君がいた夏の、その続き

Ash

第1話 転校生

 春の風がまだ少し冷たい四月の朝。教室にひときわ明るいざわめきが広がった。転校生がやってくるらしい。クラスはどこか浮き立っていた。


「転校生って、どんな子だろうな?」


 そう呟いたのは俺――木下悠真きのした ゆうま

 それを聞いたおまえは、隣の席で苦笑していた。


「どうせ可愛い子だと良いなーかな?」


 おまえに突っ込れて、俺は頭をかいた。否定しきれない。

 やがて、担任に連れられて現れたのは、一人の少女だった。


「……白崎紗月しらさき さつきです。よろしくお願いします」


 長い黒髪が光を受けて揺れる。整った顔立ちに、凛とした声。教室中が一瞬静まって、そしてざわめいた。「すげぇ可愛い」「モデルさん?」と小声が飛び交っている。

 俺もまた、その美しさに見とれていた。

 しかし、その視線が俺と一瞬交差したとき、彼女の瞳の奥に何か仄暗い澱みの様な色が見えた気がした。

 気のせいか? そう思って見つめ直すと、彼女は視線はもう別の方へと向かい、穏やかな微笑みだけがそこにあった。


 それが、すべての始まりだった。


  ◇


「本気で好きなんだね」


 放課後、屋上のフェンスに寄りかかって、おまえが言った。

 白崎紗月。彼女を一目見て抱いた気持ちを、おまえに話した返答だ。わかってはいたけど、おまえに言われて一目惚れなんだとハッキリ確信する。


「でもさ、相手は高根の花だよ。聞いた話じゃ、編入試験の結果はほぼ満点。スポーツ全般に長けて、弓道と剣道は段位らしい。しかも美人。どう考えても、悠真じゃ釣り合わない」


「ひでえな! 親友に言う言葉か、それ」


「親友だから言うんだよ。応援するって意味でね。悠真だけじゃ無理だろうからさ」


 おまえはそう言って笑った。その笑顔に救われて、俺は本気でアタックしてみようと思えたんだ。


  ◇


 最初の頃の俺は、本当に空回りしてばかりだった。紗月に話しかけても「……ああ、そう」とそっけなく返される。部活を応援に行ったりもしたが、まるで視界に入っていないようだった。


「落ち込むなって。最初から距離を縮めようとするなよ」


 そうアドバイスしたのはおまえだ。


「まずは普通に友達になるところからいこう」


 昼休み、一人食事をする紗月の机に、購買で買ったパンを手に近づこうとした。でも勇気が出なくて立ち尽くしていると、おまえが後ろから背中を押した。


「やあ、白崎さん。悠真が一緒に食べたいらしいんだ」


「えっ……ちょ、おまえ!」


 俺は慌てたが、紗月は少し驚いた顔をしてから「いいわよ」と席を空けてくれた。心臓が、まるで打ち上げ花火の導火線に火が点いたかのように、ドクドクと高鳴ったのを覚えている。


 それから少しずつ、会話が増えていった。勉強の話、本の話、部活の話。俺の冗談にはあまり笑ってくれなかったけど、段々と会話が弾み長く話してくれるようになった。

 全部、おまえが協力してくれたおかげだ。


  ◇


 夏休み前。学校行事の球技大会。俺は得意としていたサッカーでボロボロに負けて落ち込んでいた。正直、紗月にいいところを見せようとして空回りしちまったのが、原因として多分にある。負けたのと自己嫌悪で二重に凹んでいた。

 でも、そんなとき紗月が――


「木下くん、最後まで諦めなかったのはよかったと思うよ」


 俺にタオルをかけながら、そう声をかけてくれた。

 向こうから声をかけてくれたのは、これが初めてだった気がする。なのに、俺はうまく返事もできず、ただ頷くしかできなかった。


「チャンスだろ、悠真」


 帰り道、おまえが背中を叩いて言った。


「そろそろ気持ち決めて、ちゃんと伝えなよ。おまえがどれだけ真剣なのかをさ」


 そう、その通りだ。いつまでもどっちつかずではいけない。


  ◇


 近くの神社で行われる夏祭りに、俺は紗月を誘った。喜んでOKしてくれた彼女を待って、屋台の明かりが並ぶ参道に俺はいる。

 聞こえてくる祭りの喧騒と、行き交う人々。約束の時間まであと少しというところで、浴衣姿の彼女が参道の先に見えた。

 向こうもこちらに気が付き、手を振って近づいてくる。その姿は、昼間よりもずっと大人っぽく、そして魅力的に映る。


「お待たせ。誘ってくれてありがとう。花火までもう少しだけ時間があるけど、どうする? 屋台まわってみる? あっ、何か話もあるって言ってたよね」


 ゴクリと唾を飲みこむ。

 そう、俺は今日ここで告白するつもりだ。


「……あのさ、俺……」


 唾を飲みこんだばかりなのに、喉が渇いて声が出なかった。手のひらは汗でびっしょりだ。この期に及んで逃げ出したい気持ちと、言わなきゃダメだという焦りがせめぎ合う。

 そのとき、少し離れたところにおまえが立っているのが見えた。提灯の明かりに浮かんだ顔で、大きくうなずいている。

 わかってるよ。――いけ! そう言いたいんだろ。


「……俺、白崎のことが好きだ!」


 勇気を振り絞って叫んだ。

 紗月は驚いた顔を浮かべた後、ふっと微笑んだ。


「知ってたわ。ずっと、真っ直ぐでわかりやすいもの」


 心臓が止まるかと思うような緊張。

 しかし、まだ答えは聞けていない。もう一歩踏み込まないと。


「こ、答えは……?」


「うん。私も、木下くんと一緒にいたい。ずっと、ずっと一緒にいてね」


 夜空に花火が上がった。ドンと大きな音がして、色鮮やかな光が広がる。

 その下で俺たちは顔を見合わせて笑った。


  ◇


 彼女を駅まで送った後、俺は嬉しさのあまり走り出して、もう一度祭りの会場に戻ってきた。案の定そこには、のんきにたこ焼きを食べているおまえの姿があった。


「やったぞ! 俺、付き合えることになった!」


 興奮冷めやらぬままに声をかけた俺に対して、おまえは肩をすくめて笑った。


「おめでとう。まあ、世話を焼いた買いがあったね」


 そう言って笑うおまえに、俺はもっといろいろと感謝したかった。

 ありがとう。本当に、おまえのおかげだ。もしおまえがいなかったら、俺はきっと一歩も踏み出せなかった。

 でも、そんなこと言わなくてもおまえはわかっているだろうから。


「祝いでなんか奢るよ! 何でも言ってくれ」


 俺はそう言ったんだ。

 夏の夜の風の中で。

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