第3話

今、私はラブホテルの前にいた。度々吹き抜ける北風が皮膚を貫いて、コートを押さえるように出入口から隠れて立っていた。彼が、私以外の女と中へ入っていくのを見てしまったから。


別に、だからといってどうもするわけではない。彼が女を連れていようが、なんなら男を連れていようが、私に口出しをする権利はない。ただ、久しぶりに彼を目に映して、好奇心が湧き出てしまった。彼と、彼の横にいる女が、どんな顔をしているのか。きっと幸せそうな顔をしているだろう、見るまでもないことだ。それに、見たらもっと苦しくなるのもわかっている。それでも、なぜかはわからないが、確認しなければいけないと思った。


随分長いこと待ったと思う。途中でタバコの箱が空になった。案の定、ホテルから出てきた彼らは、まるでこの世に不幸なことなど存在しないかのように、楽しそうに笑っていた。私は不思議な気分だった。想像していた通りだったことへの安堵と、隣にいる女に対しての憎悪が入り混じったような、そんなちぐはぐな気分だった。


彼らの後ろ姿を見送って、私も帰ろうと思った。ふと彼が後ろを振り返り、目が合った。急に体が強張って、思わず手に持っていたライターを落としてしまった。


「まだそれ持ってんの。ほんとキモいな。」


彼は落としたライターを見て、心底軽蔑した様子で言った。


「……ごめん。」


「で、何?言いたいことでもあんの?」


どれだけ考えても、言いたいことなど見つからなかった。否、言いたいことはたくさんあった。何故私を捨てたのか、そんな女のどこがいいのか、私たちはもうやり直せないのか。ただ、どれを言っても、私の満足のいく回答が得られないことが目に見えていた。


「……わかんない。」


結局、縮こまったままそう言うので精一杯だった。


「じゃあ何しに来たんだよ。俺だって暇じゃねぇんだからさ、用がないならもういい?」


彼の後ろから、くすくすと、笑い声が聞こえた。彼と一緒にホテルから出てきた女が、笑っていた。私を見て、笑っていた。まるで私を見下すように。


私は駆け出して、コートのポケットから取り出した包丁を、女の喉めがけて突き立てた。女は声も上げずに倒れた。


「そうだ!」私は叫んだ。「こうするために来たんだった。」


振り向くと、彼が何やら大声で叫んで私に掴みかかった。彼は私から包丁を取ろうとしているようだった。そうはさせまいとがむしゃらに揉み合って、ふと手に温かい感触が流れた。包丁は彼の腹部に刺さっていた。


「ああくそっ……!」


彼は力無く膝をついた。


私はしゃがみ込んで彼から包丁を抜き、それから何度も彼の腹部に包丁を突き立てた。刺す度に彼がうっ、と呻き声を漏らして、ぬるりとしたどす黒い血液がコートの袖に染みた。


遂に私の胸に倒れ込んできた彼を、私は必死で抱き抱えた。ぶつぶつと何かを呟いているようだったので、彼の口元に耳を寄せた。


「お前なんかと……出会わなきゃ……。」


その後は、彼は何も言わなくなった。


彼だったものを抱き抱えたまま、ずいぶん長い時間を過ごした。死体を見つけた通行人の悲鳴と、近づいてくるサイレンの音が、まるで水の中で聞いているかのようにぼんやりと聞こえて、気づいた時にはパトカーに詰め込まれ、その後数日に渡り警官に尋問を受けた。


何を訊かれたかは、ほとんど記憶にない。ただ、嘘偽りなく話した結果、警官がため息を吐いていた場面はいくつも覚えている。


想像よりも早く釈放された私は、夜の留置所の前に立っていた。コートは血塗れで着れたものではなかったため捨てたが、冬だというのに、外は驚くほど寒さを感じなかった。


釈放された理由についてもよく覚えていないが、責任能力がどうとか言っていたと思う。


それもそうだ、彼が私を壊した責任も、私が彼を壊した責任も、とても人に負えるようなものではないのだから。あるいは、彼自身も壊れたという点で見れば、彼は責任を果たしたのかもしれない。


そんなことを考えながら、駄目になったコートから抜き取ったライターを取り出して、何度も火花を散らしたが、一向に火がつかなかった。ライターのガスは、もう切れていた。

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