるまで鬼ごっこをしたりした、思い出が詰まった帰り道だ。話す言葉はたわいもない近況報告だったが、悠はどこか会話が不自然に感じた。希が話す内容は、悠が知っていることばかりだった。まるで、悠の動向をすべて把握しているかのように。


「そういえば、悠くん、最近は帰り道でよく寄り道してるって聞いたけど、今日はまっすぐ帰るんだね」


「うん、今日は特に用事もなかったし。ていうか、なんでそんなこと知ってるんだ?」


 希は楽しそうに笑うだけで、何も答えなかった。その様子に、悠の心に張り付いた違和感は、確かな不気味さへと変わっていく。まるで、この再会が本当に偶然ではないかのように。


 やがて、二人の足は希の家の前に着いた。子どもの頃は何度も遊びに来た場所だ。懐かしさに、悠は心が少し和らいだ。


「少し上がっていかない? お母さんも喜ぶと思う」


 希の誘いに、悠は迷うことなく頷いた。警戒心は、懐かしさと、彼女の笑顔によって薄れ、消え去っていた。玄関を入り、リビングを通り過ぎて、希の部屋へと向かう。


 部屋は昔のままだった。壁には悠と二人で撮った写真が飾ってあり、机の上には悠が好きだったゲームのパッケージが並んでいる。子どもの頃の思い出が、まるで時が止まったかのようにそこに存在していた。


「お母さん、元気だった?」


 悠がそう問いかけると、希は静かに首を横に振った。


「ううん、お母さんは今、いないの。今日は私と悠くん、二人だけ」


 その言葉を聞いて、悠は背筋に冷たいものが走るのを感じた。そして、扉の閉まる音が、静かな部屋に響いた。カチャリと、鍵がかけられる音が聞こえた。


 悠が振り返ると、希は鍵を手に、先ほどとは違う、どこか狂気を帯びた瞳で彼を見つめていた。その表情は、今までの穏やかな笑顔とは全く異なり、悠の心に恐怖を植え付ける。


「ねえ、悠くん。私ね、ずっとこの日を待ってたんだ。偶然じゃないよ。全部、私が仕組んだの」


 希はそう言って、悠にゆっくりと近づいた。その足音は、悠の心臓の鼓動と重なり、部屋の空気は、張り詰めた緊張で満たされていく。


「君が、私のことだけを考えてくれるまで、ここから出してあげないから」


 彼女の独占欲に満ちた言葉が、悠の耳に、そして心に、深く突き刺さった。


---


#### 第2話:閉ざされた部屋と独占欲の告白


 希の瞳に宿る狂気に、悠は全身の血の気が引くのを感じた。鍵を手に、悠を部屋に閉じ込めた希は、まるで獲物を捉えたかのように満足げな笑みを浮かべていた。彼女の穏やかな笑顔の裏に隠されていた、独占欲という名の狂気。それは、悠が想像していたよりも遥かに深く、暗いものだった。


「どうして……こんなこと、するんだ?」


 悠の震える声に、希はゆっくりと近づき、彼の肩にそっと手を置いた。


「どうしてって……悠くんが、私から離れていったからだよ」


 希の指が悠の制服のボタンを一つ一つ丁寧に外し始めた。その静かで、しかし確かな行為に、悠の心臓は激しく打ち鳴る。


「私、ずっと悠くんのこと、見てたんだよ。高校が違っても、毎日欠かさず。悠くんが誰と話して、誰と笑って、どんな風に過ごしてるのか、全部」


 希の声は、まるで子守唄のように優しかった。だが、その言葉の内容は、悠の恐怖をさらに煽る。すべてを監視されていたという事実が、悠の日常を汚されたような感覚に陥らせた。


「でもね、どうしても許せなかったの。悠くんが、私以外の女の子と楽しそうに話してるのを見るのが。心がぎゅーって締め付けられて、息ができなくなって……。だから、決めたんだ。もう二度と、悠くんを誰にも渡さないって」


 希の瞳が、狂気と愛の狭間で揺れ動く。彼女の指先が、悠の鎖骨をなぞるように滑り落ちていく。その冷たい感触に、悠は身を硬くした。


「悠くんは、優しいから。私のお願いなら聞いてくれるよね? 君が私のことだけを考えてくれるまで、ここから逃さないから」


 希は悠の肩を掴み、彼の体をベッドに押し倒した。悠の頭上を覆う彼女の顔は、あまりにも美しく、そしてあまりにも恐ろしかった。


「大丈夫、痛いことはしないよ。ただ……悠くんが、私を一番に考えてくれるように、私と一つになってくれるようにするだけだから」


 希の言葉は、まるで魔法のように悠の体を縛り付けた。恐怖で声も出せず、ただ彼女を見つめることしかできない。その無抵抗な姿に、希は満足そうに微笑んだ。


 彼女は悠の制服を脱がせ、自らの制服も脱ぎ始める。カーテンが引かれた部屋は、すでに夕暮れの光も届かず、暗闇に包まれている。悠の視界は、希の影と、彼女の瞳の奥にある狂気だけを捉えていた。


 希の体が悠の上に重なる。その柔らかな感触は、悠の心を揺さぶる。恐怖と、どこかで感じる懐かしさと、そして……。希の吐息が悠の耳元をくすぐる。


「ねえ、悠くん。私を、私だけを見て」


 希の独占欲に満ちた愛の言葉が、悠の耳に、そして心に、深く突き刺さった。


---


#### 第3話:過去の約束と独占の深化


 悠の体の上に重なった希は、まるで宝物を確認するかのように、悠の胸元に顔を埋めた。彼女の吐息が悠の肌をくすぐり、悠は恐怖と混乱で身動きが取れない。部屋の静寂が、二人の呼吸と心臓の音だけを響かせる。


 希はゆっくりと顔を上げ、悠の瞳をまっすぐに見つめた。その瞳は涙で潤んでいた。


「悠くん、覚えてる?」


 突然の問いかけに、悠は戸惑う。何を、と聞く間もなく、希は言葉を続けた。


「小学校低学年の頃、私、悠くんにお願いしたんだ。『私をお嫁さんにして』って。そしたら悠くん、笑って言ってくれたよね。『まだ約束できないけれど、そうなれたらいいね』って」


 その言葉に、悠の脳裏にぼんやりとした記憶が蘇る。あの頃、希はいつも悠の後ろをちょこちょことついて回っていた。ある日、結婚式の話をした時に、彼女が恥ずかしそうに言った言葉だった。まさか、そんな幼い頃の言葉を、希がずっと覚えていたなんて。


「あのね、悠くん。あの時の悠くんの言葉、私にとって、お守りだったの。いつか本当にそうなれるって、信じてた。だから、中学に入って、悠くんが私以外の友達といる時間が増えても、大丈夫だって思ってた。あの時の悠くんの言葉があるからって」


 希の声が震え、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれ落ち、悠の頰を濡らした。


「でも、いつからか、悠くんは私のことを、ただの幼馴染の一人だとしか思ってないんじゃないかって、怖くなった。私が、悠くんにとって、どうでもいい存在になってしまうのが、何よりも怖かったの」


 希の恐怖は、悠が彼女を置いて新しい世界へ踏み出したことによる、根深い孤独感から来ていた。悠は、彼女の隣にいることが当たり前だと思っていた。彼女が、自分から離れていくことはないと思っていた。しかし、希にとって、それは当たり前ではなく、常に失うことへの不安がつきまとっていたのだ。


 悠は、希の涙を見て、彼女の独占欲の裏にある、純粋で、あまりにも脆い愛情を理解した。そして、中学時代に無意識のうちに希を傷つけてしまったことへの罪悪感が、悠の心を締め付けた。


 希の体から力が抜け、悠の胸に顔を埋め直した。その肩は小刻みに震えている。


「だからね、悠くん。私を安心させて。もう二度と私から離れていかないって、私だけのものになってくれるって、言って」


 希の切なる願いが、悠の胸に響いた。悠は、彼女の孤独と恐怖を前に、自分の取るべき行動を悟った。それは、彼女の歪んだ愛を、愛情として受け止めることだった。悠は、震える手で希の背中に腕を回し、彼女をそっと抱きしめた。


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#### 第4話:檻の完成と新たな関係の始まり


 悠の腕の中で、希は静かに泣き続けた。彼女の震えと、小さな嗚咽が、悠の胸にじんじんと響く。悠は希の背中を優しく撫で、何も言葉を発さなかった。言葉は必要なかった。ただ、彼女がどれほど長い間、孤独と不安を抱えていたのか、そしてその原因の一端が自分にあることを、悠は痛いほどに理解していた。


 どれくらいそうしていただろうか。やがて希の震えが収まり、ゆっくりと悠から身を離した。涙で濡れた顔に、わずかな安堵の表情が浮かんでいる。


「……悠くん、私のこと、嫌いになった?」


 その問いかけに、悠は首を横に振った。嘘はなかった。確かに、最初は恐怖を感じた。しかし、彼女の涙と告白を聞き、その根底にある純粋な愛情を知った今、悠の心に恐怖はなかった。あるのは、彼女を放っておいたことへの罪悪感と、過去を埋め合わせたいという強い思いだけだった。


「嫌いじゃない。ただ……ごめん、希」


 悠の謝罪の言葉に、希は瞳を丸くして悠を見つめた。


「どうして謝るの?」


「俺が、お前を一人にしたからだ。高校が別々になったからって、連絡しなかった。新しい友達を作るのに夢中で、お前のことを……」


 悠の言葉が途切れる。希は、悠の唇にそっと指を当てた。


「いいの。もう気にしなくて。悠くんがこうして、私のそばにいてくれるなら、それだけでいいんだから」


 その言葉は、悠の決意を固めるに十分だった。悠は、希の独占欲を、愛情の裏付けを求める行為だと捉え直した。彼女の不安を解消するために、悠自身が彼女を一番に想うことを証明しなければならない。それが、彼女をこの「檻」から解放する唯一の方法なのだと。


 悠は希の手をそっと握り、その温かさを確かめるように強く握りしめた。


「俺は、お前を置いていったりしない。約束する」


 悠の力強い言葉に、希の瞳が大きく見開かれる。彼女の顔に、今度は嘘偽りのない、心からの喜びの笑顔が咲いた。


 希は悠の手に自分の頰を寄せ、その優しさを噛みしめるように目を閉じた。悠は、彼女の髪を撫で、その柔らかな感触を味わった。恐怖と混乱に満ちた夜は終わり、二人の新しい関係が始まろうとしていた。悠が自らの意志で、希の歪んだ愛を受け入れた、その瞬間だった。


 希はゆっくりと立ち上がり、悠の手を引いてベッドへ向かう。悠の頬を両手で包み込み、彼女は真剣な瞳で彼を見つめた。


「悠くん、私はずっとこの日を夢見てた。悠くんと、ひとつになること。悠くんの体も心も、全部私のものになること」


 彼女の言葉は、独占欲というよりは、むしろ純粋な願望に聞こえた。悠は、その願いを叶えることが、希を救うことだと直感した。悠は静かに頷き、希の背中に腕を回し、優しく引き寄せた。二人の唇が重なり、互いの熱を分け合う。それは、過去の不安や孤独を溶かし、未来へと続く、二人の絆を確かめ合う儀式のようだった。


 希は悠のシャツをゆっくりと脱がせ、自らの制服も脱ぎ去った。月の光が差し込む部屋で、彼女の華奢な体が、白く、儚く浮かび上がっている。悠は、その繊細な美しさに息をのんだ。希は悠の胸に顔を埋め、彼の心臓の鼓動を確かめるように、深く息を吸い込んだ。


「悠くん……怖いけど、でも、悠くんなら大丈夫」


 希の言葉は、彼女がこの瞬間をどれほど大切に思っているかを物語っていた。悠は、彼女の体を優しく抱きしめ、額にキスを落とした。そして、二人の肌が重なる。それは、希が今まで誰にも見せたことのない、最も純粋な部分を悠に差し出す行為だった。希の体は最初は硬く緊張していたが、悠の優しい触れ合いによって少しずつ弛緩していく。


 悠は、希の準備が整うのを待った。焦らず、彼女の恐怖と向き合いながら、一歩ずつ進む。やがて、希が悠の腰に手を回し、彼を求めるように体を動かした。その小さなサインが、悠の背中を押した。


 悠の体が、ゆっくりと希の中に入っていく。希の体は、まだ慣れない感覚に戸惑い、僅かに身をよじった。だが、痛みよりも、悠と一つになることへの喜びに満ちていた。悠は、希の小さな反応を感じ取りながら、優しく、そして丁寧に、彼女の体と向き合った。希は悠の肩を掴み、その指先に力を込める。


「悠くん……」


 希の口から漏れた声は、悦びと、そして安堵に満ちていた。悠の動きに合わせて、希の体は官能的な快感を覚え始め、その表情は次第に恍惚へと変わっていく。


 やがて、希の体が大きく震え、彼女は絶頂に達した。その瞬間、悠は希の瞳の奥に、独占欲や狂気ではなく、ただ純粋な愛だけが宿っているのを見た。二人の体は、互いの熱と湿り気を分かち合い、完全に一つになった。


 行為の後、希は悠の胸に顔を埋め、深く安堵の息を吐いた。悠は、彼女の髪を撫で、その柔らかな感触を味わった。恐怖と混乱に満ちた夜は終わり、二人の新しい関係が始まろうとしていた。悠が自らの意志で、希の歪んだ愛を受け入れ、そして二人の体が結ばれた、その瞬間だった。


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#### 第5話:夜明けと共犯関係の始まり


 夜が明けた。カーテンの隙間から差し込む光が、部屋を淡く照らす。悠は、希の隣で目を覚ました。ベッドの上で重なり合い、一糸まとわぬ姿で一夜を過ごした二人。その事実は、悠の心に重くのしかかりながらも、どこか不思議な安堵をもたらしていた。希は悠の腕の中で、穏やかな寝息を立てている。その無防備な寝顔は、昨晩の狂気を宿した表情とはかけ離れており、悠は胸の奥が締め付けられるような切ない感覚を覚えた。


 希がなぜ、あそこまで悠を求めたのか。その理由を深く理解した今、悠は彼女のそばにいることが、もはや恐怖ではなく、安らぎへと変わりつつあるのを感じていた。互いの身体の温もりを感じながら、悠は目を閉じた。それは、歪んだ始まりから生まれた、二人だけの秘密。外部から見れば異常な状況であるはずなのに、悠にとっては、まるで永続的な繋がりを予感させる、新しい関係の始まりのように思えた。


 やがて、希がゆっくりと目を覚ました。彼女は悠の顔を見上げ、安心したように微笑んだ。


「おはよう、悠くん」


「おはよう、希」


 その言葉を交わした瞬間、二人の間に新たな関係性が生まれたことを、悠ははっきりと感じた。希はもう、悠をただ「閉じ込める」だけではなかった。悠が自ら、彼女の愛を受け入れることを決意した。それは、彼女の不安を解消するためであり、同時に悠自身が希との関係を維持したいと望んだからだった。


 希はそれからも、悠への監視を続けた。学校からの帰り道、悠は常に誰かに見られているような気配を感じた。だが、それは以前のような不気味なものではなく、悠が希への愛を言葉や行動で示すたびに、その気配は安堵と喜びに満ちたものに変わっていくのを感じた。


 悠もまた、自ら愛の言葉や行動で応えるようになった。放課後、希に電話をかけ、「今、帰ってるよ。希のこと考えてた」と伝えたり、週末には自分から希を遊びに誘ったりした。それは希の独占欲を満たすための行為だったが、悠にとって、それは徐々に希を愛することへと繋がっていった。


 ある日の放課後、悠は駅前のカフェにいた。希は、隣の席で悠が誰と話しているかを盗み聞きしているのだろう。悠は、そんな希の存在を確信しながら、携帯電話を手に取った。


「もしもし、希? 今、カフェにいるんだ。希と行きたかったな」


 電話の向こうで、希の息を飲む気配がした。


「うん……私も、悠くんと行きたかった」


 電話を切った後、希が悠の席に近づいてきた。


「悠くん、隣の席に座ってもいい?」


 悠は微笑み、静かに頷いた。彼女の監視が、二人の関係をより親密なものへと変え始めている。それは、悠が自ら望んで選び取った、共犯関係の始まりだった。


---


#### 第6話:信頼の構築と自由への試み


 希の監視は続いていた。しかし、その気配は徐々に、悠にとって息苦しいものではなくなっていた。それは、悠が希の愛を受け入れ、自ら積極的に関わりを持つようになったからだ。放課後、希に電話をかけ、今日の出来事を話す。週末は彼女を誘い、二人で買い物に行ったり、思い出の場所を訪れたりした。悠の行動は、希の心に少しずつ安堵をもたらし、独占欲という名の鎖を緩めていった。


 ある日の放課後、悠が友人たちと部活動について話していると、スマホが震えた。画面には「希」の文字。悠は友人たちに軽く会釈し、少し離れた場所に移動して電話に出た。


「もしもし、希? どうしたんだ?」


「……悠くん、今、学校?」


 希の声は、いつものように穏やかだった。だが、その声の奥に、悠の行動を確かめようとする、かすかな不安が隠されているのを悠は感じ取った。


「ああ、そうだよ。部活のことで友達と話してたんだ」


「そっか……よかった」


 安堵の息が、電話の向こうから聞こえる。悠は、彼女の不安を和らげるために、自ら言葉を続けた。


「希も学校にいるんだろ? 今からそっちに行くよ。一緒に帰ろう」


 電話の向こうで、一瞬の沈黙があった。そして、希の喜びを抑えきれない声が聞こえた。


「ほんと? 待ってる!」


 悠は友人に別れを告げ、希の高校へと向かった。彼女の学校の正門前で待っていると、少しして希が駆け寄ってきた。彼女の顔には、満面の笑みが浮かんでいる。その笑顔は、中学時代、悠と無邪気に遊んでいた頃の、屈託のないものだった。


「ごめんね、悠くん。私……悠くんを疑うようなことしちゃって」


 希は申し訳なさそうに悠を見つめる。悠は、そんな彼女の頭を優しく撫でた。


「いいんだ。お前の気持ち、わかってるから。それに、俺も希に会いたかった」


 悠の言葉に、希は頬を赤らめ、嬉しそうに微笑んだ。その日を境に、希の監視は少しずつ減っていった。悠が連絡する前に、希が電話をかけてくることはなくなり、帰り道に偶然を装って現れることもなくなった。希は、悠が自分との時間を大切にしてくれることを知り、彼の愛情を信じ始めたのだ。


 ある週末、悠が一人で本屋にいると、希からメッセージが届いた。


『悠くん、今どこ?』


 以前なら、悠は正直に答えることを少し躊躇しただろう。だが、今の悠には、希の不安を煽るような真似はしたくなかった。


『駅前の本屋だよ。希も一緒に行きたかったな』


 すぐに返信が来た。


『ふふ、大丈夫。私も今、友達と買い物してるから。でも、ありがとう。今度、一緒に本屋に行こうね』


 悠はスマホを閉じ、静かに微笑んだ。希は、もう悠を束縛しようとしていない。彼女は、悠の愛情を信じ、自分自身の時間や人間関係を大切にすることを学び始めていた。それは、二人の歪んだ関係が、少しずつ、健全で成熟した形へと変化している証拠だった。悠は、希の成長を喜び、これからも彼女のそばにいることを心に誓った。


---


#### 第7話:愛情の証明と信頼の芽生え


 悠の行動は、希の心に少しずつ確かな変化をもたらしていた。監視の回数は減り、そのまなざしには安堵の色が混ざるようになった。しかし、時折見せる不安な表情に、悠はまだ完全に彼女の心が満たされていないことを感じ取っていた。希の独占欲という鎖は緩んだものの、その根本にある「失うことへの恐怖」は、まだ完全に消えたわけではなかった。


 ある日のデートの帰り道、二人は他愛もない話をしながら歩いていた。冬の澄んだ空気の中、吐く息は白く、互いの手の温もりが心地よかった。悠は、ふと立ち止まり、希の手を両手で包み込んだ。


「希」


 真剣な声で名前を呼ばれ、希は不思議そうに悠を見上げた。悠は、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。それは、二人が初めて再会した時、希が悠に向けていた、あの狂気を帯びた眼差しと似ていた。だが、悠の瞳は、狂気ではなく、ただ純粋な愛情に満ちていた。


「俺は、もうどこにも行かないよ。お前のそばにいる。俺は、お前のことが好きだ」


 飾り気のない、真っ直ぐな言葉だった。希は、その言葉を聞いて、何も言えずにただ悠を見つめた。彼女の瞳は大きく見開かれ、徐々に潤んでいく。


「信じてくれないかもしれないけど、本当だ。あの日、お前が俺を部屋に閉じ込めたこと、最初は怖かった。でも、お前の涙を見て、過去の約束の話を聞いて、俺はわかったんだ。お前の独占欲は、ただの愛情だって。俺がお前を一人にしたから、お前はそんな風にしか、俺を繋ぎ止める方法がわからなかったんだって」


 悠は、希の震える手を自分の頬に寄せた。


「だから、これからは、俺がちゃんと証明する。俺の心は、ずっとお前のものだって。俺の体も、お前のものだって。俺は、もうお前を一人にしない。だから、もう怖がらなくていいんだ」


 悠の言葉が、希の心に深く、深く染み込んでいく。彼女の瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出した。それは、不安や恐怖の涙ではなく、長年の孤独から解放された、安堵と喜びに満ちた涙だった。


 希は、悠の首に腕を回し、顔を埋めた。


「悠くん……ありがとう。私、本当に、本当に嬉しい……」


 その日、希の独占欲は、完全に消え去った。悠の真っ直ぐな愛情表現によって、彼女は揺るぎない安心感を覚えたのだ。翌日以降、希が悠を監視している気配は完全に消えた。代わりに、二人の間には、互いを信頼し、支え合う、より深い絆が芽生え始めていた。


---


#### 第8話:独占の終焉と新たな関係の始まり


 悠の真っ直ぐな愛情表現は、希の心から最後の不安の影を拭い去った。彼女は、悠の言葉と行動が、自分を大切に想ってくれることの何よりの証拠だと信じることができた。それまで悠の動向を把握するために使っていたSNSや、偶然を装った接触は、いつしか希の生活から姿を消した。


 ある日、悠は下校時に希の家の前を通った。いつものように希が窓から顔を出すか、玄関から飛び出してくるかと身構えたが、誰も出てこない。悠は少し心配になり、彼女にメッセージを送った。


『今、家に着いたよ。希はもう帰ってる?』


 すぐに返信が来た。


『うん、帰ってるよ。今日は友達とカフェに寄ってたから。ごめんね、連絡できなくて』


 そのメッセージを読んで、悠の心は温かいもので満たされた。それは、希が悠に依存するだけでなく、自分の時間を楽しみ、新しい人間関係を築いている証拠だった。希はもう、悠を繋ぎ止めるための「檻」を必要としていなかった。


 翌日、希から悠に電話があった。


「ねえ、悠くん。明日の日曜日、一緒に出かけない?」


 以前なら、この誘いには「悠に会いたい」という独占的な気持ちが込められていただろう。しかし、今回の声には、純粋な「一緒に楽しい時間を過ごしたい」という気持ちが満ち溢れていた。


「いいよ。どこに行きたい?」


「……水族館とか、どうかな? 悠くんと一緒なら、どこでも楽しいけど」


 悠は微笑んだ。彼女はもう、「悠くんと二人きり」ということに固執していなかった。悠が提案する場所ならどこでもいい、ただ彼との時間を共有したいと願っていた。それは、希が悠の愛情を疑わず、二人の関係に絶対的な信頼を置いているからこそ言える言葉だった。


 水族館でのデートは、最高に楽しいものになった。悠は、水槽の中を優雅に泳ぐ魚たちを眺めながら、隣で目を輝かせている希の横顔をじっと見ていた。彼女の笑顔は、悠にとって何よりも大切な宝物になっていた。


「ねえ、悠くん。私、もう大丈夫だよ」


 希は悠の手を握りながら、そう言った。


「何が?」


「一人になること。もう怖くない。悠くんが私のそばにいてくれるって、ちゃんとわかったから」


 その言葉は、二人の関係が、歪んだ独占欲から、健全で成熟した愛情へと進化したことを示すものだった。希は自分の世界を広げ、悠はそれを喜び、二人の間には、より深い絆と信頼が築かれていた。それは、二人が共依存という名の「檻」から解放され、互いの自由と自立を尊重し合えるようになった瞬間だった。


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#### 第9話:二人の未来と親たちの思惑


 希との関係が健全なものへと進化したことで、悠の日常は穏やかで満たされたものになっていた。希の独占的な行動はなくなり、互いを尊重し合う、対等なパートナーシップが築かれていた。二人は、週末にはカフェで勉強をしたり、街へ映画を見に行ったりと、ごく普通の高校生カップルとしての日々を送っていた。


 ある週末、悠は希の家に招かれた。リビングで希の母親と談笑していると、希の父親が帰宅した。悠は緊張しながら挨拶をしたが、希の両親は二人とも悠にとても親切だった。特に希の母親は、悠に幼い頃からの思い出話をたくさんして聞かせた。


「悠くん、希が小さい頃ね、悠くんのこと『お嫁さんにする』って言われたって、本当に喜んでいたのよ」


 希の母親の言葉に、悠は顔が熱くなるのを感じた。希は少し恥ずかしそうに悠の横で俯いている。


「あ、はい……俺も、その時のこと、よく覚えています」


 その時、希の父親が穏やかな口調で言った。


「悠くん。お前たちが高校生になって、希は少し寂しそうにしていたから、また仲良くしてくれて、本当に嬉しいよ。希の将来のことも、ちゃんと考えてくれているんだろう?」


 悠は、その言葉の意味をすぐに理解できなかった。希の将来? それは、大学進学のことだろうか。悠が言葉に詰まっていると、希の母親が続けた。


「あなたたち、小さい頃からずっと一緒だったからね。私たちの間では、もう、将来は結婚するって、決まってるようなものなのよ」


 その言葉を聞いて、悠は息をのんだ。希の独占欲は、たしかに消え去っていた。しかし、それは決して終わったわけではなかった。希の独占欲は、形を変えて、より巧妙で、より強力なものとなっていたのだ。それは、社会的な合意という名の、逃げ場のない「既定の未来」だった。


 悠が希の家族と談笑している間、希は静かに悠の隣に寄り添っていた。その顔は、満面の笑みを浮かべている。悠は、希の母親の言葉が、すべて真実なのだと悟った。希は、中学時代に悠を失いそうになった経験から、二度と彼を失わないように、より強固な、社会的な関係の鎖を築き上げていたのだ。


 その夜、悠は希と二人きりになったとき、問いかけた。


「希……お前のお母さんが言ってたこと、本当なのか?」


 希は悠の顔を覗き込み、愛おしそうに微笑んだ。


「うん。本当だよ。私は、悠くんと結婚するって、ずっと前から決めてた。悠くんが私を置いていった時も、ずっと。だから、高校は別々になったけど、悠くんの進路も、私、ちゃんと調べておいたんだ」


 悠は、希の純粋な愛の重みに、再び圧倒された。恐怖ではない。それは、あまりにも強固で、悠の人生をすべて包み込むような、巨大な愛情の波だった。希は、悠の頬をそっと撫で、その瞳の奥に、確かな愛を宿していた。


「悠くん、あなたは、私のこと、好き?」


 希の問いかけに、悠は迷うことなく頷いた。


「ああ、好きだよ。希のことが、大切だ」


 悠の答えに、希は安堵したように悠の胸に顔を埋めた。彼女の独占欲は、もはや悠を閉じ込めるためのものではなく、悠を愛し、守るためのものへと昇華していた。それは、二人の愛が、歪んだものから、社会的に認められる「結婚」という形へと、自然と向かっていくことを示していた。


---


#### 第10話:既定の未来と、新たな誓い


 悠は、希の純粋な愛の重みに、再び圧倒された。恐怖ではない。それは、あまりにも強固で、悠の人生をすべて包み込むような、巨大な愛情の波だった。中学時代に希を置いてけぼりにした罪悪感、閉じ込められた恐怖、そして、二人で築き上げてきた共犯関係。そのすべてが、悠の心を希へと繋ぎ止めていた。希の独占欲は、もはや悠を束縛するものではなく、悠を愛し、守るためのものへと昇華していた。そしてその愛は、両家の親という、社会的な合意によって、より強固な形となっていた。


 その夜、悠は希の部屋で、あらためて彼女と向き合った。希は悠の隣に座り、幸せそうに微笑んでいる。


「悠くん、あなたは、私のこと、好き?」


 希の問いかけに、悠は迷うことなく頷いた。


「ああ、好きだよ。希のことが、大切だ」


 その言葉を聞いて、希は安堵したように悠の胸に顔を埋めた。彼女の独占欲は、もはや悠を閉じ込めるためのものではなく、悠を愛し、守るためのものへと昇華していた。


「私、悠くんがいなくなってしまうのが、何よりも怖かった。だから、あんなことしちゃった。でも、悠くんが私のそばにいてくれるってわかったから、もう大丈夫。これからは、悠くんがどこへ行っても、私が隣にいるから」


 希の瞳は、純粋な愛に満ちていた。悠は、彼女の言葉の裏に隠された、深い愛を理解した。それは、悠の存在が彼女の人生のすべてであることを示していた。


 悠は、希の顔を両手で包み込み、そっと唇を重ねた。それは、恐怖や不安から始まった関係が、確かな愛と絆へとたどり着いたことを示す、新たな誓いのキスだった。


 数年後、悠と希は周囲の祝福を受けて結婚式を挙げた。二人の両親は、まるで当然のことのように二人の結婚を喜んでいた。友人たちも、幼馴染だった二人の関係を温かく見守ってくれていた。


 新婚旅行の帰り道、二人はかつて悠を閉じ込めた希の部屋を訪れた。部屋は、二人の思い出の写真や、新しい生活の家具で溢れていた。悠がふと、部屋の鍵に目をやると、希が悠の手に、その鍵をそっと乗せた。


「この鍵、もういらないよね。だって、悠くんの帰る場所は、もうここだから」


 希はそう言って微笑んだ。その笑顔は、かつての穏やかな笑顔の裏に狂気を秘めていた少女のものではなく、悠への深い愛と、未来への希望に満ちた、成熟した女性のものだった。悠は、希の手を握りしめ、二人の未来を誓った。歪んだ愛から始まった二人の物語は、周囲の祝福と確かな愛に支えられ、幸せな結婚という既定の未来へとたどり着いたのだった。


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