第4話

 この国において旗手というのは、大尉以上が賜るお役目である。

 通常、旗手は少尉が賜るお役目であるが、この国は指揮官に近い階級の者が敢えて前線を駆ける。武力を誇る国だからこそ出来ることであろう。

 旗手は前線を駆ける為に死亡率が高い。生死を問わず旗手を務めた者には称賛の眼差しが向けられる。

 だが、〈糸の追儺ついな〉に就いた者は旗手の顔を敢えて覚えることはしない。会話も必要最低限だけ。自分が刺繍を施した旗を誰が使うのかは知らされない。

 旗手が自分の旗を縫う〈糸の追儺〉の顔は知っていても、〈糸の追儺〉は自分の旗を持つ旗手の顔は知らない。知らないようにしているのだ。

 対して旗手もまた、〈糸の追儺〉の顔を知っていても、実際に会ってはならないと決められている。

 ここに言葉の違いはあれ、共通しているのは規則で定められたものではないということだ。出来れば顔を合わせないように、というなんとも曖昧なものである。暗黙の了解という互いの気遣いの下、続いてきた決め事でもあった。

 それにも拘らず、長門ながと与志昭よしあき綿貫わたぬきあおい帆乃花ほのかに対面した。

 戸惑いがなかったと言えば嘘になる。実際、許可なき対面に怒りを覚えてもいた。知りたいと会いたいは違う。帆乃花もまた、旗手の顔は敢えて見ないようにしていた。見てはならないと直感していたからだ。

〈糸の追儺〉が刺繍を施した旗は旗手の手に渡り、戦争の始まる時まで部屋に飾られる。そうして戦争が始まった時、その旗を手に戦場を駆ける。

 戦争が終わると旗は役目を終え、大広間に飾られる。帆乃花は一度、役目を終えた旗を見たが、一目見た途端、息が詰まってそれ以上、見ていられなくなった。

 役目を終えた旗は戦場に立ったことがない人に戦場の惨さをありありと伝える。土と血で汚れた旗。銃創の跡。帆乃花が直視出来なかったのはそれだけではない。刺繍の糸の隙間に這うように流れた朱が、刺繍の白によって際立っていた為だ。それは紋様の端から端までを染めつくし、旗手の命がもう、この世にないことを告げていた。

 旗は大広間に飾られた後、新月の頃にまとめて火をつけて天に送られる。黒煙が天に昇る様子を眺めながら、帆乃花は思ったのだ。

 ——旗手には、会わない、と。なのに、会ってしまった。

 帆乃花は針を止めて、自分の辿った糸の道を見た。

 自分でも惚れ惚れする程に上達したと思う。最初の頃は見た目も歪で裏側なんて酷いあり様だった。〈糸ノ間いとのま〉で話をしながら息を呑む程に美しい刺繍をする人を前に、私はそこに辿り着けないという、とてつもない恐怖を抱いたものだった。


 ——白い糸路いとじの道作り、

   祈り刺すのは誰の為

   真白ましろつづる糸の道

   黒に染まらぬ白糸しらいと

   しゅ染まる誇りを我は刺す


 伸びやかな歌声が〈糸ノ間〉に響く。性別問わず響く伸びやかな歌を、帆乃花も歌えるようになった。

 黒に染まらぬ白糸の——朱染まる誇りを……。

 帆乃花は一度目を閉じてから、深く息をするといつものように刺繍を再開した。

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