第3話 違和感

 春の風がまだ少し冷たい四月の朝。教室にひときわ明るいざわめきが広がった。転校生がやってくるらしい。クラスはどこか浮き立っていた。


「転校生って、どんな子だろうな?」


 そう呟いたのは俺――木下悠真。

 それを聞いたおまえは、隣の席で妙に真剣な表情をしていた。


「どう……だろうな」


 何だか不安さが滲み出るようなおまえの返事。よく見れば顔色も優れないように見え、大丈夫かと声をかけようとした、その時だった。

 担任に連れられて、一人の少女が教室へと入ってきた。


「……白崎紗月です。よろしくお願いします」


 長い黒髪が光を受けて揺れる。整った顔立ちに、凛とした声。教室中が一瞬静まって、そしてざわめいた。「すげぇ可愛い」「モデルさん?」と小声が飛び交っている。

 誰もの視線が彼女に集中する中、俺だけは別の誰かに目を奪われていた。


  ◇


「は? そっちなの? 転校生に惚れたとか、そういう話かと思ったのに」


 放課後、屋上のフェンスに寄りかかって、おまえは驚いた声をあげた。

 クラスの隅に座る地味な子――長谷川実花はせがわ みか。髪をまとめ、眼鏡をかけ。普段は特別目立つこともなく、いつも数人の女子と静かに話している印象。

 今までだって何度も見てきたし、挨拶だって交わしたことのある相手。だけど、今朝見た時は今までとは違う気持ちを抱いた。そのことをおまえに話した返答だった。


「いや、白崎さんは凄い綺麗だと思ったよ。けど……なんか違うんだよな。近寄りがたいっていうか、俺じゃ釣り合わないっていうか。でも、そんな白崎さんと挨拶している長谷川さんを見た時、なんか……凄く可愛いと思えたんだ」


 おまえはしばらく黙って俺を見つめ、それから苦笑した。


「なるほど。まあ、悠真らしいかもね。いいじゃん! 応援するよ」


 その言葉が、どれほど心強かったか。

 感謝の気持ちとともに、ふと今朝のおまえの顔色の悪さを思い出して尋ねた。


「ああ、大丈夫。ちょっと変な夢を見ただけ。それより、しっかり作戦を考えよう」


 その言葉通り、日々おまえと作戦会議をしながら、少しずつ実花に近づいていった。


 最初はノートを見せてもらう口実だった。

 次は図書室で偶然を装い、一緒に宿題を進めた。

 ぎこちなさはあったが、少しずつ距離は縮んでいく。


 ――だが、決まって現れるのが白崎さんだった。


 廊下で実花と話していれば、なぜか白崎さんが後ろから声をかけてくる。


 「悠真くん、これって君の忘れ物?」


 差し出されるプリントは、俺のものではなかった。彼女は俺の顔をじっと見つめ、何かを確かめるように微笑んだ。


 「……私のこと、忘れてないわよね?」


 小さな声で、そう囁かれたような気がした。


 放課後、実花と駅まで一緒に帰ろうとすると、白崎さんに呼び止められた。


「長谷川さん。委員会の仕事で、少し聞きたいことがあるんだけど。ちょっと図書室までご一緒願えないかしら?」


 俺は話が終わるまで待つつもりだったが、長引いたらしく先に帰ってくれとラインが入った。


 一度や二度ならわからなくもない。

 しかし、何度も続くと偶然にしては不自然過ぎる。

 おまえにそのことを話すと、しばらく考えてから――


「長谷川さんとは結構いい感じなんだろ? じゃあ、そのまま進むしかないさ。もうすぐ夏休みだし、神社の夏祭りに誘ってみたらどう?」


 いいアイデアだ。

 俺は二つ返事で、その作戦に乗ることにした。


  ◇


 そしてお祭りの当日の昼。俺はおまえと最終的な打ち合わせをしていた。


「長谷川さんは無事にOKしてくれた?」


「ああ、そこはバッチリだ。浴衣で来るってよ、楽しみで仕方ないぜ」


 興奮気味の俺に、少し呆れたような笑みをおまえは浮かべる。


「お祭りを少し楽しんだら、山際のお社に行くといい。木の陰になって大きな花火しか見えなくなるけど、そのせいでいつも人がいない。告白するにはいい場所だと思う」


 俺は場所を思い浮かべながらうなずく。でも、浮かんできたのは別の心配事だった。


「白崎さんは、大丈夫だろうか……」


 気にしすぎなのかもしれないが、それでも気にせずにはいられなかった。


「大丈夫。白崎さんにはその時間、別の所に呼び出してある」


「は? そうなのか?」


 そうか、おまえも気にしてくれていたんだな。俺の思い過ごしかもしれないのに、信じてくれてありがとう。


「最初から協力するって言ってるからね。上手くいったら、何か奢れよ」


 おどけた口調でそう言うおまえに、俺は声をあげて笑った。


  ◇


 俺は実花と一緒に、山際のお社に来ていた。月明りだけの薄暗い中で、楽しそうな実花の表情が見えている。

 一方、俺は緊張の真っ只中にいた。

 心臓が爆発しそうに脈打つ。喉が渇く。

 けれど、この瞬間を逃せば一生後悔する。


「長谷川……俺、おまえのことが好きだ!」


 声が震えていた。

 だが、確かに言葉になった。

 響いてくる花火の音に負けなかったはずだ。


 実花は驚いたように目を見開いた。沈黙が数秒。

 永遠にも思えるような時間だが、俺はただ実花だけを見つめた。


「……私も」


 やがて彼女が恥ずかしそうな表情を浮かべ、か細い声で続けた。


「私も、悠真くんが好き」


 胸が熱くなる。世界が一気に開けていくようだった。

 これからの日々を思い、今度は幸せの絶頂にいた。

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