修羅の荒野~第一次オーク戦線編~

成瀬ケン

悪夢の入学式

狂犬



 その始まりは、些細な出来事だった。



「クソジジイ、早く終われってんだよ」


 ひとりの男が、長々と挨拶を繰り出す理事長にムカつきを覚えて、パチンコ玉をぶつけたのだ。


 それで全ての狂気の感情が爆発する。



「なんだぁ小僧、さっきからなにガンくれてんだ!」


「ザカーしーんじゃ。俺は矢崎中の遠藤だぞ!」


「矢崎? 集団じゃなきゃ、なんも出来ない奴らか。だったら上等だ!」


「あんた、浅野中の船橋だね?」


「オウよ、それがなにか?」


「死んどけよ!」


 同時に始まる、だれ彼かまわぬ大乱闘。



 それは驚愕の光景。


 その日この場所、私立オーク学園の体育館では、新入生入学式典が開催されていた。


 多くの者たちがその胸に期待と喜びを秘めて、その場に出向いたことだろう。


 鮮やかに広がった青空の下、満開の桜並木の下をくぐり抜けて。



 だがそれは、地獄の入り口に過ぎなかった。


 辺りにいるのは、近辺を統べる猛者もさ、暴走族の一員、ストリート系の武闘派、未来の暴力団構成員。


 希望は絶望に変わった。夢は悪夢に成り代わり、天国から地獄に突き落とされる心境。



 目の前に広がるのは阿鼻叫喚あびきょうかんの無間地獄。累々るいるいと積み重なる負傷者の山。その荒涼たる光景。血に塗れた修羅の荒野。



 少なくともその少年に取って、そう思うのは当たり前の感情だ。



「あはは、オーク学園って、こんなに怖いガッコーだったんだ」

 有り得ぬ恐怖に、数歩後ずさった。


「ごりゃー!」


「がはっ!?」


 目の前の床に、2メートルはあろう男の巨体が転がった。


 口から泡を吹き、額からはおびただしい量の血が溢れている。

 ピクピクとひくつく身体。白目をむいて完全に気絶している。


 それには少年も気が気ではない。


「だ、大丈夫なの?」

 恐れと不安の感情が混在して、恐る恐るとその男に歩み寄る。



「邪魔だ、小僧!」

 刹那せつな、少年の小さな身体が別の生徒に蹴り倒された。



「キャーッ!」

 もんどりうって倒れ込み、壁際に背中をぶつける。


「あ、はは……。なんなのこの高校、こんなの訊いてないよ」


 それはまるで地獄の有様だった。


 少年の思考は完全に吹き飛んで、テンぱって笑うしか術がなかった。




 その修羅場と化した最中、耳にイヤホンを差し込み、音楽に聴き入っている存在があった。


 一際大きな身体。詰襟の制服を肩から羽織って、うんこ座りしている。


 髪は黒髪リーゼント。鋭い視線と、ぐっと引き締めた口元が力強さを演出する。


 ふーっと煙草の煙を吐き出し、耳にイヤホンを差し込んで音楽に聴き入っている。

 大ボリュームに響き渡る音楽、矢沢永吉のようだ。


 そしてその周りには仲間と思しき十数人の男たち。その誰もがガタイのいい屈強なる男たち。


 彼の名は葛城誠かつらぎ まこと。広域指定暴力団組長の実子で、阿賀川あかがわ中学の覇者。 

 今年入ったルーキーの中でも、最強の呼び声の高い人物だ。



「阿賀川中学の葛城だな」

 そこに別の団体らしき6人の男たちが歩み寄った。

 身から放つ憤怒の感情、どう見ても仲良くしようという雰囲気ではない。


「なんだぁ、てめーら?」

 それに呼応して、葛城の仲間が立ち構える。


「俺らは泉滝中学の者。仲間の仇、取らせてもらいに来た」

 どうやら男たちは、過去の遺恨に燃える集団らしい。

 卑下た台詞と、鋭い視線で葛城たちをまくし立てる。



 一瞬それを見上げる葛城。


「わりーけど、俺に倒された奴らは星の数。いちいち覚えちゃいねーな」

 しかし再び音楽に聴き入り、気負うことなく言い放つ。


 それが泉滝中の男たちの感情を逆なでした。


「なんだと?」


「恨み晴らさせてもらうぞ」

 口々に言い放ち、拳を構える。



「なんじゃあ、誠はうちらのてっぺんだぞ!」


「返り討ちにしてやるよ!」

 呼応して葛城の仲間も吠えた。


 こうして2つの派閥間に、一触即発の空気が包み込む。



「まぁ、いいや」

 その空気を切り裂くように、葛城が立ち上がった。


 耳からイヤホンを引き抜き、ポケットに押し込む。


 この葛城誠、立ち上がるとその大きさが異様に目立つ。


「覚えちゃいねーが、俺に歯向かうその度胸。そいつだけ買ってやる」

 山のようにそそり立ち、泉滝中の男たちを見下ろす。


 それと比較すると、泉滝中学派閥の生徒は、まるで子供だ。その大きさに圧倒されつつも、ムカつき加減に葛城を見上げる。


「誠」

「加勢するぜ」


 呼応して葛城の仲間が言い放つが、葛城はそれを右腕で制する。


「俺の名を名指ししてきたんだ。俺ひとりで、かたぁ付けるのが、礼儀ってもんだろ」


 それはこれぐらいの人数なら、ひとりで問題ない、という彼なりの決意の表れ。


 仲間たちもそれを理解しているから、それ以上はなにも言わない。少し下がって様子をうかがう。


「やっぱ最強の狂犬。ハンパねー自信だ」


「褒めてどうすんだよ」

 ごくりと喉を鳴らす泉滝中の面々。その額から不快な汗が滴る。


 それでも男としての覚悟が勝った。


「死ね葛城!」


「ひとりだろうと、許しはしねーぞ!」

 運命に駆り立てられるように、葛城に向かって駆け出した。




「はっはは、熱いねぇ。流石は阿賀川中の狂犬。このガッコーの覇権掴む気満々じゃん」


 そしてその様子を、中2階になった場所から見下ろす存在があった。


 金髪の髪をギンギンに逆立てて、サングラスを額にかざした飄々たる態度の男。


 着込むのは赤いシャツ。その上に詰襟を羽織っている。

 口に煙草をくわえ、鉄製の柵に両手を預けて、その間から真下の様子を見入っていた。



 その視線が捉えるのは、縦横無尽に戦いを繰り広げる葛城の様子だ。


 葛城誠VS泉滝中学の戦いは、葛城の独壇場だった。


 葛城の圧倒的パワーと迫力に、泉滝中学の生徒は成す術を持たない。

 葛城の動きを封じようと、その背中や足に2人の生徒が組み付いているが、それをもお構いなしに、他の生徒たちを打倒していく。


 この男の場合、人数など関係ないようだ。それは単なる足枷。堂々と蹴散らせばいいだけ。そんな単純な理屈だ。


 葛城誠のあだ名は狂犬。まさにそれを地で行く光景。


「お前、石沢中学の玉木だよな?」

 不意に後方から声が響いた。


 金髪の名は玉木仁たまき じん。石沢中出身の猛者。


 彼のテリトリーは街中にあった。そこでのド派手な争いを、難なくこなしてきた、有名なストリートファイター。


 もっともその腕っ節のよさだけが、彼の有名たる所以ではないのだが。



「ああ、そうだぜ。それがどうした?」

 振り返りもせず答える玉木。


「俺は白樺第三中学の湯田ゆだ。そしてこいつは古谷ふるや。お前の噂は聞いている」


 玉木に声を掛けたのは、パーマがかった長めの髪の男だ。


 そしてその後方に立ち尽くすのは、長い黒髪を半分だけ剃った小柄な筋肉質の男。


 パーマの名は“湯田淳也ゆだ じゅんや。小柄な方は“古谷祐ふるや たすく”。

 共に白樺第三中学出身の武闘派コンビだ。



「へぇー白樺三中の湯田ね。悪名だな、その名前は」

 覚めたように言い放つ玉木だが、視線は葛城に向けたまま。へらへらした口元も変わりない。


 その玉木の淡白な応対に、ピクリと眉をひそめる湯田。


「どうよウチらと手を組まないか? どうせお前もケンカしたくてここに入学したんだろ。ここでてっぺん掴めば、やりたい放題だからな」

 それでも冷静を装い言い放つ。


「言うねー、あんな狂犬がいる高校だぜ。出来るのかよ?」


「するさ。同盟を結ぶんだよ、あんなバケモノを叩き潰せる“防衛組織”をな。既に何人かには声を掛けてる、お前が入ってくれれば心強いぜ」



 その湯田の台詞に、少しずつだが玉木の表情も真顔を帯び始める。

 しばし口元を真一文字に閉じる。


 確かにここには葛城を始めとした猛者が揃っている。その誰もが学園の将来を担う資質を秘めている。


 しかしだからといって、この学園を支配する王者になれるとは限らない。人である以上、どこかには弱点もあるから。


 特にここは多くの強者が揃う戦国乱世。取り敢えずの足場を固め、今のうちは同盟を組むのも面白い。


 そう感じてゆっくり立ち上がる。


「面白い話じゃん。だけど戦いを挑む奴らは、この街の伝説の悪党だぜ? 従えるにはそれ相当のビックネームを持ってこなきゃよ」


 その台詞にぐっと頷く湯田と古谷。


「その点は大丈夫。既に名の知れた男をピックアップしてる。リーダーとして御輿に担ぎ上げるのは“魔王の右腕”、大野朝陽おおの あさひだ」


「大野朝陽だぁ?」

 そして玉木、その名前にピクリと眉をひそめる。


 ユラユラと煙草の煙をくぐらせ、ゆっくりと湯田に視線を向けた。


「こいつが巧くいけば、葛城なんか怖くない。オークなんかちょろいってもんさ」

 対する湯田は堂々たる様子だ。


「考えてみるさ」

 言って玉木は、バリバリと髪を掻きながら後方に歩き出した。

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