ボーイミーツガール

ファンタジーのコスプレのような豪奢な衣装を着て、白い髪の少女がこちらを見下ろす。

鈍い色の鋒を俺の喉に向けながら。


「あなたは何者ですか」


星空を背景にした青白い顔がこちらを伺う。肌が白すぎてこいつも化け物ではないかと疑ってしまうほどだ。

見れば見るほど、少女の美貌が理解できる。

一点の瑕疵かしもない肌、大きな二重の瞳、こじんまりとしながらも整った鼻、ふっくらとした唇──


「早く答えてください。私は暇じゃないんです」


刃が少しだけ俺の喉をつついた。結構切れ味は悪くなっているようだったが、先のように炎をまとって振りかぶってきたら、ひとたまりもないだろう。


「陸隼だ、こないだから多分行方不明になって、捜索願が出されてた」


「リクト…さんですか。捜索願なんて出てませんけど」


そんなはずはないだろう? 本当に出されていないとしたら世の中は薄情すぎる。

俺だって別に娑婆で過ごしていてもいいじゃないか。助けてくれてもいいじゃないか。

俺は監禁されていたんだぞ?

と思ったが、そもそもここが常識が通じる普通の世界なのかも怪しいのだから、それ自体は問うても意味がないと悟った。


「まあいいです、もっと具体的な質問をしましょう」


少女は一息ついてから、目を見開いた。


「今苦しんで死にたいですか、それとも後で楽に死にたいですか?」


剣の鋒をさらに近づけ、ゆっくりとこの肉に食い込ませようとしてきた。

不思議と痛くはない。あまりにも滑らかな感触であるから、身体が追いつくことができないのだろう。

呑気に実況している場合ではない。さっさと答えないと!


「後で! 楽に! 死にたくない!」


「じゃあ今、私に殺されるしかないですね」


「ウソウソ! 違う! いいからどけてこれ!!」


少女の口が少し歪んで、剣が納められた。

それどころか、手まで差し伸べてきた。細く長い指が揃えられた手。


「無害そうですし、何だか馬鹿らしいので助けてあげます」


俺は蔑まれていることを気にする余裕もなく、「ありがとうございます!!」と張り切った声をあげていた。


伸ばされた手を取って立ち上がると、少女との身長差が目立った。

あんなにも頼りがいがあるように──いや、今も頼れる彼女は、俺の二の腕ほどまでの背丈だった。


「私はユキと言います。総務師団に所属している黒薔薇です」


「ああなるほどね、ってなるとでも?」


ユキは首を傾げた。「なりますよ」と一言つぶやいたのち、考え込む所作を見せる。

そして改めて目が合う。


「とりあえず私たちの元に来てもらいます」


するとユキは懐から瞬時に何かを取り出し、こちらに差し向けてきた。

小麦色で円っぽい何かが、袋の中に何枚か入っている。


「私のおやつです、特別にあげます」


おやつ。ということはクッキーだろうか。


「あなたは相当に衰弱している上、栄養失調なようです。まともな食事とは言えませんが、とりあえずこれでも食べて糖分を補充してください」


俺はそれを受け取って、口が綻んだ。

食事にありつける喜びではなく、すぐに取り出せる位置でお菓子を携帯している彼女のかわいさに。

とりあえず再び感謝を告げて、袋を開き、口に頬張る。優しい甘みが広がって、すぐに次を求めたくなった。


「おいしいですか? と聞くまでもないようですね」


こんな状況なら正直何を口にしても美味しいだろう。俺の顔も沈黙のままに喜びを表しているようだ。

それよりも、同じものを既にユキも手にして口にしていることが一番気になる。

こうしてみると、儚げな雰囲気をまとった顔立ちだと思っていたが、結構幼なげなところも所々残しているようだ。

もちもちで赤らんだ頬、まるっこい輪郭、揃えられた前髪……


「歩きながら話しましょう」


そしてユキは、質問をぶつけてきた。


「あなたが知っていること、一度あらいざらい話してみてください」


とは言っても、何から説明したものか。

黒い沼に沈んだかと思ったら、空中に放り出されて、ここら一帯の全貌を見たのち、奇跡的に池に落ちて生還したら、化け物に襲われた。

一連の流れに脈絡がなさすぎるが、それでも俺は今までの経緯をとりあえず話した。

ユキは当然、頭の上にはてなマークが三つほど浮かんでいた。


「一応、あなたの見たものを説明することはできますが……つまるところ、あなたはこの大地が何か、理解できていないということですよね」


俺は大いに頷いた。

全くもって訳がわからん。

ユキはかなり悩んだ素ぶりを見せながら、俺より多くのクッキーを袋から次々に貪っていた。

豪奢な服装のおかげで実態はよくわからないが、痩せているようには見える。

どんな身体の構造をしているのだろう?


「とりあえず覚えておいてほしいことが一つあります」


クッキーを飲み込んだあと、ユキは左手の一本の指をぴんと立てた。どこかの修道士みたく。


「絶対に私の側から離れないでください、暗闇に近づかないように」


身の安全を保証するための約束。

先ほどのような化け物は、当然のように他にもいるということだ。


「まあ、それもあるのですけど」


「どういうことだ?」


「暗い場所で孤独に過ごしていたら、あなたが新たな化け物になってしまうのですよ」


それは、ああいう奴らに寄生されて、ということを意味していないようだった。

全く未知の、新種の化け物になることを指し示しているらしい。

それらしい感触は全くしないし、ただ夜の肌寒い風を感じるだけだが。

ユキは一人でいたようだが、そこはどうなのだろう?

きっとプロだからその辺りは対策しているのだろう。


「それにしても、黒い沼に、空中投下ですか」


ユキは興味深そうな顔でこちらを見てきた。こちらからしたら全てが珍しいから、よくわからない。

いや、珍しいどころの騒ぎじゃない。オカルト雑誌に売り込んでも一蹴されるぐらい変な話だ。


「確かに航空技術はありますが、単体で大樹を見下ろせるほど高く飛び上がった例は知りませんね」


俺も知らない。でもそういう夢なら見たことがある。

ベッドがそのまま床ごと抜けて、空中に放り出される夢。


「それに黒い沼は……いえ、これについては帰ってからで良いでしょう」


なんだよ、話をもったいぶるなよ。

そうツッコむ元気はなかった。体力というより理解力が追いつかないから、もう追加の説明を聞きたくなかった。


「それよりも、監禁されていた件について聞きたいですね」


やっと普通の話ができそうな気がして、俺はまともに口を開き始めた。


「結局、動機も何も聞けてないし、ずっと暗闇だったから面白いことは話せないぞ」


「そんなことないですよ。監禁自体が面白い状況です。ああごめんなさい、面白いとか言ってしまって」


笑ってくれた方が俺としては幸いだ。

でもネタに昇華するにはやはり重すぎる気がする。


「ある程度俺が死なないようにスケジュールは組んであるんだろうけど、完全に彼女の気分次第だった。そもそも時間感覚がわからなかったから、あまり詳しいことは言えないが」


「衛生管理や排泄はどうなされていたのですか?」


「シャワーもトイレも彼女の目の前で全てやらされた。プライベートや人権なんて言葉はない。完全にペット扱いだった」


「ペットでもそこまでやりませんけどね」


確かに、と大いに頷いてしまった。

というか、自分から言っておいて何だが、ペットという言葉がユキにも浸透しているのか。


「大変、苦しい思いをされたようですね」


袋の中に入れたユキの手が一瞬止まった。そして一瞬顔が歪んだのを俺は見逃さなかった。

どうやら残りがなくなったようだ。

俺の空の袋をじっと見始めたところからも、よく分かる。


「それでも、俺は彼女のことが好きだと思えた」


「それは……どうして?」


「乳がデカくて顔が整ってるから」


ふざけて回答した瞬間、俺の頬にビンタが飛んできた。

ユキは目をまんまるにしていて、自分が一番驚いているようだった。


「あっ……あ〜〜〜!! ごめんなさい!!」


ナイスツッコミだよ、とフォローしてあげたいが。

想像以上に体がこたえている。痕が残っていないか心配だ。


「大丈夫ですか? 大丈夫、ですよね! そうじゃないと困ります!」


ユキが少し図々しくてよかった。

無意味な後悔を残されてもしょうがない。


「さっさと行きましょうか!」


ユキは張り付いたような笑顔で気を取り直そうとする。

それからこめかみに二本指を当てて、何かごにょごにょ喋り始めた。

無線通信をしていることは、何となく伝わった。


「え?……応答願います」


ユキの背中がとてつもなく縮こまって見えた。


「応答を──」


気まずくなって、目が合わないよう振り返っておいて本当に良かった。

黄色の巨大な双眸が、池の方からこちらをのぞいていたことに、気づけたのだから。

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