ロチオの死んだ日

中町奈司

1.

 フェンゲは、夜闇に滲むナトリウム灯の下で、体を丸め、頭をアスファルトに押し付けて、擦りおろすように、また叩きつけるようにして、不気味な声で笑いながら前後左右に動いている。

 オレンジ色に光り輝く透き通ったゼラチン質の皮膚は、体の異常な膨張に耐えきれずに所々、裂けていた。柘榴のような裂け目の奥から赤黒い真新しい皮膚が顔を覗かせる。大きく盛り上がった背中からは、六角柱状の結晶が突き出していた。

 すぐ近くの物陰に隠れながらオオカミに似た耳を立てて、微かな音を拾い、フェンゲの様子を探っていく。ロアルスという種族の耳は他の人間とは違っていて、形も位置もオオカミのそれと同じだった。唯一、違うのは毛で覆われていないということだけ。ちなみに尻尾は生えていない。相手は、まだ、こちらに気付いていないようだった。

 頭の中で渦巻く風を、物を切り裂きながら吹き荒ぶ風を思い浮かべながら「HameI.」と、魔法の呪文を唱える。まっすぐ伸ばした右手に青い、湯気のようなものが纏わりつく。風の魔法だ。

 この魔法は、ロアルス固有のものだった。そして、フェンゲに対抗できる唯一の手段でもあった。だから、フェンゲ討伐は必然的にロアルスの役目になった。もちろん、国によって違う。だが、オレの周りではそうだった。

 フェンゲが背を向けた。今だッ! 気がつけば、モスグリーンのコートを脱ぎ捨てて走り出していた。足音は立てていない。静かに、一気に間合いを詰める。そして、相手が振り向いた、その瞬間──素早く一閃した手刀が首筋に深く食い込んだ。そのまま、勢いに任せて首を刎ねる。チーズを切るような滑らかさだった。腐敗臭の漂う粘り気のある血が噴き上がる。強烈な臭いに思わず顔を顰める。

 フェンゲは咎人病という奇病に罹り、命を落とした者の成れの果てだった。そのため、咎人病に罹患し、亡くなった者は死後、速やかに火葬される決まりになっている。目的は違えども、そこはコロナ禍と同じだ。

 だが、数は一向に減らなかった。何故なのかは分からない。ちゃんと火葬はしているし、患者の数も把握できている。にも、関わらず、減らなかった。

 全てが終わったあと、ふうっと、白い息を吐く。張り詰めていた緊張の糸がほどけていき、熱き血潮が体内を駆け巡る。ズクっと股間が疼き、冷たい空気が肌を刺す。今は、冬だということを思い出す。ピタッと体に貼り付くシャビスと呼ばれる戦闘服に防寒機能はなかった。

 吐息で暖めた両手を擦り合わせながら脱ぎ捨てたコートを手に取り、袖を通す。

「うへぇ、ヌルヌルしてる、気持ち悪りぃ。……ていうか、このコート、もう使えねえな。ズボンも……」

 体に付着した血を指の腹を使ってこそげ落としていく。粘り気があるためか、血は指の側面に付着したまま山のように盛り上がっていった。もうちょい厚着してくりゃよかったな。それかカイロ持ってくるか。天気予報で今夜は寒くなるって、分かってたのになぁ。あーあ、失敗だよ。コートの端で汚れた指を拭い、鼻を啜る。

 いつもこうだ。あと先を考えないっていうか。考えが足りないっていうか。頭では分かってはいるし、冷静に分析しているつもりだ。でも、なんでだか分からないが上手くいかない。元々、細かいことが気にならないタチではあった。けど、もうすぐ三十だ。そろそろ考えが変わりはじめても不思議じゃない。なのに、まったく変わっていない。変わらない日々の繰り返しだ。コートを汚したのだってこれで何回目なのか、それすらも分からなかった。

 コートのポケットからスマホと一緒に取り出したワイヤレスイヤホンを耳の中に突っ込む。上手く入らなくてムズムズする。背中がゾワリと粟立ち、思わず「うへぇ」と声が出る。

 片手は休むことなくスマホを弄っていた。電話帳のか行の一番目をタップする。画面に表示される苅部啓介という名前。彼は地元の警察官で、フェンゲ討伐を行うロアルスのサポートと討伐後の処理するのが仕事だった。俗にいう、相棒ってヤツだ。数回、コール音が鳴ったあと『何だよ、イヅナ?』という野太い声が聞こえてきた。なんとなく不機嫌そうだった。あっ、競馬で負けたな、と勘繰る。彼の趣味は競馬とボートレースだった。

「あっ、もしもし? 苅部さん? 今、終わりました」

『あ? 何が終わったって?』という声が返ってきた。

「オレが苅部さんに連絡するっていったら、討伐完了の報告と、後始末のお願いぐらいしかないじゃないですかぁ?」

 ちゃんと仕事しろよなぁ、と心の中でぼやきつつ、馬鹿にしたような口調でそう言う。

『なんだよ、馬鹿にしたような言い方しやがって』

「そんなことありませんけどぉ?」

『ゼッタイ馬鹿にしてんだろ?』

「だからぁ、してませんってッ」

『嘘つけ。言葉の端々から馬鹿にしているっていうのが、透けて見えんだよ』

 苅部は軽くため息をついたあと『まあ、いいや。お前ら、異世界人にこれ以上、言ったってアレだからな。……んで、現場はこの前、通報のあった此口戸西小学校の辺りか?』と続けた。

「多分」

『あっ? なんだよ、それ』

 苅部の不満そうな声が聞こえてくる。

「多分、地図上では、そのあざなんとかってとこだと思いますけど。……オレ、イファラルドの地名、よく知らないんでぇ、わからないです」

『……こっちに来て、もう、十年になるんだろ? いい加減、覚えろよ』

 ため息混じりの声が聞こえてくる。

 フェンゲ討伐のため、ソーラルドから清岡市にやって来て、もう、十年になる。戸惑いや不安がなかったわけじゃない。けれど、ゴネても無駄だとわかっていた。命令は覆らない。絶対に。だから、権力者に仕えながら暗殺などを生業としてきた日陰者の種族の宿命だ、と割り切っていた。でも、不満はなかった。むしろ、こっちでの生活は快適だった。

 まず、差別がなかった。

 ロアルスは被差別民だった。それも、見た目や文化の違いからくる単純な差別じゃない、純粋な、宗教的観点からの悪意のない差別だ。悪意がない分、余計にタチが悪かった。だから、殆どのロアルスは人前では耳を隠して過ごしている。オレも最初はそうだった。

 でも、今は隠していない。耳を出していてもとやかく言われることがなかったからだ。というか、皆んな無関心だった。たまに、きゃいきゃいと騒ぎながらスマホを向け、バシャバシャと写真を撮ってくる迷惑なヤツもいるが、その程度だ。気にはならない。

 体はこの街にすっかり馴染んでいた。自然もへったくれもない無機質でぬるま湯のようなぼんやりとした時間の流れる、この街に。いつの間にか言葉も覚えていた。教材はコロナ禍で見まくったAmazonプライム・ビデオやYouTubeだ。翻訳器はもう必要ないな、と思いながら青い石が嵌め込まれた首輪のようなゴツいチョーカーを触る。

『……ったく、これだから異世界人はさぁ、』

 苅部はため息混じりにそう言うと、しばらく間を置いてから『まあ、いい。とりあえずGPSで現場を割り出すから。回収班が来るまで待ってろ』と、続けた。

「えー、いつもならすぐに来るじゃないですかぁ?」

 不満を口にする。

『だったら、地名覚えろ』

 苅部のため息混じりの声が聞こえてくる。これ以上、ゴネても無駄だとわかっているので「じゃあ、早めにお願いしますね。さっさとシャワー浴びたいんで」と、言って、通話を切った。はあっ、と荒く息を吐く。回収するヤツらが来るまで待つなんて、めんどくせえ。退屈凌ぎに辺りをぐるっと見回す。道の両脇に迫り出すようにして建つ人家、曲がりくねりながら奥へと伸びる道と、それに沿うようにして伸びる巨大な壁。反対側には十字路と、杉並木に沿って真っ直ぐ伸びる道。奥の方は電線が絡まり合い、ゴチャついていた。

 ふと、スマホが鳴った。画面に表示される非通知設定の文字。誰からだろう、と思いながら通話ボタンを押すと、跳ねるような溌剌とした女の声が聞こえてきた。聞き慣れた幼馴染の声だった。

『あ、イヅナ? アタシ、オヌだけど……』

「どうしたんだよ? ……ていうか、オマエ自分のスマホはどうしたんだよ? あっ、まさか無くした、とか?」

 ドジだなと思いつつ、軽い口調で揶揄ってやる。しかし、オヌは沈んだ声で『ああ。……うん。今、病院だからさ、使えないってだけ』と、力なく返すと、言葉を飲み込むようにして黙り込んだ。

 電話口から聞こえてくる微かな息遣い。その沈黙の中に言葉では言い表せないような何かがあると、そう感じた。

『……それよりも、さ、こっちに戻ってきて欲しいんだ』

 十何秒かの沈黙のあと、彼女はそう言った。何かを押し込めたような、詰まった声だった。

「は? いや、いきなりソーラルドに戻れって……。まさか、なんかあったのか?」

 不安が過ぎる。オヌは小さな声で『ロチオが死にそうなの』と、言った。

 降って湧いたような、幼馴染が危篤だという知らせ。何が起こったのか理解できないまま「は? え? なんで、だよ」と、返す。

「ロチオね、咎人病に罹っちゃったんだ。お医者様の話じゃ、今夜が峠らしくてさ。……それでロチオと仲の良かった連中で看取ろうって、ジャオ婆が……」

 頭の中が真っ白になる。

 ロチオは、ただの幼馴染ではなかった。共に育ち、過ごしてきた兄弟同然の間柄で、それはオヌも同じだ。

 オレたちは、親の顔を知らなかった。孤児、というわけではない。集団で子を産み、生まれ持った魔力量によって選別して育てる。それがロアルスの風習だった。だから、皆んな、生みの親の顔を知らない。親がいるとすれば、それは師である長老たちだ。ロアルスは、長老たちから様々なことを教わる。親代わり、というわけだ。

「イヅナ、アンタも知ってるでしょ? 咎人病になったら魔力が抜けていって。それで、最後は──」

 真っ白になった頭の中にオヌの言葉が濁流となって流れ込んでくる。記憶の片隅にある幼馴染の姿とは正反対の情報。処理しきれず、受け止めきれずに頭の中がパンクしそうになる。噛むように息を吸って、やっと絞り出せた言葉は「わかった、すぐ行く」と、いう短いものだった。

 そのあと、短い別れの言葉を交わして電話を切る。大きく息を吐く。心に穴が空いたような、むず痒い虚しさ。

 悪い夢を見ている、と思った。頭の中は未だに混乱したままで、何をどうしたらいいのかさえわからない。

 リダイヤルする。

 数回のコール音のあと、苅部の『なんだよ? まだなんかあんのか?』と、いう不機嫌な声が聞こえてきたが、それに対して何を言うわけでもなく、一方的に「すいません、用事ができたから。もう、行きますッ」と告げて通話を切った。一瞬、怒号が聞こえたが、無視した。イヤホンを外し、スマホと一緒にコートのポケットに仕舞い込む。足にグッと、力を入れ、パンッと、跳ねるような勢いで地面を蹴って高く飛ぶ。肌を滑っていく、風。

「HameI.」

 呪文を唱える。どこからともなく強い風が吹き、体を優しく包み込むようにして持ち上げ、そのまま近くの民家の屋根まで運んでいった。着地した瞬間、車が停まる音が聞こえた。

 屋根の上から覗くと、白いハイエースから防護服を着た連中がぞろぞろと降りてくるのが見えた。とりあえず、回収できたって感じだな。

 安堵の息をつく。そして、足音を立てないように屋根から屋根へと飛び移りながら帰路についた。

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