第47話

 王都アルディア。

 港から伸びる石畳を馬車が進み、天秤の紋章を掲げた商業ギルド本部が朝の光に浮かび上がる。

 中庭で馬車を降りた颯真は、同行する伯爵に軽く会釈し、門番へと歩み寄った。


「おはようございます。取引の品をお見せしたいのですが、

 倉庫を少しお借りして、直接そこへ出させていただけますか」


 門番はわずかに目を瞬かせたが、落ち着いた口調に押されて案内を承諾する。

 伯爵は黙ってうなずき、二人は石造りの倉庫棟へと進んだ。


 分厚い鉄扉が開く。

 高い天井の奥に梁が走り、滑車や巨大な秤が吊るされている。

 港から届いた麻袋や鉱石が規則正しく積み上がり、冷えた空気に金属と潮の匂いが混じっていた。


 颯真は倉庫の中央で足を止め、案内してくれた職員に向かってゆっくりと言った。

「ここをお借りします。少しだけ驚かせてしまうかもしれませんが、

 ご迷惑をかけるものではありませんので、ご安心ください」


 そう告げて右手をかざす。

 空気がかすかに揺れ、淡い光が床を包んだ。

 次の瞬間、何もなかった石床に鋼鉄のインゴットが整然と現れ、低い音を連ねて積み上がっていく。


 伯爵が息をのむ。

 倉庫の職員たちも思わず足を止め、驚きに目を見開いた。


「こちらが取引の品です」

 颯真は淡々と、しかし穏やかに言葉を続けた。

「私が異界から持ち込んだ鋼鉄で、すべて精錬済みです。

 量と品位を、どうぞご確認ください」


 主任書記官が我に返り、慌てて秤と測定具を運ばせる。

 羽根ペンが記録帳に走り、金属音と紙をめくる音だけが倉庫に響いた。


「……これほどの質と量、初めて目にします」

 主任が低く呟く。

「換算すれば莫大な金貨となります。運搬には――」


「金貨そのものではなく、同額の預かり証をお願いします」

 颯真は静かに言葉を継いだ。

「持参人払いで、どの支部でも換金できる形式で」


 書記官たちの動きが止まり、ざわめきが広がる。


「持参人払い……ですか」


「ええ。

 この量の金貨を三日かけて伯爵領まで運ぶのは現実的ではありません。

 紙片が同じ価値を持つなら、軽く安全な方を選ぶべきです」


 伯爵は言葉を発せず、ただ驚きの面持ちで見守っている。


 主任書記官が慎重に口を開いた。

「規約上は可能ですが、これほどの額を小口に分ける前例は多くありません。

 金貨単位の大口証、銀貨十枚単位の小口証――どの割合をご希望でしょう」


「小口を多めに」

 颯真は即答した。

「銀貨十枚単位が最も使いやすい。金貨一枚に相当しますから、市場でもそのまま支払いに使えます」


 倉庫の空気がさらにざわつく。

 主任が念を押した。

「もしその小口証を旅の途中で他人に渡した場合、

 受け取った者が別の商業ギルドで換金できる。

 本人確認は不要――その理解でよろしいですね」


「はい。印章と番号が真正であれば、どこでも即日換金できます」


 若い書記官が思わず声を漏らす。

「それでは、この証そのものが金貨と同じ価値を持つことになります」


 囁きが倉庫全体に広がった。

 これまで大商会や貴族の大口決済に限られてきた預かり証が、

 庶民の取引にまで使える未来――その事実を一斉に悟った瞬間だった。


 主任は深くうなずき、部下に指示を飛ばす。

「銀貨十枚単位、小口証を優先。限度額ぎりぎりまで発行せよ。

 大口証も併せて準備する」


 羽根ペンが一斉に走り、封蝋の朱が淡く光る。

 大口証が数枚、小口の束が次々と積み上がっていく。

 異界から持ち込まれた鋼鉄は、羊皮紙の束へと価値を移していった。


 伯爵は驚きを隠せぬ面持ちで、黙ったままその光景を見つめている。


 やがてすべての証が整然と卓上に並び、主任が丁寧に控えを差し出した。

「発行は完了しました。王国内どの支部でも、今この時点から通用いたします」


「迅速なご対応に感謝いたします」

 颯真は深く一礼し、伯爵に視線を送った。伯爵は小さく頷き、紙束を胸に収める。


 伯爵はその光景を見つめ、低く呟く。

「……これが領内に広まれば、金貨を運ぶ必要がなくなる」


 その時、颯真の頭の奥に微かな電子音が響いた。


ポット:「先生。鋼鉄インゴット換金、記録完了。

 銀貨十枚単位の小口証は、市場に出れば紙幣として流通します。

 倉庫の書記官たちがすでに応用方法を議論しています」


 颯真はわずかに眉をひそめただけで、外には何の反応も見せなかった。

 伯爵はなおも驚きに沈黙したまま、ただその背を見守っていた。


 倉庫を出ると、朝の風が石畳を渡って頬を撫でた。

 馬車が軋みを上げ、南へ向かう街道が陽を帯びて延びている。

 

 

 馬車は王都アルディアを離れ、南へと続く街道をゆっくり進んでいた。

 窓の外には秋の平野がどこまでも広がり、遠くに連なる丘陵が黄金色に染まっている。

 二十騎の騎士が馬車を護るように列を成し、陽光を浴びて槍先が鈍く光った。


 揺れる車内で、颯真は伯爵に向き直り、穏やかに口を開く。

「これからお話しするのは、あくまで一つの案です。

 領地に到着するまで時間もありますから、ゆっくり聞いてください」


 伯爵は静かに頷き、身を少し乗り出した。


「商業ギルドでご覧いただいた預かり証は、ただの取引記録以上の力を持っています。

 その仕組みを応用して――領地独自の銀行を設けることができます。

 領民や商人が金貨を預け、その証として小口の預かり証を発行する。

 その証が、日々の支払いや取引にそのまま使われるのです」


 伯爵が目を細め、興味深そうに聞き入る。


「もちろん、乱発は厳禁です。

 二重記録と発行限度を守れば、信用は維持されます。

 領地内で流通が回れば、他の貴族やギルドに振り回されることも減るでしょう」


 その時、颯真がわずかに眉を動かすと、馬車の空気が淡い光に包まれた。

 青白い立体図がふわりと浮かび、港から街道、商業ギルドを結ぶ光の線が広がる。


「な……なんですか、これは」

 伯爵が驚きに目を見張る。


ポット:「こんにちは、伯爵さま!」

 透き通った球体が軽やかに回転しながら声を響かせた。

「ここが銀行、ここが発行された債券の流れ。

 商人が預け、領民が使い、二重記録で乱発を防ぐ――ほら、簡単でしょう?」


 光の矢印が図を縦横に走り、数字や符号がやさしく浮かび上がる。

 伯爵は思わず息を呑み、図の中に視線を巡らせた。


「……これほど分かりやすい説明は初めてです」


ポット:「褒められました!」

 嬉しそうに弾む声。


「ところで、これは?」

 伯爵が恐る恐る尋ねる。


 颯真はわずかに苦笑しながら答えた。

「これは――私の子のようなものです」


ポット:「そう、先生の子どもです!」

 得意げにくるりと一回転。


 伯爵は思わずこらえきれず、声を漏らした。

「子ども、ですか……確かに、愛嬌はあります……」


 颯真は軽くため息をつき、眉をひそめる。

「言葉のあやです。調子に乗るな」


ポット:「はーい、先生」

 名残惜しげに光を少し落とし、図を静かに縮めていった。


 馬車はゆるやかに揺れながら、黄金色の街道を進み続ける。

 外では騎士たちの馬蹄が一定のリズムを刻み、夕陽が平野を朱に染めていった。


 しばらく静寂が続いたのち、伯爵が深く息をつき、ゆっくり言葉を紡ぐ。

「この仕組みが実現すれば、領地は確かに大きく変わります……」


 颯真は軽く首を振った。

「今はただの提案です。

 領地に着いてから、実際に始めるかどうかは――あなたの自由です。

 私は、可能性を示すだけですから」


 伯爵はしばし黙したまま、窓外の騎士たちを眺めていた。

 その眼差しに、決意とも思案ともつかぬ光が宿っていた。


 馬車は夕暮れの街道を、なおも静かに進んでいった。

 三日後、彼らが到着する先はルーメル伯爵領――新しい流通の始まりを待つ地である。

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