第5話 現実 電子ドラッグ中毒者


 ◆


 電動自転車にまたがり、狭い商店街の裏通りへと走り出す。夕方の下町は湿った熱気が漂い、路地の隅にはゴミ袋が積まれ、野良猫が漁っていた。


 ふらり、と突然、汚れた格好の男が脇道から飛び出してきた。


 「うわっ!」


 あわててブレーキをかける。自転車のタイヤがきゅっと鳴り、直哉の心臓も跳ね上がる。


 男は一瞥をくれるだけで、ふらふらと立ち去っていった。アルコールか、それとも……。

 視線を脇道に向けると、いた。


 サングラス型のVRゴーグルをかけ、壁にもたれて笑みを浮かべる若者たち。四人組。

 表情はどこか恍惚で、口元はだらしなく緩んでいる。


「……電子ドラッグか」


 直哉は小さく呟く。文明が進めば、遊びも堕落も一緒に進化する。

 今流行の“脳波トリップ”だ。合法ギリギリの機器で脳を揺さぶり、快楽だけを直結させる。


 その横を、一台の無人タクシーが走り抜けた。

 若者の一人がふざけ半分で、道路に腕を投げ出す。


「ピピッ」


 タクシーの人感センサーが反応し、なめらかに迂回。無人車は何事もなかったように通り過ぎる。


 残された直哉の胸に、嫌な空気だけがまとわりついた。せっかくポイントで気分が浮いたのに、一気に現実に引き戻される。

「……ったく」


 自転車を押して角を曲がると、目的地のネオンが見えてきた。


 下町に古くからある、フランチャイズ系コンビニ。

 どの街角にもあるはずなのに、このあたりは街灯が少なく、店の光だけが浮かび上がっている。


 コンビニの自動ドアをくぐると、レジの奥から「おー直哉くん、お疲れー!」と店長の声が飛んできた。


 四十代半ば、頭頂部が寂しくなってきたのを気にしてか、常にニット帽子をかぶっている男だ。笑うと歯の間に金の詰め物が光る。


「お疲れさまです」


 直哉はいつもの調子で頭を下げる。店内は冷房が効いていて、さっきまでの湿った下町の空気が嘘みたいにさっぱりしていた。


「いやー、しかし今日も人通り少ないなあ。ほんと再開発エリアに客とられてるんだよ。

 あっちは道路までピカピカだし、なんでも補助金が降りてるとかで、システムの電子化の改装費も安く済むらしいよ」


 店長は愚痴っぽく言いながら、手動で在庫チェック用の端末をピッピと操作している。


「この辺り、道路のひび割れを直すの遅いですしね」


 直哉が相槌を打つと、店長は「だろ?だろ?」と身を乗り出した。


「治安もいいし、警備ドローンも飛んでるし、コンビニ強盗なんかニュースで聞かないもんな。

 うちなんか、こないだ酔っぱらいが冷食コーナーで寝てたんだぞ」


「……マジっすか」


 思わず苦笑する。

 内心では――直哉はちょっとニヤけそうになっていた。


(でも俺、なぜかLowZenに優遇されてんだよなあ……)


 今日、高級果物をポチれたばかりか、アプリを見直していたら「周辺店舗で使えるモニタークーポン」なんて機能まで見つけてしまった。

 地図を開くと、バイト先のコンビニも対象になっている。新商品のモニター購入が“2ポイント”でできるらしい。


「店長、ちょっとこれ見てもらっていいですか?」


 直哉はスマホを見せた。


 画面には「LowZen新商品モニター・新商品スイーツ:0円(2pt消費)」の表示。


「……んんん?無料?マジで? えっ、うちの店で? こんな電子クーポンあったんだな」


 店長の目が丸くなる。


「せっかくだから一緒に食べましょうよ。いつもお世話になってるし、俺のおごりです」


「ほんとに!?ありがとー直哉君!」


 そのまま手続きをすると、バックヤードから店長が小さめの段ボールを抱えて戻ってきた。


「これこれ、新発売の“空気バターモンブラン”。正直、高くて売れるか心配だったんだよな。俺も食ってみたかったんだ」


 包装を開けると、ふわりと甘い香りが広がった。

 クリームは黄金色で、栗の香りとバターの濃厚な匂いが鼻をくすぐる。フォークでひと口すくえば、糸のように細いクリームがほろりと崩れる。


「それじゃあ失礼して、一口だけ。

 うわっ……うまっ!」


 店長は目を丸くして叫んだ。


 直哉も口に運ぶ。

 ――舌にのせた瞬間、まず軽さに驚く。

 空気を含んだクリームが一瞬で溶けて、後から栗の香ばしさと、深いコクのあるバターの風味が追いかけてくる。


「これ……やばいですね」


 気づけば声が漏れていた。

 すぐにアプリを開き、レビュー画面を呼び出す。


(たぶん適当でいいんだろうけど……まあ、真面目に書くか)


 ―――――

 『空気バターを使ったクリームは驚くほど軽く、それでいて後味はしっかり濃厚。

 口に含むと、栗の香りがふわっと広がり、自然な甘さで最後まで飽きない。

 空気バターは水素と二酸化炭素から合成される未来的な食材だと聞きますが、チルド商品なのに天然バターを使ったかのようなコクがあります。

 値段はお安くありませんが、天然バターを使った商品はこの倍はすると考えるとお買い得かも。

 スイーツ好きだけでなく、普段甘いものを避ける人にもおすすめできる完成度です』

 ――――――


「おお、直哉くん真面目だな! 俺なんて“うまい”しか書けねえよ!」


 店長は笑いながら肩を叩いた。


 その瞬間だった。

 電子音とともにコンビニのドアが開き、ひゅうっと冷気が外に逃げる。


 入ってきたのは、目がうつろで焦点の合っていない若い客。

 サングラス型のVRゴーグルを頭にかけたまま、よろめく足取りで酒の棚に直行する。


「……おいおい」


 店長の顔が曇る。

 男は迷うことなくビールのロング缶を三本つかみ、そのままレジを素通りしようとした。


「お客さん! お会計お願いします!」


 店長が声をかける。

 男は振り返り、無言のままレジ前の強化プラスチック板をバンッと叩いた。鈍い音が店内に響く。店長の肩がびくりと震えた。


(……やばい)


 直哉は思った。普通なら腰が抜けてもおかしくない状況なのに――。


(……あれ?怖くない……?)


 胸の奥で、不思議な感覚が湧いていた。まるで荒事に慣れているみたいに、冷静な視界。

 男が再び出口へ歩き出した。直哉は迷わずレジから飛び出し、腕を伸ばした。


「待てよ!」


 男は怒鳴り声を上げる代わりに、掴んでいた酒を三本まとめて投げつけてきた。


「っ!」


 危ない、と直哉は思った――その瞬間。



 ≪Awaken≫



 息を止め、世界が、ゆっくりになった。うまくキャッチできるか?

 


 〖よく観察して、目に力を込めて〗



 目に力を込めると、缶の軌跡がゆっくりと見え、実物の缶の少し先に残像のような半透明の影が未来の軌跡のように見える。

 軌跡に右手を添わせるように置くと、自ら飛び込んでくるように手のひらの中に一本目の缶が納まる。

 キャッチ。


 すかさずもう一本を左手で捕まえ、咄嗟に空中にある3本目の缶を右手の缶でこんっと弾き上げる。

 弧を描いた缶は、左手にある缶の上にストンと重なった。

「……すぅ」


 止めていた息を吸い込むと、世界の速度も元に戻る。

 

 男は舌打ちをしてドアから逃げ去っていった。


「おおおーっ! 直哉くんすげえ!」


 店長が拍手した。

 直哉は手に残った缶を見つめる。心臓が高鳴っているはずなのに、不思議と落ち着いていた。


「これはもう商品にならないね……」


 店長は言いながら、へこんだ缶を手に取った。


「しょうがない、俺が自腹で買うわ。偉かったぞ直哉くん! ご褒美に一本やる!」


「いやいや、飲めませんって!」


「じゃあお父さんにでもやりなよ。……俺は飲みながら発注するか!」


 店長はプシュッと缶を開け、バックヤードに消えかけた。

 ところが泡がぶわっと吹きこぼれ、慌てて手を振る。

 直哉と目が合う。二人して笑ってしまった。店長の口から覗いた金歯がキラリと光った。

 


 ◆


 ≪Awaken≫


 カプセルの内側で、低いうなるような振動音が途切れた。

 直哉はまぶたを開ける。頭上の透明なドームがスライドし、人工的な冷たい白い光が差し込んできた。昔行った工場見学の際に嗅いだ時のような、人工的な空気の匂い。

 機械の体なのに嗅覚はあるんだな、と不思議に思った。


「……戻ってきた、のか?」


 声に出した瞬間、胸の奥がざわついた。自分が口にした「戻ってきた」という表現が、やけにしっくりきてしまう。夢から覚めただけなら「起きた」でいいはずなのに。


 耳の奥で機械音が鳴り、すぐに声が重なった。


【起床プロセス、完了を確認しました】


「……ああ、えっと、今日もよろしく?」


 ぼんやりと返しながら、直哉は身体を起こす。

 筋肉の張り具合を確かめるように腕を回し、肩を鳴らした。

 現実の自分の肉体には、昨日の夢の戦闘の記憶は残っていない。けれど精神の自分――夢の中の自分は鮮明に覚えている。

 あの赤い敵意の光。敵の残像。加速する意識の感覚。


 だが、思い返すとどう考えても違和感がある。


「なんで……俺はあんなに冷静だったんだ?」


 死にかける戦闘だったはずなのに、恐怖がなかった。冷や汗すら出なかったのだ。

 ベッド代わりのカプセルから足を下ろし、床に着地すると、冷たい感触がじわりと伝わってきた。現実の質感が、余計に記憶とのギャップを際立たせる。


【恐怖反応の抑制要因については権限外のため回答できません】


「……やっぱりそうか」


 直哉は苦笑した。問いかけたつもりはなかったが、どうせまともな答えが返ってくるとは思っていなかった。


「じゃあ質問を変える。夢の中の俺の記憶って、現実の俺には伝わらないんだよな?」


【現実側の自我には夢側の詳細記憶は通常引き継がれません】


「でも精神側――夢の俺が強く呼びかければ、肉体の意識を誘導できる」


【一部肯定。精神側の強い意識干渉により、行動選択に影響を及ぼす可能性があります】


「なるほど。……なら、昨日の戦闘で俺が感じた加速や赤い軌跡も、完全に幻覚ってわけじゃないんだな」


 癖でかゆくもない頭をかきながら、ホールを抜け武器庫、その奥のエネルギー結晶投入口に向かう。

「獲得ポイント残高」項目を確認すると、29pt。


「……やっぱり、リンクしてるな」


 現実で使ったポイントと明らかにリンクしている。昨日倒したこうもり数匹とカオイヌの分まで足して、合計41ポイント。

 高級果物とスイーツ引き換えで12ポイント、差し引き29ポイント。


「このポイント、ここで装備やアイテム購入もできるが、現実でも使えるってことか」


 そう呟くと、AIが即座に応じた。


【現実世界では、脳波活動に基づいた研究協力報酬としてポイントを付与しました】


「脳波研究、ねぇ……。ここに俺たちを集めて戦わせて得られたあの結晶で、お前らは何をしてるんだ?なにが目的?」


【回答。権限外のため回答できません】


「LowZenが関わってるのは間違いなさそうだな。ああ、どうせ答えられないだろ、質問じゃないから」


 直哉は肩をすくめた。表向きは「研究協力」だが、本当はあのモンスターの残したエネルギー結晶が報酬ポイントになっている。


「昨日言ってたな、戦闘と収集と、進化が目的だって。

 外で能力を使えるのは、それが目的?皆できるのか?」


【一部回答。現段階で自発的に発動できるケースは今回が初回となります。目的に関しては権限外のため回答できません】

「……初めてのケース?」


 思わず声が漏れた。

 つまり――夢の中の能力が、ここまで現実に影響するケースは、前例がないということだ。


【その通りです。現実側で能力が発現した事例は確認されていません】

「じゃあ俺は……夢の中で意識があるだけじゃなく、存在自体が完全に例外?」


 胸の奥が妙に熱くなる。恐怖じゃない。興奮に近い。自分だけが踏み込んでしまった領域。

 昨日の戦闘で意識を加速させたとき、確かに見えた赤い光。それがただの錯覚でないなら――。


「もし、あれを現実で再現できるなら……」


 生活レベルを上げるどころの話じゃない。

 仕事も金も、いや、それ以上の――社会そのものを変える力になるかもしれない。



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