第2話「無言の統治」
「う、うわああああああああああああ!」
叫び声が、唐突に止まった。
つい先ほどまで宮殿を満たしていた、董卓の断末魔。それは今、床に転がる首から、もう二度と発せられることはない。
宮廷は、まるで時間が止まったかのように、静まり返っていた。
脂ぎった宦官たちが、顔を青ざめさせ、悲鳴を上げようとして、それを途中で喉に詰まらせた。
兵士たちは、武器を握りしめたまま、その場で凍りついている。
そこにあるのは、血の匂いと、張り詰めた空気、そして絶対的な恐怖だった。
(静かすぎる。これでは、まるで京の夜だ。…いや、今は、ここが俺の戦場か)
献帝は、血の滴る剣をゆっくりと下ろした。
その手は微動だにせず、剣の切っ先に反射する炎の灯りが、小刻みに揺れていた。
目の前には、董卓の巨大な肉塊。
(全く、軟弱な。…この程度で騒ぐようでは、話にならん)
内心で吐き捨てながら、献帝は思考を巡らせる。
(この男…董卓を斬った。…これで、暫くは騒ぎが収まるだろう。だが、すぐに残党が報復に来る。面倒だ)
脳裏に、任務遂行のための思考が、矢継ぎ早に組み立てられていく。
(ああ、こんな時に、土方さんか近藤さんがいてくれれば…いや、俺一人で十分だ。この程度の連中、新選組の規律を少し叩き込んでやれば、すぐに使えるようになる。いや、待て。そんな悠長なことはしていられない。最速で事態を収拾する最適解は……)
脳裏に浮かんだのは、新選組時代に培った、任務遂行のための冷徹な思考プロセスだった。
(…最も効率的に、この混乱を収めるには……)
献帝は、無言で剣を鞘に納める。
カチン――
鞘が剣を飲み込む音が、静寂に満ちた宮殿に、やけに鋭く響いた。
その音は、彼らが唯一動くことを許された存在であることを、静かに告げていた。
その瞬間、宦官の一人が、ヒュ、ヒュと喉を鳴らし、その場に尻餅をついた。
別の宦官は、両手で口を押さえて震え、堪えきれずに嘔吐物を撒き散らす。
董卓の護衛兵の一人は、剣を構えようと足を踏み鳴らすが、その膝がガクガクと震えて、結局、剣を地面に落とした。
床に散乱した、董卓の血と嘔吐物。その不潔な光景が、献帝の目に、この宮殿の「腐敗」そのものとして映った。
献帝は、最も近くにいた兵士の顎を、鞘の柄で、正確に、しかし容赦なく打ち据えた。
「ガッ!」
兵士が鈍い音を立てて倒れる。
その倒れた兵士の姿に、斎藤一の脳裏に、一つの光景がフラッシュバックする。
雨に濡れた京の路地。斬り伏せた浪士が地面に倒れ、仲間たちが剣を構えながら、震えていた。
その時、斎藤一は、ただ一言、命じた。
「…静かにしろ」
その声は、雨音にかき消されそうなほど静かだったが、その場にいた者たち全員の動きを止めるには十分だった。
今、この宮殿で発した言葉と、全く同じ。
時を超えて、同じ「静粛」の命令が、全く異なる場所で、同じ効果を生み出した。
それは、斎藤一の「武」が、時代を超えて通用するものであることを、静かに示唆していた。
「…静かにしろ」
囁くような声が、冷たい風のように宮殿を駆け抜けた。
その言葉に、他の兵士たちは息をのんだ。彼らは、天子の瞳に宿る、底知れない殺意と、一貫した冷徹さを感じ取ったのだ。
「…聞け」
献帝は静かに命令を下した。
「董卓の首を、この場で刎ねろ。そして、門前に晒せ。奴に与していた者を、一人残らず洗い出し、連れてこい。抵抗する者は、斬って構わん。ただし、一人でも逃がせば、貴様らを斬る」
命令は、簡潔にして明確。彼の言葉に感情の揺らぎは一切ない。
(…これでいい。口で説明しても無駄だ。武士の誠を理解しない者には、恐怖と規律を叩き込むしかない。それが、この時代を最速で変える最適解だ)
兵士たちは、互いの顔を見合わせた。天子の言葉に従うか、それとも反発するか。
その葛藤は、彼らの瞳にありありと見て取れた。
(…ああ、その躊躇。…それが、貴様らの弱点だ。迷うな。迷うから、死ぬ)
献帝は、逃げ惑う宦官たちを冷たい視線で追う。彼らの背中には、まるで「裏切り者」と書かれているかのように見えた。
(裏切り者…そして、軟弱な者。この二つが、この宮廷の腐敗の根源だ。…ならば、両方をまとめて斬るまでだ)
斎藤一の思考は、もうすでに次の段階へと進んでいた。
「董卓を斬る」という第一歩は、あくまで「天下統一最速理論」の序章に過ぎない。
(董卓を斬った。…これで、遠からず群雄たちが動き出すだろう。彼らは、この俺をどう見るか。無謀な若造か、それとも、新しい時代の帝王か)
献帝は、静かに、そしてゆっくりと歩き出す。
彼の足元には、董卓の血が滲み、深紅の絨毯を汚している。しかし、彼は気にも留めない。
董卓の巨体が動かなくなった静寂と、献帝=斎藤一の小さな身体が支配する空気。その強烈な対比が、宮殿の空気をさらに張り詰めさせた。
宮殿の柱は、董卓の血を映し、禍々しい赤色に染まっているように見えた。
床に広がる血溜まりは、まるで歪んだ鏡のように、献帝の顔を歪に映し出す。
灯火の揺れが、その歪んだ顔を、一瞬、鬼の面のように見せた。
(…いずれ、天下は血で染まる。ならば、その血は、俺自身が流してやる。…それが、この国の未来への、最短距離だ)
宮廷の奥から、兵士たちの怒号と、悲鳴が聞こえ始めた。
それは、献帝の指示が、正確に、そして冷徹に実行されている証だった。
歴史の歯車は、たった一人の「斬れる天子」によって、狂い始めている。
そして、その狂いは、誰にも止められない。
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