第二章 権力闘争と神さま

第1話 せっかく来たのに、なんで早々に帰ろうとするんですかね……!

 ――視界の限り広がる、無秩序で雑多な建築物の数々。


 そして、どこか荒っぽい雰囲気漂う住民たち。


 ここは王都郊外に広がる未開発地区。これから開発されるかのような名称だが、実質的には王国から廃棄された区域とみなされていた。


 だというのに。


 いま俺の目の前にあるのは。


 ――貴族地区や市民地区といった居住区、あるいは政庁地区に存在していそうな、立派な教会だった。




「――であるからして。我らが月神教は、ここ未開発地区にも祝福を広めるべく。こうして、未開発教区教会堂を建てるに至った」


 ふん。祝福、か。


 いま教会の前で演説している太った司教は……ずいぶんと俺たちを見下してるように見えるがな。口ではどうとでも言えるだろうが、本心では祝福なんて祈ってないのが丸わかりだ。


「ご主人さま。あの人の目……里を襲った人たちや、奴隷商と似てます……」


「その見立ては正しいだろうな、ダリヤ。ああいうきれいごとを抜かすやつは大抵ろくなもんじゃない」


「わたしも、そう思います。見るべきは表向きの言動じゃなくって、その人がどんな行動をするか……ですよねっ」


 なんだ? その意味深な視線は。


 まあいいか。それよりも、おそらくそろそろ……。


「――では……私からの話はこれくらいにして。これから、教会堂完成の立役者の一人である――『聖女』アナスタシア・グローリエ司祭に挨拶してもらう」


 「さあ、司祭」と。狸みたいな司教に手招きされ、教会関係者の中から前に進み出てきたのは。


 ――華美な祭服を着て、ベールの下から金紗の髪を覗かせるアナスタシア。


 あいつ、あんな柔らかい笑顔を……。この間再会してから、あんな顔初めて見たぞ。


「――みなさん。今日は、この未開発教区教会堂の献堂式典に参加いただき、本当にありがとうございます。月神様もきっと、お喜びになられていることと思います――」


 ほう。堂に入っているな。


 すらすらと淀みなく出てくる言葉に、柔らかな表情、心地よい声のトーン。大勢の前で話すことに慣れている者のそれだ。


 それに。


「――すごい、シアお姉さん……。とってもきれいで、触っちゃいけないものみたいな……」


 傍らでダリヤがそう言った通り……たしかにどこか神聖性というか、触れえぬ者のような雰囲気を感じる。


 さすがは教会勢力における新進気鋭の聖女といったところか。


 聖女という名は正式な役職ではないが、特に市民から絶大な支持を得ているのは知っている。高度な治癒に、強力な祝福、そしてそれを分け隔てなく庶民にも届かせてくれると。


 もっとも、今の聖女が昔俺のもとにいた奴隷だったとは、つい最近まで知らなかったんだが。


 しかし、そうか。……あの甘ったれが、いまやこんなに立派に聖女を。ただ……こいつの昔を知る身からすると、ほんの少しだけその表情が無理しているようにも――。


 と。そう、思った時だった。


 大勢の前で言葉を紡ぐアナスタシアと、中空で視線がぶつかる。


「――!」


 その瞬間。


 ――アナスタシアの表情が……少しだけ、綻んだ。


 まるで、親元を離れて働く子が、訪ねてきた親を目にしたような……。


「むぅ……」


 ダリヤがなぜか不満げな声を上げる。


「なんだ?」


「いえ……なんでもないんです。ただ、ちょっとだけ、ずるいって……」


「ずるい? なにがだ」


「……だって。あんなにしっかりしてて、ご主人さまの助けにもなれる人が。今みたいな顔もできるんだって。ただ、それだけです……」


 どうも落ち込んでるようだが……自分との差を感じているのか?


 まあ、それは仕方ないことだ。年齢が違うし、スキルやその他の技術を磨いてきた年月だってまったく違う。


 心配しなくてもお前は俺の大事な商品だ。ちゃんと金になるよう育ててやる。


「ご主人さま。わたしももっと、がんばりますから。ぜったい、負けない……!」


 落ち込んでいると思ったら、今度はやる気を出している。まあ、悪いことじゃない。ダリヤが向上心を持てば持つほど、奴隷としての価値も上がっていくことだろう。


 と、気合を入れるダリヤを見ていると。


 ……ふむ、アナスタシアの話も終わったようだな。


「――では、みなさん。今日は最後に、集まっていただいたお礼もかねて、炊き出しを振る舞いたいと思います。ぜひ食べて帰っていただければ」


 なに? 炊き出しなんてことを――


「――うおお! 待ってたぜ!」


「このために来たんだ!」


「ちゃんと皿も持ってきてるよ!」


 今まで静かに聞いてたやつらが急ににぎやかに。炊き出しの話、どうやら事前に周知されてたらしいな。


 通りで宗教なんて興味無さそうなやつらがこんなに集まったわけだ。


「ご主人さま……。わたし、炊き出しもらうお皿なんてもってきてないです……」


「ああ、だろうな。俺もこんなことがあるなんて知らなかったんだ。……人も多いし、帰るか」


 そう、言った直後。


 慌てたようなアナスタシアの声が。


「――! あの、もし炊き出しを受け取る器がない方がいらっしゃればっ。今回は初回なので特別に、こちらで必要なものを用意させていただきますから……!」


「……行けるらしいな」


「みたい、です」


「じゃあ、行くか。せっかくだ」


「はい! これで一食分お金がうきますね!」


 最近のダリヤはかなり節約意識を持てているな。ずいぶんと嬉しそうにしている。感心なことだ。


 じゃあ、並ぶか。俺たちも。


 そうして、炊き出し用の大きな鍋やテーブルの前で、配給を待つ列に並ぶ。


 どうやら直接アナスタシアから渡してもらえるらしい。だいたいのやつはメシをもらえたことを喜んでいるだけだが、たまに聖女が対応してくれたことに感激しているやつもいる。


 そんなやつらを眺めながら、列が進むのを待つことしばらく。


 俺の目の前で、さっきまでの笑顔を消して仏頂面の聖女が一人。


「せっかくだから、様子を見に来たが。聖女なんて、お前の柄じゃないな」


「……うるさいですね。これでも、すごく評判がいいんですから……!」


「そうみたいだな」


「それよりも。ヴィクターさん、わざわざ私の様子を見に来たんですね? お皿も持っていないし、炊き出し目当てってわけじゃなさそうですけど。私のこと、気になっていたんですか?」


 にやりと笑って問いかけてくるアナスタシア。


 ……別に、気になってなんかいないが。確かに、ルナと違ってここ最近ずっと顔を見てなかったが、そんなもの再会する以前と何ら変わりない。


「言ってろ。俺はただ……未開発地区が大きく変わりそうだから、その調査をしにきただけだ」


「そういうことに、しておいてあげましょうか」


 ……こいつ。にやにやと嬉しそうにしやがって。さっきまでの神聖さを感じる表情とは大違い――


「――聖女様。これ以上、特定の方と会話を続けるのは……。スケジュールも遅延してしまいますし」


 そう横から声を掛けてきた男は、こいつも教会関係者みたいだな。アナスタシアより下っ端のやつらだろうが。


「……すみません。そうですね。この調子では、お昼までに全部終わりませんし」


「ええ……。それに。――……あまり、下層の者と親しく話すことはしない方がよろしいかと」


 なに? 下層、だと?


 ……ふん。まあ、未開発地区なんて言ってるが、ようはただのスラムだからな。大事な聖女サマを汚いやつらと喋らせたくないと。


「ご主人さま……っ。あの、失礼な人。闇討ちしますか……?」


「いやよせ、いらん……! 大人しく帰るぞ」


 どこからそんな物騒な思想が。


 教会の連中なんてそんなもんだろう。傍に控える者全員、同じような目をしている。それに、後ろで俺たち全員を見ている狸司教も、相変わらずこっちを見下す目だ。


 この場の教会関係者でその目をしてないのは、唯一アナスタシアだけ――って、ん? そんなことないな。何ならこの場の誰よりも強烈な蔑みの眼差しが。


 向いている先は……さっきたしなめる言葉を告げた、若い男の聖職者か?


 それに、それだけじゃなく。まるで何か我慢ならないというように、口を開いたアナスタシアが。


 言葉を発する、直前のことだった。


 ――俺たちの背後から、突如立ち昇る魔力。



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