1-3 第二シンクタンク

時雨の峡谷へ

ミメシスは子実体から得た認知を本体で情報に変え、そこで初めて意識を宿す。

彼らはある意味で、光や音の世界ではなく、言葉の世界に生きていると言える。

各子実体が得た情報はある程度のまとまりで統合されて格納され、現実として起きる。

情報としての物質がその時点で新たに発生。これが幽物質スペクトルである。

これらは当然自然の営みとしても発生するものでもあるが、我らはこれを作為的に作り上げることも可能である。

叙述とは、この世界の本質であり、魔法でも呪術でもなく、我らが生きる全てなのだ。


「……何回読んでもさっぱり分からん」


なんとなくは分かる。だがその理屈はまるで再現できない。

人間は夢と現実が混ざったとしても、結局直ちに分離する。

ありえない状況だと自分で理解することもできるし、分からない場合でも他人が訂正する。

しかし、この世界では。そしてミメシスたちは。

夢現の境界がない世界こそ、彼らの生きるリアルらしい。


§


俺が復活してから一日も経っていない。それでもユキが追放されるまでの時間は残り少ない。

ハルはすっかり元通りで、気張った表情で次の計画を言っていく。


「てんやわんやだったけど、作戦は順調。予定通り次に移る」


復活して初めての飯。今度は小洒落た屋外喫茶店だ。

俺がハルに取り調べを受けていた、おそらくは司令部の為の建物に、備え付けられるように店がある。

バルコニーで曇り空を眺めながら、俺は湯気がわきたつコーヒーマグを啜っていた。


「時雨の峡谷に向かい、『虹の花嫁』に協力を仰ぐ」


そこでユキがむせ返った。

ハルの器用さに驚く。テーブルが揺れてもなお、ティーカップにかなりの高さから寸分狂わず紅茶を注げている。

ユキは相変わらず食いしん坊で、あり得ないサイズのパフェを黙々と食べていた。


「え、ええ!? できるんですか!?」


「どっちみちリクトを仲間にした時点で、挨拶には行かないと」


「でも……うーん」


ユキはげんなりとした様子で、一度はスプーンが止まっていたものの、結局すぐに再開した。

食べることに夢中になっている様子だったので俺が代わりに聞いてみる。


「虹の花嫁ってなんだ? もしかして前にちらっと言ってた、強力な助っ人か?」


「よく覚えてるね」


ハルはジャムを塗ったスコーンをひと齧りした。

ユキが多すぎるせいで霞んでいるが、ハルの食べる量はかなり少ない。

昼食がティースタンドだけで本当にいいのだろうか?


「総務師団全体の実質的なリーダーであり、ユキ様の師匠」


大層な肩書きがついているようだ。

そんな大物ゲストを、ユキと知り合いであるとはいえ、味方にできるだろうか?


「ユキはなんでそんなに弱腰なんだ?」


「えっとですね、優しい人です。私なんかを受け入れてくれたんですから」


「じゃあなぜ──」


「とにかく、とっつきづらいんですよ」


口の横にちょっとだけクリームがついている。

それにも構わず、話している最中でも絶対に口に運ぶ手を止めない。

一体何が、ユキを食べることに執念深くさせているんだ。


「性格が悪いわけじゃないんです。ただ無口で、真っ直ぐすぎる物言いを時々言うだけなんです」


厄介さを理解するのに十分だ。

ユキとはとことん合わなさそうだ。

愛嬌も通じないのに、問題ばかり指摘される。そんな様子が容易に想像できる。


「リクト、向かう前にガイドブックの叙述についての欄を熟読しておいて」


そう言ってハルはすでに口を拭っていた。

ユキもそろそろ食べ終わりそうだ。

俺はサンドイッチの最後の一切れを手に取った。


§


それで、読んでみたはいいものの。

相変わらず何を言っているのか理解できない。

俺が念じて打ち出していたあの火球。ハルが暗闇に刻んでいた赤い軌道。

ユキが夜空に描き出した青い炎。カエデが作り出した、あの夜。

これら全ての基盤となる、魔法のような技術。

その仕組みは結局わからないままでいた。


「わからないなら、それでいい」


ハルは肩にぽんと手を置いた。機械的な大太刀クリムゾンベリーが再び背負われている。


「結局、その身を持って思い知るしかない」


十分思い知ってはいるんだよ。

この世界には慣れないことが多すぎる。


「それで、なんで俺まで大荷物を持たないといけないんだ」


既に俺たち二人は旅行用のカバンを持って立ち話をしていた。

ユキはこの扉の奥で準備をしている。さっきからドタバタうるさい。

相当苦戦を強いられているようだ。


「あなたも泊まり込みで鍛錬することになるだろうから」


分かっていたはずなのに、肩が急激に重くなる。

結局二週間もないんだ、ユキやハルより強くなれるわけないだろう?


「当然でしょ。あなた、どれだけ足手纏いだったと思ってるの」


カエデの件について言っているようだった。

確かに、ほとんど結局何もできずにくたばっているのみだった。

ユキとの一件についてもそうだった。

俺が強ければ解決できる問題は多い。

……が、それができれば苦労はしない。

だいたい、そこまでのモチベーションがあると思うか?


「ちゃんと自衛できるようにして。今度はおそらく、一瞬で殺される」


殺す、というワードがたいして重みを帯びていないと気づいたところで、ユキが飛び出してきた。


「すみません、靴下のもう片方を探すのに必死で……遅れました」


「後にしてください、そういうのは。そもそも新しく手に入れられるじゃないですか」


恥ずかしげに頭をかいていた。

素直に子供らしくしている時のユキは、何にも勝る可愛さを持っている気がする。


「乗り物の手配はうまくいきそうですか」


「なんと……問題なく頂くことができました。追放の猶予期間だからでしょうか?」


乗り物。

前々から気になっていた。まさかこの広大な世界を徒歩のみで移動するわけではあるまい。

物品の輸送の方法としても、この世界の乗り物を確かめておきたかった。

ジャーナリストみたいだ、とふと思う。

いつか俺の残した手記が、この世界を語る貴重な文献になってくれるんだろうか。


「小舟ですか? それともウィンドメーカー?」


「ウィンドメーカーです」


ウィンドメーカーか。それに並列される“小舟”の奇妙さが目につく。

が、乗り物を所有できないことも気になる。わざわざ手配しないといけないのか。

ミメシスたちは実質的に、移動を制限されている。


「私が取りに行っておくので、先に輸送ポートまで向かっててください」


ハルはユキがそう言い出す前から、既に階段のほうに歩き始めていた。


§


ゆるりと風が吹く屋上。三人分の荷物と三人分の人影。

ただ、あてもなく立って、風にあてられている。

乗り物らしい乗り物はどこにもない。


「それで、ウィンドメーカーってのは?」


ユキは謎のリュックを背負った状態でやってきた。

横から2本、紐が垂れていて、パラシュートを思わせた。


「私が背負ってるこれですけど」


……乗り物?

オイクメネにおいては“座席がある”ことから疑わないといけないらしい。

魔法の箒ですら指定座席があったんだぞ。


「リクトさんは初めてですよね。私の手をしっかり握っておいてください」


ユキは何やら、そばに置かれた荷物にリュックから粉を取り出し、それを振りかけていた。

いかにも呪術的な儀式が始まろうとしている。


「夢野さんは濃縮幽物質スペクトルの容量、大丈夫ですか?」


「心配せずとも、点検しておきました。あなたとは違うので」


ユキはむっと頬をふくらませる。

しかしあまり気にする様子もなく、俺の手を握ってくる。

指と指の間に挟んで、それはもうがっちりと。


「目的地、時雨の峡谷へ」


そう宣言して、ユキはリュックの紐を引いた。

一陣の風が吹く。

次も。そのまた次も。何度も吹き荒れる風。

たちどころに現れた竜巻の中に、俺たちは居た。


「しっかり掴まっててくださいね」


なんとなく、ウィンドメーカーという名前からその方法は察していた。

だが、外れて欲しいとも思っていた。

こんな余計な直感は当たってほしくなかった!


今、足の下を気流が通り抜ける。地面の感覚がなくなる。

風になびきながら、その中を飛び始めていた。

どうしても、叫ばずにはいられなかった。


「うおおおおおっ!!」


「うるさい」


ハルは何の戸惑いもなく、平然とした様子で空を飛んでいる。

もし仮に風が止まったら、そのまま地面に真っ逆さまじゃないか。

どうしてそんな平気でいられるんだ。

まさか、これがオイクメネでの普通の移動方法なのか?

そうじゃないと信じたい。


「まあまあ。私も初めての時は声出ましたよ?」


だが考えてもみれば、どうしてマイナスのGがかかるだけで叫び声が出てしまうんだろう?

絶叫マシンが苦手なわけじゃなかった。

それでも声を出すのは抑えられなかった。

訓練を積んだら、二人みたいに大人しくいられるんだろうか。


「うるさいものは、うるさいです。止めろ、とまで言ってないだけ」


ハルは何故か、ちょっとだけ恥ずかしそうだった。

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