嵐の前の静けさ
嵐はいつも静けさを前に出して、許しを貰おうとする。
償いきれないほどの滅茶苦茶な暴力を施していくのに、ほんの僅かだけ静寂を与える。
それで許されようとしているのか? 紳士でいるつもりなのか?
だけど、破壊だけがあるのではないといわれたら、確かかもしれない。
今見ているこの状況は、嵐のそれと全く一緒だ。
ほんのちょっとおつかいに行っただけで、空気が澱みすぎている。
早くユキとハルを連れて、抜け出してしまいたい。
しかしこの男の威圧感が、この場にいる全てのものを、壁に押し付けて足を止めている様だった。
俺と同じような癖のついた黒髪。
全てをひた隠しにするローブの胸元に、ユキと同じような黒い薔薇の飾りが付いている。
「お前がリクトか」
眼鏡の奥にある目は鋭い。
しかしハルのそれとは違う。何か歪んでいる。
最も有名な堕天使の、憎悪のこもった睨み......
その絵画がふと、頭の中に浮かんだ。
「完全な復活に恵まれながら、この世のことについて何も知らぬ
ユキは、首を掴まれた猫のようにじっとしていたままだった。
何も語らず、静寂を保っていた。
それと反対にハルは、怒りに満ち満ちている。
一見大人しく立っているだけに見えるが、腕のふらつきが一切ない。
ひとたび口火を切れば、背中にある刀剣が一瞬にして展開され、戦闘が起こるだろう。
俺は状況を理解した上で、空気を乱すことに努めた。
まずはこの温かいおしるこを冷めないうちに頂こう。
「いきなり追放なんて、唐突すぎるんじゃないか? 詳しく話してくれよ、飯でも食べながらさ」
「その男に構う必要はない、リクト」
俺の意図を理解せず、ハルが制してきた。
目線は一切こちらに向けていない。男の方をひたすら見ていた。
「じゃあ自己紹介だけ聞くよ、それで一旦解散ってことで」
俺の呆れた発言にハルと男の両者が振り向いた。
どっちも目を点にさせており、すこぶる苛立っていた。
逆効果だったようだ。
それでも、ユキはこちらを見ることなく、ただ俯いていた。
「……名前はコウ。法務師団所属、見ての通り黒薔薇だ」
ユキと同じぐらい偉くて、ルール関係の仕事をしていると言うのは伝わった。
それだけで今は十分だろう。
「ユキはこれからどうなる?」
「身勝手な行動の責任を取って、二週間後、奈落に追放する」
奈落。
あの化け物たちの棲家とされる場所。
数多の命を奪った
あの夜だけでも俺たちは耐えられなかったのに。
ユキ一人だけで放り出すとこいつは言っている。
「薔薇は取り去るから異端者になることもない」
コウは淡々とした口調でそのまま続けようとしていた。
実に淡白で無味乾燥とした声色。
憎悪に満ちた目をしているのに、それを一切表に出そうとはしていない。
おかげで彼の内心が全く読めない。
「その前に私がお前を殺す」
「二週間で新しいポストも用意するから、君は心配する必要はない」
「そうじゃない!」
対して、ハルは敵意剥き出しだった。
拳に力を込めすぎて、肩が震えている。歯軋りの音もうるさい。
それでも、その怒りは誰からも相手にされていなかった。
チワワが吠えているのと大差なかった。
実際に剣を抜くのは間違っていると、弁えているのだ。
「新しく任務が与えられることもないだろう。最後の二週間、ゆっくりしてくれ」
……だけど、俺ならどうだろう。
まだ俺には何の価値もない。コウ自身が
俺なら、彼女たちを守れる。
殺すとまでいかなくても。
一泡吹かせられるかもしれない。
俺は背を向けつつある彼に悟られないよう、慎重に腕にある弓を展開する。
「あまり悪いことは考えるものじゃない」
コウは背を向けたまま、そう呟いた。
床の冷たさが電撃のように俺の体を走り抜けたようだった。
全身が凍りつき、俺はコウの手元にあった銃が見えた。
構えてすらいなかったが、その銀色の輝きに、息を呑んだ。
「それでは失礼する」
コウの姿が完全に見えなくなって、ようやく俺は息を吐いた。
そして無力さの象徴である、力強く張った弦を見た。
心を変えることは、やはり難しいらしい。
俺はハルがどうなっているか確認しようと振り向いた。
「勘弁してください」
何か喋ろうとする前に、横からユキが抱きついてきた。
俺の努力は余計な心配を生んだだけのようだ。
「ハルさんも! 殺すとか気軽に言っちゃダメです」
「で、でも」
「例外はありません」
既にユキの表情はくだけていて、普段通りの幼げな顔に戻っていた。
ぴんと立った人差し指の前に、ハルはしょぼんとしていた。
「でも、守ろうとしてくれたことに感謝します」
そう言った後、ユキはいきなり改まった。
「今までありがとうございました」
そして、深くお辞儀をした。
何だかこっちが申し訳ない気分になってくる。
「ハルさんには迷惑をかけたと思います。余計な心配をかけさせてしまった」
「いや、もうそれどころじゃ」
「私の我儘に長らく付き合ってくれて、ありがとうございます」
諦めからの笑顔、というわけでもない。
心の整理がついた、胸の奥底からの笑顔だ。
何の後悔もなく、ユキはしばらく謝辞を述べ続けた。
本当にユキ自身は辞めようとしているらしい。
俺はこれからだと思っていたのに。
「俺、ユキがいないとダメだと思う」
びっくりするぐらい恥ずかしい台詞がするりと口を抜け出た。
ハルが一瞬驚いて退いたほどだ。
なのに、当のユキは全く怯むことなく、微笑みを湛えていた。
「大丈夫です。リクトさんなら、誰とでも上手くやっていけますよ。なんせ私とやっていけたんですから」
「いや、そっちもそうなんだけど、ユキは、どうなっちまうんだよ」
「それは心配無用ですよ。彼は見た目以上に優しいですから」
彼?
あの追放を言い渡した彼が?
ほとんど死刑を通達したのと何ら変わらない彼が?
「大体、奈落に居ても私はもう生きていけるじゃないですか。あの青い炎の力で」
俺が身を挺したあと見せた、無数の鎖に包まれた姿。
青く光る優しい火が灯った体は、翼を生やして宙に飛び立ってすらいた。
確かに、あれほどの巨大生物を投げ飛ばすほどの力があるなら、生き残っていけるだろうが……
「さっきユキ様自身が、使えなくなったと言ったばかりではないですか」
ハルのその一言で、また沈黙が訪れた。
時が止まったように、ユキはぴたりと動きを止めて、しばらくそのままでいた。
その後、恥ずかしそうに自分の髪を撫で回していた。
「この二週間、どうしましょうか。旅行でも行きますか?」
何もおかしなことなどなかったように、ユキは話し始めた。
日常を再開させようとしていた。
無理だ。俺は口を開けない。
ハルも固まったまま動けない。
「……わかんねえ」
ただ一言俺は呟いてしまった。
この二週間で何とか打開するしかない。
でも、今はその方法どころか、するべきかどうかすら、分かっていない。
「では、外の空気でも吸いながら、お話しましょう」
ユキは全く不安げでなかった。
ハルも俺も、蔦に絡まれたように重い足取りだったのに。
湖に浮かぶ白鳥のような悠々さで、彼女は先を進んでいた。
§
外は思ったより寒かった。
風はなかったが、冬の空気に包まれては意味がない。
俺は周りにあるカラフルな花壇を見て、気を紛らわそうとした。
「ほら見てください、この絶景」
結構ここは高いところにあるらしく、オイクメネの全体を見渡せた。
エンジェルラダーが降り注ぐ神秘的な空の下で、草原の地平線の向こうに山脈が見える。
霞んではいても、あまりに威圧的な巨木の影。
麓の方に見える、生活感あふれる建物群。
ところどころ岩肌の見える、丈の短い草むらの大地。
「どうですか。
俺はしばらく無言でいた。
隣にいるハルも、ずっと無言だった。
俺たちの頭の中は、目の前のこのいたいけな少女を救う術を考えることで、一杯だった。
「綺麗だな」
だけど、いくら考えても答えが出ないものを考えても仕方がない。
今はひとまず、日常的に振る舞うことに徹しよう。
それがユキのためでもあるはずだ。
「でも二人は、見慣れた景色じゃないのか」
「あなたに注意事項を伝えようとしているの、ユキ様は」
腕を組んだまま、あきらかに不機嫌そうな口調でハルが言った。
お前もリフレッシュしようぜ、と言いたかったがやめた。
ハルは普段からそういう奴だと思ったからだ。
「もー、ネタバラシしないでくださいよ」
ユキは頬を膨らませてわざとらしく怒った。
ハルははいはい、といった感じで相手にもしていない。
これがこの二人の日常なんだろう。
「……それで、何か違和感に気づきませんか、リクトさん」
そりゃ違和感と言えば、ずっと曇り空なのが気になるが。
問題はそこじゃないのだろう。この草原を見て何かを感じろ、と。
俺はしばらく豊かな緑の大地を見つめ続けた。
向こう側に見える山脈、そして麓や山に横這うようにして作られた建物群に目が移る。
「向こう側にある建物も、ここと同じような感じなのか?」
「はい。建物は山脈、つまり大樹の根っこ沿いにしか作られないのです」
一応草原にも、ぽつぽつと建物はある。川沿いにそれなりの大きさをした平屋がいくつかある。
しかし、高い建物があるような、都市化しているようなところは、麓付近にしかなさそうだ。
……草原に何か、秘密があるようだ。
「あれか。草原はかなり危ないのか、
「ほぼ正解です。見てたらそのうち始まるんじゃないですかね」
俺はユキと二人で、しばらく草原を見つめていた。
いつの間にかハルも横並びに立って、同じ景色を見つめていた。
いきなり地響きがしたように思えた。
かなり遠くで揺れているようだが、それでもちょっぴりここまで伝わってきている。
問題の場所はすぐに分かった。
それでも、やはり、現実と認めるには難しかった。
あちらこちらで地面が盛り上がったかと思うと、いきなり噴き上がった。
しかし石油か何かが噴き出したわけじゃない。
ただ噴き上がっただけ。
何の力も用いず、その土塊は宙を舞う。
そして、さも当然のように、もといた場所に影を落とし、空中に佇んだ。
「ご覧頂けたでしょうか。今のが叙述汚染と呼ばれる現象の一つです」
……俺は、この世界の魔法に追いつけるだろうか。
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