第9話 手間かけさせやがって

 すでに陽がのぼり、人の気配を感じ始める未開発地区。


 立ち並ぶ崩れかけた家屋の屋根を駆けるが、ダリヤがいた形跡は見つけられない。


「クソ……まさかここまで行動力があったとは。ガキの向こうみずさを甘く見てた」


 なんの助けもない中、一人で俺のもとを抜け出すとはさすがに考えられなかった。しかも、行き先が家族のもとときたものだ。


 知ってるはずだろ、ダリヤ。お前がもといた集落はもう、人でなしどもに……。


「く……。なら、あいつはどこに向かった?」


 誰もいない集落に、そうと分かって向かうほどガキには見えなかったぞ。目にはちゃんと知性の光があった。


「……だとすれば、ダリヤは知っているのか。家族の行先を」


 考えろ。襲撃を受けたという火精の里、その生き残りがいるとすれば。……その先は一つだ。


 すなわち。ダリヤと同じように、奴隷としてどこかに囚われている。


 代々特殊な力を受け継ぐという一族だ。その可能性は十分にある。


 だが、この界隈にいる俺でも聞いたことがないぞ。火精の里の者が、ダリヤ以外で奴隷として市場に出ているなんて。


 そして、俺が知らない情報をダリヤが知っているとすれば、その情報源なんて一つしか考えられない。


 つまり、俺がこれから向かうべき先は――。




「――おい、知っているんだろう。さっさと答えろ」


「ひひ、そんな。私ごとき、一介の奴隷商が知っているわけありませんよ。火精の里の民が、奴隷としてどこに囚われているか……なんてね」


 場所は一見普通の商会の屋内。


 俺の前でいやらしい笑みを浮かべている太った男は、つい昨日も会話した相手――ダリヤを俺に売った奴隷商だ。


 もしダリヤがそんな情報を知ったとしたら、こいつから聞いた以外は考えられないからな。だから、さっさと答えを聞いてダリヤを確保しに行きたいのだが。


 しかし。


「白々しい。やはりお前、知っているだろう! その気色の悪い笑み……!」


「ひっひ……! 気色の悪いなんてそんな。でも、まあ、そうですなあ。もしかしたら、どこかで聞いたこともあったかも?」


「なら、さっさと――」


「――対価を」


 っく。未だ顔に笑みを貼り付けた男は、しかし目だけが笑っていない。


 男は俺に向かってねっとりと言う。


「旦那ァ。まさか金の亡者と名高い奴隷使いの旦那が、分かってないわけないですよねえ? 一方的な施しなんて、この世に存在するわけないんですよ……!」


「っち。その態度、気に食わんが……言っている事は道理だな。……いくらほしい」


「さすが旦那だ! そうこなくっちゃ」


 揉み手で目の前に迫る脂ぎった顔。


 くそ、まさかこんなところで大事な金を失うことになるとはな……!


 だがしかし、仕方あるまい。ダリヤを取り戻すことができれば、ここでいくらか払ったとて損になることはない。


 せいぜい、金貨数枚――


「――金貨で、百枚。それでどうです、旦那ァ

?」


「な……ッ! 百枚だと!?」


 馬鹿な! 金貨百枚なんて、ちょっとした情報一つに払える額じゃない!


 こいつもしや、焦っている俺の足元を見て……!?


「おっと、旦那……! その物騒な気配を収めてくださいよ! 私はあんたを敵に回そうなんて、そんなこと思っちゃいない」


「なんだと……ッ? なら、今の法外な値段を撤回したらどうなんだ……!」


「だぁから旦那! 早まるのはよしてください! 私はべつに、旦那に吹っかけてるつもりなんてないんですよ!」


「なんだと……? なら金貨百枚が適正な額だとでも言うのか?」


 百枚だと? それほどの価値がある情報なんて……。


 ――いや。価値があるというよりも。


 その情報を誰かに伝えること自体が大きなリスク――それこそ、奴隷商としての稼ぎを失うほどのリスクを抱えているのだとしたらどうだ?


 つまり。


 火精の里の民を抱えているのは、こいつの得意先。それも、莫大な利益をもたらすほどの太客か?


 と、そこまで考えたところで。


 俺の脳裏で昨日ルナたちから聞いた話が蘇る。


 非合法な手段も辞さず、貴重な人材をかき集めている貴族がいると。そう、聞いたじゃないか。


 まさか。


 ……ハッタリを、かけてみるか。


「――もういい」


「……は? 旦那、いまなんと――」


「もう、お前には聞かんと言ったんだ。俺が知りたい人物、それが誰かは分かった」


「なっ……」


 そんな馬鹿なと、疑わしげな視線を向けられる。


 だが、俺の予想が正しいかどうかは次の一言でわかるだろう。


 しけた場所で奴隷商なんてくだらないことをやっているんだ、こいつに高度な腹芸なんてできるわけがない。鎌をかければ必ず尻尾を出すはずだ。


 そうして。


 俺は、その名を口にした。


「――セラス伯、だろ?」


「な……ッ!? なぜ、それを!?」


 当たり、か。やはり。


 驚く奴隷商の顔には、金も受け取っていないのにリスクだけ負った焦り。自ら口にしてないとはいえ、俺と言葉を交わしたというのは事実だからな。


 何かあった時、自分まで辿られてしまう可能性がある。その事実を、こいつは許容できなかったらしい。


「旦那ァ……悪いがあんた。――ここで、終わってもらうしかないみたいだ!」


 こいつ。大声で誰かの名を呼んだかと思うと、鈍臭い動きで俺と距離を取って――。


 直後。


「――があああッ!」


 壁を壊して隣の部屋から突っ込んできた巨体が、岩のような拳を俺に振るう。


 だが、そんな行動は読めている。


「っち、旦那ァ! いつの奴隷の影に隠れてる割に、避けるのは上手いじゃないですかッ!」


「その言葉、そっくりお前に返すぞ。しかし残念だな。こうも短絡的な手に出るとは」


「短絡的ぃ? これが賢い行動でさぁ、旦那! あんたはセラス伯の怖さを分かっちゃいない!」


 怖さだと?


 っと。まるで拳の嵐だ。


 この巨体……人間と巨人族のハーフ、か?


「あのお方は狂気の貴族さ! いったい何が目的かは知らないが、自分の求める物のためにはどんな犠牲も意に介さない! そして、その無茶苦茶を通すだけの地位と金を持ち合わせていやがる……!」


「ふん。だから、そいつがお前を敵だと判断する可能性は全て摘んでおきたいと?」


「その通り! 昨日売った娘だって、ちゃあんとセラス伯に断りをいれて一人だけ回してもらったんだ。仕入れ元を誰にも言わない約束でね! だから、悪いが旦那。ここで死んでくださいよぉ……!」


 こいつ、本当に俺を殺す気だな。


 半巨人の力は容赦なく屋内をめちゃくちゃにしている。こんなものが人体にあたれば容易く破壊される。


「旦那ァ! 普段安い奴隷しか買わないあんたが、足を壊していてさえあの値段の小娘を買ったんだッ。どうも妙な予感はしてましたが……。まさかこんなところで、欲に身を滅ぼされることになるなんてねえ……!」


 なにを勘違いしてるか知らないが。しかし、ここで俺を逃がす気がないことだけは伝わったぞ。それほど怖いんだろう、セラス伯のことが。


 ……だが。


「狂気に、地位と金……だったか? ハッ、お前が貴族の何を知ってるというんだ。そんなものは……――腐った貴族どもの標準装備だろ」


「……なに?」


「見せてやる。真の狂気の、その一端を……!」


 腐った汚泥のような貴族社会。そこで育まれた狂気を。


 この生温いことを言っている奴隷商風情に、思い知らせてやろうか……!


 魔力を励起し、瞬時に手のひらへ回す。俺は呟いた。


「【大気支配】……!」


 そして、直後。


「……ッ! ……ぉ、ォオ……!」


「な、なんだ!? どうした! 旦那ァ、あんた何をした! 【大気支配】なんて、とんでもないもんを……!」


 ふん。こんな図体がデカいだけのやつなぞ。


「――そのデカブツの周囲だけ、大気を薄くしてやったんだ。呼吸ができなくなり、気圧の低下であらゆる不調が体を襲う」


「この――ッ! 自然系で、おまけに位列が支配級なんて、無茶苦茶な……! 奴隷の影に隠れるだけで大した力はないなんて、とんでもない法螺じゃないですかッ!」


「自分は戦えないなんて、俺から言った記憶はないからな」


 えらい焦りようだな。殺されるとでも思っているのか?


 ……たしかに、余計な手札を見せたからには殺してしまった方が後腐れないが。


 俺は、すでに意識を無くした地に伏せるデカブツを跨ぎ、外に向かって歩き出す。


 後ろから戸惑ったように奴隷商が言った


「こ……殺さないんで?」


 そうやって、簡単に人を殺すだのどうだの。俺は大嫌いなんだ。そういう貴族的なことが。


 だが、しかし。


「誰にも言うなよ。もし俺の情報がお前から漏れてると気づいたら、その時こそ……」


 ――躊躇いは、しない。



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