第46話
伯爵の屋敷で昼食を終え、午後の光が書斎の淡い壁面にやわらかく反射していた。
葡萄酒の余韻と薪の香りがほのかに漂い、静けさがゆるやかに部屋を包む。
颯真は茶碗の縁に指を添えたまま、しばし沈黙を保った。
「この国全体の地図はありますか」
低く穏やかな声が、石造りの室内に反響して微かに揺れる。
カイエルは軽く目を見張り、迷いを見せず机の引き出しを開けた。
取り出された羊皮紙は古いが、細やかに修復されている。
王都アルディアを中心に山脈と河川、街道網が緻密に描かれ、細い青線が沿岸航路を示していた。
颯真は視線を滑らせ、やがて問いを重ねる。
「あなたの領地は、どちらですか」
「ここです。王都から南へ馬車で三日、さらに海沿いを一日行った国境近く。
王国の南端に位置する港町が、我がルーメル伯爵領です。
暖流が沿岸を巡り、葡萄と小麦に加えて豊かな漁場を抱え、南海との交易船が日々出入りします」
「その街にも商業ギルドが」
「ええ。地方支部がありますが……」
カイエルは一度息を整え、目を伏せた。
「領内の商業ギルドは近隣の男爵家と深く結びついています。
その男爵家は、もとは我がルーメル家の寄子として仕えていた家でした。
しかし父の代が終わるころ、彼らは上位の侯爵家へ鞍替えし、今では我が家を目の敵にしています。
代替わりに乗じて、あわよくば我が港を手に入れようとしている――そう感じざるを得ません」
カイエルの声は静かだったが、その瞳には警戒の色が宿っていた。
「その男爵家は王都へ向かう主要海陸路の要衝に領地を持ち、侯爵家と商業ギルドを背に交易路を握っている。
我が伯爵家は、商業ギルドや男爵家、さらにはその親である侯爵家に対して強く出られないでいます。
そのせいで王都との交易が思うように進まず、商人たちの不満も募っています」
若くして家督を継いだ伯爵は、南海との玄関口を守る責務と、
血筋を越えた圧力の板挟みを背負っていた。
颯真には、その重みがありありと感じ取れた。
颯真は、卓上に広げた地図へ静かに眼を落とした。
海流の向きや河川の合流点、港税の徴収所の位置が、頭の中で別の構造体に置き換わる。
男爵家と商業ギルド、そしてその背後にある侯爵家――権力の脈動が青い航路となり、地図上に浮かび上がる。
王都と南海を結ぶ経路は血流のようであり、節点を押さえる者こそが国を揺らす。
淡い蝋燭の光が、計算を重ねる彼の瞳に微かな煌めきを宿した。
伯爵の書斎に、午後の光が淡く射し込んでいた。
颯真は茶碗を置き、ゆるやかに口を開いた。
「この国には、商業ギルド以外の動線が必要だと思います」
言葉を選ぶ声だった。
カイエルは眉をわずかに動かし、静かに返す。
「国王には手を貸す気にはなれません。
しかし――あなたの話は別です」
その瞳には、揺らがぬ決意が宿っていた。
「あなたの領地に行くことはできますか」
「ええ。私もちょうど帰るつもりでしたので、可能ですよ」
颯真は短くうなずきながら、内心で別の思考を巡らせていた。
――この南端の港町に、自分の拠点を置ければ。
より安全にもなる。理にかなった選択だ。
「私には時間が限られています。
すぐに出発したいのですが、可能でしょうか。
途中で商業ギルドにも寄りたい」
「もちろん可能です」
ポット:「先生。商業ギルドとこの国全体の地図に関する詳細データ、取得完了しました。
……疲れました。報告は後ほど。膨大です」
颯真は淡く笑みを返す
カイエルはその様子を静かに見つめ、わずかに口元を緩めた
風を孕んだ空気が、窓辺を通り抜ける。
颯真はその匂いに、次の拠点の輪郭を思い描いた
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